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“あの日”が日常になった今。

およそ6年前の日曜日、私はある決意を胸に秘めながら美術館の中をうろついていた。考えを整理するために1人きりの静かな時間が欲しかった。
明日こそ、明日こそ退職願いを出そう。とっくに限界は超えていた。なんとか踏ん張り続けていたけれど、もうこれ以上耐えても意味が無いことは身に染みてわかっていた。新卒で入社した私に優しくしてくださった社長はすでに亡くなり、一から仕事を教えてくれた先輩や、心を許していた仲間たちも会社を去ってしまった。新社長に変わってから細部に目が行き届かなくなって、派閥争いや職場いじめが激しくなったせいだった。

残された私がいたのはメンバー10人ほどの商品開発部門で、私は直属の上司に気に入ってもらえなかった。この上司に初めて言われた言葉が忘れられない。歓迎会の席で、彼は私の目を見ながら「俺は真っ赤な口紅の、玄人っぽい女が好きだ」とボソリと呟いた。
私は「……そうですか」としか言えなかった。なんだろう、これは。明日から私に、真っ赤な口紅をつけて出社しろとでも? 汗まみれ・オイルまみれになる開発現場で、バッチリメイクなどしていられる状況では無いのだが……。

それ以降、上司からは男尊女卑的な言葉を投げつけられるようになった。「女が技術職になるなんて非常識。俺は認めない」「女のあんたが言うことは一切信用しない。もちろん評価もしない」「女は馬鹿がいい。あんたに求めるのは目の保養だけ」等々。彼は私のことを“女”の一言で片づけて、私個人の特性や行動を見ようとはしなかった。辛かった。真夜中に布団にくるまって悔し涙を流した。
それでも会社に残ろうとしたのは、私が特許を取っていた商品が発売に向けて動いていたから。私がメインとなって作り上げた商品は我が子のように思えて、どうしても未練を捨てきれなかった。私を入社させてくれた亡き前社長への恩義も感じていた。
しかし上司の方は、私がお金のために会社にしがみついていると思っていたらしい。リーマンショックと震災の影響のことが彼の頭にはあったようで、「この不景気に女性技術職の、しかもアラサー向けの求人なんて無いだろう」と、わざと私に聞こえるように吹聴していた。


6年前の夏、私にとって大切な実験データが、上司のお気に入りだった他の社員の手に渡ったことを知った。完成間近だった新商品が、開発に関わってもいない同僚の成果として発表されてしまう……。さらに悪いことに、その同僚が開発に失敗してペンディングとなった案件が、なぜか私の責任にされようとしていた。
これ以上会社にいるのは危険だ。濡れ衣を着せられる前に退職すべきだ。けれども、手塩にかけて開発してきたものまで捨てて去るのは、身を切られるように辛い……。

そしてタイムリミットが迫ったあの休日、私は美術館へと出かけたのだ。ただ1人きりの時間を過ごしたい、展示品なんてきっと目に入らない……そう思っていたのに、ガラスケースの向こうの品々に私は夢中になっていた。数千年前の土器の側面には、豊かな実りのレリーフや、躍っているように生き生きとした神々の姿が。また、一部欠けたり変色したりしながらも、輝きを失わないガラス細工の美しさ。
私が本当に求めていた“ものづくり”がそこにはあった。それは機械的に作られたのではなく、人の想いや願いが込められた、信仰と呼ぶにふさわしいものだった。私が技術者になろうとしたのは、文化の中で生み出される“何か”が持つパワーに、わずかながらも創造する側として関わりたかったからではなかったか? そんな“ものづくり”への畏敬の念が、今の職場にはあるか……否。


私は展示室を飛び出した。美術館の出口にあるお土産コーナーで、大好きな神話関連の本などマニアックなものを買い漁った。気分が高揚したまま屋外に出ると、急にお腹がすいてきた。私はたまたま前を通りかかった喫茶店に入ることにした。メニューを開けると、「トルココーヒー? どんなものだろう?」。
とりあえずトルココーヒーなるものと、チーズケーキを注文。やがて小さめのカップが運ばれてきて、店員さんが「コーヒーの粉が沈んだら上澄みを飲んでください。残った粉で占いができるんですよ」と笑顔で言った。恐る恐る口を付けると、苦みが強めながら意外とおいしかった。

さて、ここで私は悩み始めた。上澄みを飲むと言われたけれど、一体どこまで飲めばいいのだろう。口の中がジャリジャリ砂っぽい感じがするものの、まだいけそうな味ではある。コーヒー占いについて書かれたPOPを見てみると『ソーサ―の上にカップをひっくり返して置いてください。コーヒーの粉が流れた形で占い結果がわかります』と記載されていた。いや、でも、あまりに(ヘドロみたいな)沈殿物が多すぎるとソーサーがべちゃべちゃになって、店員さんの迷惑にならないか?

それに、占いの結果がどう出るかも気になっていた。「退職願いを明日出すぞ!」は決定事項だ。しかし、コーヒー占いで【今は動くな】とか出ちゃったらどうする? また未練が蘇ってしまうだろうか……。
ええい、ままよ!とカップをひっくり返した。果たして、コーヒー占いは失敗に終わった。沈殿物を飲みすぎていて、まったく流れ落ちなかったのだ。席にやってきた店員さんに「あのドロドロをよくここまで飲みましたね! もっと残して良かったんですよ」と言われて愛想笑いでごまかした。占いを楽しめなくて残念だと思いながらも、どこかホッとしていた自分がいた。


その後、いろいろあって私は占い師に転身した。<占うこと>が私の役割となり、<美術館で買ったマニアックな本>は自分を磨くための参考書と化した。不思議なことに、あの日に触れたものが私の日常となって、私がこれから歩んでいくだろう道を形作っている。
私にとって占い師の仕事もまた“ものづくり”である。先人が築いてきたシンボルや思想を元に、カードから言葉を紡ぎ出す行為は、願いや祈りを内包した創造物に他ならない。以前は機械用オイルに濡れていた私の指が、今はカードをめくる。機械が軋む微かな異音に耳を澄ませるのと同じように、お客様の声に意識を傾けている。仕事をする私の外見は大きく変わったが、本質は何も変わらないままだ。


あの日からちょうど2年後、私はまた美術館へと出かけた。平日の穏やかな昼下がりだった。そして街中で、かつての上司とばったり出くわした。普段は内勤の彼だが、たまたま出張でその街に来ていたようだ。彼は2年前と同じ見慣れたスーツを着て、そこに立っていた。私と目が合って立ち竦み、くるりと背を向けて逃げるように去っていった。
私は何も言わなかった。会釈もしなかった。ただ、彼が赤の他人であること、まるで最初から出会ってもいなかったように私とは無関係の人間であることを肌で感じて、その距離の遠さだけを静かに噛みしめていた。

美術館を出た私は再び、あのときの喫茶店に向かった。そして前と同じ、トルココーヒーとチーズケーキが運ばれてきた。店員さんも2年前と同じ女性で、「占いができるんですよ」と変わらぬ笑顔を見せた。あの日、コーヒー占いが成功していたら、一体どんな結果が出ていたのだろうか? それによって私の何かが変わっていただろうか……?
目の前に、あの日と同じカップがあった。オリエンタルな幾何学模様が美しい小さなカップが。思い浮かんだ質問はただ1つ、「当時の選択は正しかったでしょうか?」だった。もったりとした重みを感じさせるコーヒーの液面を覗いて、私はしばらく思案した。

そして黙ったまま、ジャリジャリの砂っぽい沈殿物を飲み込んだ。わざわざコーヒーに問う必要も無し。私はすでに答えを知っていた。私が会社を去ってしばらくして、元上司が出世競争から脱落したらしいことを噂で聞いた。私がいた部門もいつの間にか消えていた。振り返ることなく走り去った彼の背中には、私に何を言って傷つけてもかまわないと思っていそうだった、かつての名残はもう無かった。
占い師となった私は、問いかける価値の無い質問はしない。「よく飲めましたね!」と言った店員さんに、「おいしかったので」と微笑み返した。本当においしかったし、素朴なチーズケーキと合わせて口に入れると絶品だった。コーヒー占いそのものには興味があったので、店員さんにお願いして、トルココーヒーの淹れ方と占い結果の見方がわかるパンフレットをもらって家路についた。


それからコロナ禍の影響もあり、あの喫茶店には行けていない。専用の器具が必要そうだったので、自宅でトルココーヒーを淹れることもできていない。次にあの街を訪れるとき、あのお店は変わらぬ姿でそこにあるだろうか。またあの美しいカップを、あの女性店員さんが運んでくるだろうか。
そうしたら私は、今度こそ無邪気な気持ちでカップをひっくり返してみたい。「コーヒー占いは初めてなんです」と、ウキウキした気分で結果が出るのを待ちたい。そんな未来の私が幸せであることを、会社での辛かった日々をなんてことないトーンで笑って語れる人間になっていることを、心から願っている。

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