アメリカ博士課程に進学する前に今の私が幸せを感じる生き方についてまとめておく

皆さん、こんにちは。この春にニューヨーク大学の修士課程を卒業した私ですが、数日前に、新たなステップとなるカーネギーメロン大学の博士課程へ進学をするため、ピッツバーグへと引っ越してきました。

思い返せば、絶対に英語はやらないと誓っていた学部生時代(約10年前)から考えると、想像もできないような場所に今立っているなと思います。でも、そんな中でも今が人生の中で一番幸せだと言える、そんな生き方をして来れていることを嬉しく思っています。

私は、社会人をしていた頃は、出世に貪欲で、とにかく働くこと、周りから認められることが私の人生の目的であり、ゴールであると考えていました。しかし、当時の生き方は、私にとっては日々幸せを感じることができるような生き方ではなく、他の人と比べた時の劣等感に駆られる日々だったように思います。

しかし、社会人を6年程経験をした後に留学を決意し、いわゆる社会にひかれたレールから外れる選択をして以降、私は人に認められるために生きるのではなく、自分の好きなことをして生きる、自分が幸せを感じることができる生き方をするということを中心に考えるように徐々に変わってきました。そして、そのようなことを考えながら生きていくことで、(今の)私が幸せを感じるために必要な要素がいくつか見えてきました。(もちろんこの要素はこれから変わっていくものだと思います)

今日は、今の時点で私が考える幸せにとって必要な要素を、これからの約5-6年のアメリカ博士課程の長い旅に向き合っていく中でも自分を幸せにしてあげることができる道標としてまとめていきたいと思います。

私は自分の好きなことをして生きたい

上記でも少し書きましたが、まず一番大切なことはこれかなと思います。

私は、社会人として企業で働いていく中で、他の誰か(企業のCEOや上司等)がやりたいことを成し遂げるために働くことにどうしてもやりがいを見出せませんでした。確かにすでに存在する大きな社会的意義を持った企業で働くことは、社会的な評価も得られますし、安定した生活を得るための良い手段だと思います。

しかし、そのような生き方をしている時、私は自分が何のために生きているのかがよく分からなくなることがよくありました。毎日毎日何が幸せで、何が楽しくて私は朝から晩まで働いているのか。上司や同僚、会社の愚痴をみんなで言い合いながら過ごすこんな日々で本当に私は幸せなのか。こんな生活をあと何十年も続けていくのか。

一方で、留学をすることを決断し、社会からの評価や安定した生活は捨てても、自分の好きなことを貫く生き方を始めた時、私は子供の時以来初めて、自由を手に入れた気がしました。

小さな子供の頃、私はもっと自由で、やりたいことは素直にやりたいと言えたはずです。しかし、日本で教育を受けていく中で、我慢を学び、協調を学び、社会の一歯車として生きることが私の中で徐々に根付いたように思います。そして、自分を制限しながら生きることが、社会で生きていく上では必要なことなのだと信じ、疑っていませんでした。

ただ、そんな生き方に縛られる必要は全くなかったと気づきました。もちろん、安定や周りからの評価は捨てないといけないかもしれない。でも私は、自分の好きなことをやって生きている今の方が、社会に求められる役割を果たしていた過去と比べても圧倒的に幸せです。

私はこれからも誰かの好きなこと、誰かのやりたいことをやるのではなく、自分が好きなことをやって生きていきたいです。ただし、そのために必要な努力は惜しみません。自分のやりたいことをやって生きるための努力をすることは私にとっては全く苦ではなく、むしろ幸せなことだと思います。

私は時間を自由に使いたい

社会人という枠組みから外れたことで気づいたことは、時間を自分の自由に使えることは私の幸せに大きく貢献するということです。

そもそも、人には人のリズムがあるし、時にはモチベーションが高い時もあれば低い時もあります。そんな中で、当たり前のように社会で定められた平日のリズムや、勤務時間のリズムに縛られ生活をすることは、私にとって非常に苦しかったのだと気づきました。

留学をして、学生として生活をしていく中で、私の時間の使い方の自由度は大きく増しました。しかし、決して私の平均的な活動量が落ちるようなことはありませんでした。むしろ、休日もほぼないような状態で毎日活動しているのが現状です。でもこれまた全く苦ではありません。また、自分の好きな時に好きなように時間が使えることで、作業の効率も上がったように思います。

どうも私は、時間にせよ、何をするかを決めるにせよ、誰かに縛られるということがとても苦手なようです。できる限り高い自由度を与えることができるような環境に行けてこそ、私は一番幸せに生きれるのではないかと思います。

もしかすると、これからまた研究者としてキャリアを積んでいく中で、どうしても自分の都合だけでは調整がつかなくなってくることも増えてくるのかもしれません。しかし、そんな中でも、できるだけ自由に使える時間を増やせるように考えながら生きていくことが私の幸せにとっては大事だと思います。

私は一人の時間を大切にしたい

私は、一人の時間が大好きです。

誰かに一緒にいるとすごくパワーがみなぎるし、学びも多いことは間違い無いです。そして、私が自分の成し遂げたいことに向かっていくためには周りの人との時間やコミュニケーションがとても大切だとも思っています。

でも、一人の時間で充電をしないと、私はたまにぷしゅーと止まってしまいそうになります。誰かと一緒にいる時間は、私は普段以上にエネルギーを使うので、そればかりが続くと、エネルギー切れを起こしてしまいます。

また、一人の時間があることで、人から学んだことや、自分の考えについて、ぼーっと考え、それを昇華することができます。このような一人で考えている時間が私はとても好きで、この時間の中で考えていることが、長期的な自分の人生観に大きく影響をしてくるように思います。

決して一人でずっといる訳ではないけど、ちゃんと一人で呼吸ができる時間をこれからもしっかりと作っていくことが私の幸せにとって重要だと思います。

私は新しいことを学び続けたい

私は、とにかく知的好奇心の塊です。自分の人生の中で最もワクワクする瞬間は、どんな些細なことでも、自分がこれまで知らなかったことを知って、世界がより明確に見えるようになる瞬間です。

そして、この好奇心が私が改めて学生をやり直し、今の生き方に心から満足をしているコアとなる要因だと思います。

一方で、私の好奇心を満たす方法は、必ずしも研究だけではないと思います。ビジネスの中でも日々新しい学びはあるだろうし、私の好奇心を満たす方法はまだまだこれから探索の余地があると思います。

でも、大切なことは、決してその時の現状知っている世界に甘んじて止まらないこと。どこまでも自分の世界を広げて、この世界をより広く深く理解できるように私はこれからも学び続け、進み続けたいと思います。

それが私の幸せに大きく貢献してくれると思います。

私はありのままの自分でいたい

私は、日本で、特に社会人をしている時、ありのままの自分の姿でいることを肯定できませんでした。

例えば、私は周りの目が気になるせいで、ぽっちゃり体型であることに多少のコンプレックスがあり、痩せないといけないと思っていました。人前に出る時には、綺麗に化粧をしなければいけません。また、会社でもできる女性風に見てもらうために、オフィスカジュアルと呼ばれるような服装をし、いわゆるOLを演じていました。

しかし、アメリカへの留学を考えるようになり、また実際に留学をしてみて、私は自分はもっとありのままの姿で、自分のいたい姿でいて良いのだと思うようになりました。

アメリカには本当に多種多様な人々が暮らしています。服装だけでなく、肌の色、髪の毛の色、体型。。。本当に多様性に富んでいます。しかし、私には多くの人が、ありのままの自分の姿を受け入れ、また自分の好きな服装や装いでいるように感じました。日本にいると、私は例えば太っているから足や腕をあまり出さないような服装をした方がいい等思っていました(周りの目を気にしながら)。しかし、こちらに来て、周りの目を考えるのではなく、自分がしたい自分で、そのままの姿でいれば良いのだと思えるようになりました。

そして、最近では、苦手で特に興味もなかった化粧もほとんどしなくなり、服装も短パン+Tシャツで過ごすことも多くあるようになってきました。また、今もダイエットをしていますが、それは周りからの目を気にしてではなく、自分として考える美しい姿に近づくため、また長い目で健康的な生活を送るためです。そのようなモチベーションで自分磨きをしていくことは、全く自分の苦痛にはならないことに気づきました。

私にとって、今のありのままの自分で、今の自分のしたいように自分の表現をできることも、幸せを感じるために重要な要素ではないかと感じています。

最後に

今日の記事は、あまり他の人向けという形ではなく、将来の自分に向けた内容として書きました。これからも、新しい挑戦を重ねていく中で、もちろんここにあげたような考え方も変わってくるかもしれません。それでも、31歳、博士課程を始める前の私が考えていたこととして、将来にまた振り返ることができればと思います。

さて、博士課程での新たな挑戦、しっかりと頑張ってきます!!

今日は以上です。


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