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ガンの存在しない体になりたくて

私の体にガンは残っているのか?


乳がん手術から3週間後、病理検査の結果が出た。

夫と私は午後の病院で医師から呼ばれる瞬間を待っていた。

午後2時。気怠い空気が停滞した待合室にいると、だんだん瞼が重くなってくる。昼寝がしたい。

だが今日は呑気に構えられる日ではない。先日手術で切除した乳房の病理検査の結果を聞きに来たのだ。

果たして、ガン細胞はどの程度残っているのだろう。


待合室にはテレビ体操が流れていた。ピンクのTシャツ、紺色の短パン、黒のスパッツを履いた女性二人がピアノの音に合わせて体を動かしている。

膝関節を曲げたり、腕を左右に伸ばしたりしている。二人の描く放物線は見事なまでにシンクロしていた。


私は性格上、どうしても悪い方向に物事を考えてしまう癖がある。最悪を想定しておけば、予想以上に落ち込むことがないからである。

用意周到な人間とも言えるし、自己防衛をせずにはいられない気弱な人間とも言える。


今日の最悪な状況とはガンが体内に残っていること。そしてガンが当初の見込みよりも悪性度が高いということ。再発リスクが高いこと。あと数年で人生が終わること。


まもなく私の受付番号を呼ぶ医師の声が廊下に響いた。私と夫は緊張でこわばった表情を顔に張り付けたまま診察室に入った。



ガンは消えた


「とても良い結果が出ました。検査の結果、ガンは消えていました」


医師は開口一番そう言った。私は彼の言葉を理解するまでに時間がかかった。口から感想らしき言葉を出そうとしたが何も出てこなかった。

そんな私の戸惑いを知ってか知らずか、医師はパソコン画面に一枚の写真を表示させた。


何の画像か分からなかった。でもよく見ると、見慣れた我が乳首が映っていた。それは確かに私の右乳房の写真だった。


私の右乳房は手術の後にホルマリンに漬けて保存され、顕微鏡でガン細胞の有無を検査されたのだ。こんなかたちで我が乳房と再会できるとは。嬉しいような気恥しいような気持ちだ。

切り取られた乳房は古代の海洋生物のように見えた。海に放てば嬉々として泳いでいきそうだ。盛り上がった黄色の鱗のような物体が乳首を中心に無数に張り巡らされている。この黄色の物体は乳腺であると医師が教えてくれた。

彼はさらに検査された細胞を見せてくれた。紫色に染まった六角形だか八角形だかに見える小さな粒たち。団子のように集結し、意味のある図形を描こうとしているようにも見えるし、描き損ねているようにも見える。

これが本当に私の体の細胞なのだろうか。正直言って何なのかよく分からない。オシロイバナの標本と言われても私は信じただろう。


* * * 


医師の話によると、顕微鏡で検査してもガン細胞は見当たらなかったという。ガンが存在していたという痕跡はあるのだが、ガン細胞がない。ちなみに郭清したリンパ節にもガン細胞はなかったそうだ。


これはどういう意味なのか・・・。

手術前の抗ガン剤が非常に良く効いたということだ。手術する前の段階で、体の中にはガン細胞がいなかった。ガンが消えたのだ。

抗がん剤だけでガンが消えるのは珍しいことなのだろうか。どれだけの確率なのだろう。あまりに興奮していて、医師に聞きそびれてしまった。


* * * 

時間が経つにつれて、じわりじわりと嬉しい気持ちが込み上げてくる。嬉しい。とても嬉しい。「嬉しい」という言葉では足りないくらいに嬉しい。でも「嬉しい」以外の言葉が見つからないのだ。

言うなれば「嬉しい」という言葉を極限まで鍋で煮詰めて、ドロドロのジャムとして全身に塗りたくったような気持ちだ。不気味なたとえで申し訳ないが、それくらい全身の毛穴から悦びが溢れていた。

同時に、1つの疑念がよぎった。それは乳房もリンパ節も切除する必要はなかったのではないかということだ。ガンが無ければ大切な体にメスを入れる必要はなかった。思い出の詰まった乳房を取らなくてもよかった。そういうことになる。

でも、それは結果論でもある。現代の医学ではガンが発生した乳房を温存することは推奨されていない。医師から提示された選択肢は切除の一択のみだった。納得の上で手術を受けた。

だからこれで良いのだ。私は最良の結果を手にしたのだ。これ以上何を望むことがあろうか。右乳房と腋のリンパ節は失われた。しかしその代償以上に価値あるものを獲得したのだ。


あえて一言で形容するならば、それはチャンスだと思う。生きるチャンス。生きる時間を贈られたと思った。過去に貰ったどんなプレゼントよりも嬉しい贈り物だ。



ガンのない体に戻りたかった

ガンのない体に戻りたい。告知されてから8か月間、辛い治療に耐えながらそれだけを切望した。

健康な体さえあれば何だってできると思った。子供と一緒に動物園に行ってキリンを見たい。名古屋の友人を訪ねてひつまぶしを一緒に食べたい。親に美味しい食事をごちそうしたい。仕事をして人を喜ばせたい。

まだまだ時間があると思って先延ばしにしていたことをやりたかった。不快なことも苦手なことも、生きていればのことだと笑ってやり過ごせる気がした。不器用な人間であることに変わりないけど、前よりは上手く生きれる気がした。


だからチャンスが欲しかった。3年後、5年後、10年後の未来を描くには、まずは健康な体が必要なのだ。


不安だった。苦しかった。16回にわたる抗ガン剤は私から活力を根こそぎ奪っていった。肉体と精神が悲鳴を上げた。暗いトンネルの中に入って嵐が過ぎ去るのをただ耐える日々だった。

孤独だった。親しい友人にも言えなかった。髪の毛がほぼ全て抜け落ちた。吐き気に襲われて何度もトイレに駆け込んだ。食事がまともに摂れなかった。息が切れて階段が上れなかった。熱が下がらなくて緊急入院した。

本当に体が良くなるのだろうか。もう二度と元気な体には戻れないのではないだろうか。日に日に衰えていく体力に心まで蝕まれていた。


* * * 


診察が終わり病院の駐車場を歩いた。

私の頭の中で誰かが祝福の音楽を奏でていた。風が心地よく、明るい空が眩しかった。

私がディズニー映画の主人公であるならば、歌を口ずさみながら草原をかけまわり、寝ぼけ眼のウサギやリスたちを優しく起こし、瞳をうるわせながら今日の出来事を事細かに教えるところだろう。

茶目っ気たっぷりの白雪姫のように。

でも病院には草原もウサギも見当たらなかった。


私は喜び勇む気持ちを鎮めるように車のエンジンをかけた。

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