弥生美術館・竹久夢二美術館 文学さんぽ2023③
この記事は、2023年10月14日から22日まで、東日本(関東→東北)を旅した記録の2日目の後編、旅の3本目の記事です。(全て書き終えたら繋げます)
②で、朝イチの文京区立森鷗外記念館で「千駄木の鷗外と漱石展」を観覧し、謎屋珈琲店さんにお邪魔して「月光ゲーム2023」を頂いたあと、徒歩圏内の竹久夢二美術館(弥生美術館)さんにお邪魔しました。
森鷗外記念館に来るたびに、いつも来たいと思っていたのですが、時間的にタイムオーバー(鷗外記念館をガッツリ見すぎるせい)で来られていなかったので嬉しい!
途中で、詩人・サトウハチロー旧居跡の前を通ったりして、流石文京区、いたるところに文学者の旧居あるなって思ったり。
サトウハチローは「うれしいひなまつり」や「リンゴの唄」で有名な作詞家でもあります。 並木路子の歌う「リンゴの唄」は、2023年後期朝ドラ『ブギウギ』の主人公のモデルである笠木シヅ子の「東京ブギウギ」や、昭和の青春映画の代表作『青い山脈』の主題歌「青い山脈」と並んで、日本3大戦後歌謡のひとつとも言われています。
今回の竹久夢二美術館の『明治・大正・昭和 レコードの時代と夢二の時代展 ~大衆を魅了した日本近代の音とデザイン~』の展示とも関わりの深い人物でもありますので、その辺はまた後で触れたいと思います。
パネルにはサトウハチロー記念館が「岩手県北上市に移った」とありますが、その記念館は2023年11月現在、遺族が亡くなられたことにより閉館中です。
強風の雨の中、和装だったのですが、なんとか到着。坂は多いけれど、晴れていたらなんてことない距離かなと思いました。
今回は、大正~昭和の銘仙というアンティーク着物の展示ということで、創作でずっとお世話になっている友人にピッタリだー! って思ったので、是非一緒に来たかったというのもあって、予定に組み込みました。
「大正の夢 秘密の銘仙ものがたり展」
2023年9月30日(土)~12月24日(日)まで開催。
入場料:一般 1000円 大・高生 900円 中・小生 500円(竹久夢二美術館共通)
写真OKでしたので、ポスターや公式サイトに載っている入館しなくても見られる着物のみ掲載してレポートしていきます。
他にどんな着物が展示されていたのか知りたいけど東京まで行けないんじゃい! って方は「大正の夢 秘密の銘仙ものがたり 桐生正子着物コレクション」をご覧ください。今回の展示の図録にあたる本です。
<銘仙>てなんぞ?
今回の展示の核となるこのワード。
着物に興味あったり、大正期の文化に詳しい方なら聞いたことがあるかと思いますが、私も言葉は知っていますし「こういうのでしょ?」ってイメージは出来ますが、具体的に説明せよってなると、この記事書くまで考えたことなかったので、こうですって分かりやすく説明するの難しいですね。
まずは、上記の本から引用させていただきます。(展示パネルにも引用されていました)
まず、入口に展示されていたのは、ポスター右下のコーデを着せたマネキン。着物の展示って広げた状態のものをケース内で展示されていることも多く、今回も一部はそうなっていますが、やはり実際に着てみた感じが解るのが嬉しいですね!
足元には解説パネルが置かれ、着物の年代や、産地などのデータと共に、コーデの解説がされていました。(以下の引用は、公式サイトに、入口のマネキンが着ていた着物の解説として載っていたものを抜粋させていただきましたので、実際の解説パネルとは違います。)
着物の、織物としての美しさを鑑賞するなら、模様が全部見えるほうが良いのかもしれませんが、こうやって、着物が蝶だから帯はチューリップに! みたいな感じで大正の乙女たちも着ていたのかなぁと想像が膨らむ展示が素敵だなって思いました。場所が許す限りマネキンで<着てみた感じ>を見せて下さってるって伝わります。
マネキンだけでなく、展示室に入る前には、実際に人が着た写真が沢山飾って合って、同じ着物でもコーデが違ったり、着ている人も年齢や体形や髪型もそれぞれだから、印象が違って見えるし、着付け方でも変わるっていうのがよくわかる。
入口の写真は上記の募集で集まったものだったのかもしれません。素敵な企画ですね。
写真や展示を見ていると、派手な柄の着物を素敵に着こなすのカッコイイな! ってなります。銘仙みたいな感じの着物って、人目をひくので、着るのちょっと勇気いりますよね……でも! この展示見たらきっと着てみたくなっちゃいますよ( *´艸`)
柄によっては男の人が着たらカッコイイんじゃないかな? ってのもあった。今、男物の着物を女性が来たりしてますし、昔も男の人が女性の着物着てる絵とかも残ってますし、アリなんでは? 私は見てみたいです。
大正期は、女学生風のものや、カフェのメイドさんが多く、乙女たちの装いって感じの可愛いデザインものが多かったです。
大柄で大胆な意匠は華やかで、ザ・銘仙! て感じ。
こういったデザインの発展の裏には、学習院からの要望があったようです。
展示の最初の説明に、銘仙が<安価な絹織物>とあったのですが、現代の感覚だと、絹の着物って<安価>なイメージなくって、不思議な感じだったのですが、友禅と比べてって事だったんですね。
しかし、銘仙が<固い>とは、どういうことでしょう?
もちろん生地が固いという意味ではなく、文脈から「お堅い」という意味でしょうし。
もともと、銘仙は江戸時代中期ごろから存在しており、中部地方の養蚕農家が商品にならない絹を使って自分たち用に作った紬の一種でした。
その頃の銘仙は、縦縞模様などの地味なデザインで、現代の私たちから銘仙としてイメージされるものとは違うものでした。
それが、明治になり新たな身分制度の制定によって、庶民間の服装の規定が解除されると、一般人も絹の着物が着たい! という要望が増加しました。
そうして絹の着物が普段着として普及してきた頃に、西洋文化が日本に入ってきました。そこで、華やかな様相に見劣りしないような意匠を施されたものが開発されていき、私たちが<銘仙>とイメージするような、大柄で華やかな薔薇や幾何学模様のデザインの銘仙が誕生した、ということのようです。
そして、女学生の間で流行した理由として、上記の引用にもあるように、学習院からの要望があったようです。
学校からの要望というよりは、生徒側の声を受けての事ではないでしょうか。それというのも、学習院長に就任した乃木希典が「服装は銘仙以下のもの」という校則を作ったのは、当時はまだ地味なデザインだった銘仙を基準に、女学生らしい服装を……という意図があったからです。
しかし、「校則の範囲内でオシャレがしたい!」というのは、どんな時代の女子も一緒です。(しらんけど)
そういう乙女たちの声を受けてか、それをヒットの種と狙ってなのか、織物業界の創意工夫があって、「銘仙なのに華やか!」な<模様銘仙>が誕生し、派手な柄と鮮やかな色彩を持つ、私たちのイメージする<銘仙>が発達し、女学生の間で一気に広まっていったのでしょう。
こういう女学生発信の文化の広まり方は、平成期のルーズソックスなんかのブームと似ていますよね。いつの時代もヒットの影にJKありなんだなぁと。
時代を彩る銘仙
時代が進むと、花や蝶といった日本の美を取り入れたデザインだけではなく、西洋美術の影響を受けたデザインのものも増えていきます。銘仙に使用される絹も、商品にならないような安価なものではなく、高級な絹糸を使用したものも作られるようになります。
それらは、女学生時代に銘仙ブームを体験した女性が社会進出し、自分の給料で自分の着物を買うという<自立した女性>層に受け入れられ、大人っぽくて高級な銘仙が発展していった、という流れなのでしょう。
当時の着物の価値観を知って、それがどういうもので、どういう層に需要があったのか、そういう物の歴史を知ることが出来るのも有難いです。
しかし、たまにおでかけで和装する身としては、安価なものとはいえ絹の着物が普段着とか学校の制服とか、不思議な感じがしますね。こういった歴史を知ると、どんな柄でもデジタルプリントで再現できる化繊の安価な着物があって、ポリの着物を洗濯機でじゃぶじゃぶ洗える時代に感謝です。
昭和初期に入ると、新興芸術集団<MAVO>が手掛けた図案が登場。絵画や彫刻などの既存の美術にとらわれず、建築、広告、写真、舞台、身体表現、詩、文学など様々な活動をする<MAVO>のデザインする図案は斬新ですが、そのコンセプトは「ジェンダーレスな服を選ぶことで、社会的な役割から放たれることの心の健康、シンプルに暮らすためのシンプルな服、動きの邪魔をしない服を目指す」というものだというから驚きです。令和を先取りしすぎて、前衛的にもほどがありますね。すごい。
昭和中期のデザインになると、デザインというよりも、それそのものを柄にしたものなんかが増えて、見ていて面白かったです。
上の写真の帯にある車なんかは、現代のデジタルプリントみたいなデザインですよね。ホントすごい。当時、これ着て歩いてるの誇らしかったろうなぁ、って思います。
でもこれは昭和期の展示の中ではまだ地味なほうで、ここから様子が変わっていきますw
「城!」「王冠!」「バレリーナ!」みたいな、〇〇モチーフの~っていうデザインじゃなく、まんまを模様にした着物! めっちゃ派手! めっちゃ目立つ!
西洋キャッスルがドドーン! て柄、どこで着るのコレw
写実的なバレリーナを小紋みたいにあしらった柄、どこで着r(バレエ鑑賞行って、前にこんな人おったら集中でけんぞw)
一番面白かったのが、天使が小紋のように散りばめられた柄の子ども用の着物があったんですが、着物って反物をカットして作るから、同じ反物から作っても同じ場所に模様が出ないから一枚一枚柄の場所って変わるじゃないですか……ちょうど股間に天使がwww
狙ってんのかなこれwしかも女給さん風のエプロンコーデだから、エプロンの下から、さかさまの天使がひょっこり顔だしてる感じになってて、こんなん笑うしかないだろw
大正期の展示室は「かわいい!」の連続だったんですが、昭和期の展示室にあるのは「おもしろい!」の連続でした!
11月15日から展示替えがあり、後期展示が始まるのですが、そのリストに載っている「赤に緑のクリスマスガーランド文様 」と「切り嵌めに月光仮面文様」がめっちゃ気になるんですけどw
近かったらおかわりしたいなぁ! って思う、充実した展示でした!
行ける方は是非、前後期両方行ってみて下さい!
「明治・大正・昭和 レコードの時代と夢二の時代展」
「明治・大正・昭和 レコードの時代と夢二の時代展 ~大衆を魅了した日本近代の音とデザイン~」
2023(令和5)年9月30日(土)~12月24日(日)
一般1000円/大・高生 900円/中・小生500円(弥生美術館共通)
銘仙でもお腹いっぱい!なくらいの展示でしたが、今回は二館共通というか、順路の先に竹久夢二美術館があります!贅沢!
夢二とレコード
竹下夢二は、明治17年に岡山県に生まれ、昭和9年に49歳で長野で亡くなります。夢二が生きた時代は、日本のレコード文化の発展時期と共にあったことから、今回の展示が企画されました。
「夢二式美人」という言葉を今でも耳にするくらい、美人画で有名な夢二ですが、詩、歌謡、童謡などの文筆業や、浴衣の柄や包装紙のデザイナーなど、幅広い分野で活躍しています。
今回の展示でも、夢二の詩に感動した多 忠亮(バイオリニスト・作曲家)によって曲が付けられ「セノオ楽譜」から出版され国民的愛唱歌となった『宵待草』を筆頭に、夢二が手掛けた数々のレコードのジャケットが展示されていました。『宵待草』のジャケットのような夢二らしい抒情的な美人画だけでなく、童謡のジャケットでは子供向けの可愛らしいデザインのものも展示されており、夢二の仕事の幅広さが伺えます。
レコード文化の流行と変遷
また、夢二のデザインしたものだけでなく、展示ケース内に色んなレコードのジャケットがズラリと展示されている光景は圧巻の一言でした!
その変遷を追っていくのはとても楽しく、ジャケットのデザインだけでなく、当時の流行歌や人気だった歌手、売れっ子の作詞家・作曲家なども時代ごとに変わっていくのも面白かったです。
「青い山脈」や「東京ブギウギ」などの展示の前では、当時は娘さんだったであろう御婦人らが、子どもの頃を懐かしんだり、今の朝ドラ(ブギウギ)について話されていたりする姿を見ることができて、祖父母との思い出が盆と正月くらいしかなかった私にとっては、それも貴重な光景でした。
私たちでも知っているような吉井勇の作詞で有名な「ゴンドラの唄」や冒頭で紹介したサトウハチロー作詞の「リンゴの唄」、菊池寛の小説が原作の同名映画の主題歌「東京行進曲」など、色んな歌手が歌っているものは何度か再ブームが起こっているので、「〇〇の初出って戦前だったのか」や「この曲の方が先だったんだ」と改めて知ることも多く、自分の中で時期が認識と前後していたり曖昧だったりすることにも気づかされ勉強になりました。
ビクターのレコードに描かれた、いわゆる<ビクター犬>と蓄音機のデザインも時代によって変わっていく過程も見ていて楽しかったです。
犬といえば、変わり種として面白いなと思ったのが、渋谷のシンボルとして有名な<忠犬ハチ公>の声を録音したレコード(「純情美談『忠犬ハチ公』」)が展示してあったのも面白かったです。今年2024年はハチ公の生誕100年の記念イヤーらしく、そのタイミングで展示されていたのかもしれません。ちょっと聞いてみたくなりますね。
与謝野晶子がレコード出してたことも、今回の展示で初めて知りました。
自作の短歌などを自分で読み上げたレコードで、コロンビアから出版されていました。残念ながら展示室は無音だったので、そのレコードを聴くことは出来ませんでしたが、与謝野晶子の肉声は「国立国会図書館の歴史的音源」(れきおん)にて聞くことが出来ます。展示されていたものと同一かは分かりませんが、ご興味のある方は以下からどうぞ。
普段、短歌を目にしても口にすることはまずないですし、脳内で抑揚をつけて思い浮かべたりすることもないので、聞いてみると「へー、こんなふうに詠うんだなぁ」ってなりますね。面白い。
ただ、時代が移るにつれ音楽の世界も楽しいだけではなく、次第に戦禍の匂いを帯びてきます。
国民を鼓舞するための歌謡、政治家や軍人の演説のレコード、そういったものが目に入るようになってきます。
次第に、ご時世にふさわしくない、享楽的な音楽や敵国の言語が入った音楽は発禁処分にされ、面白おかしい芸名や曲名も禁止されるようになりました。その頃になると、物資の制限により、レコードも合成原料による代替品が作られるようになり、歌詞カードなどの付属品も粗悪なものになっていきます。
戦争が激化するにつれ、レコードのジャケットや歌詞はもちろん、レコード会社の社名からも<横文字>が消え、昭和18年2月3日発行の『情報局編輯写真報』(第二百五十七号)には、内閣情報局による「破棄すべき敵性レコード一覧」が掲載され、今まで発売されたレコードも国家による弾圧を受ける事態となりました。
本の発禁処分については、以前から少し調べてはいましたが、音楽の方も当然同じ目にあってきているんですよね……つらい。
そんな時代を乗り越えて、戦禍や弾圧を逃れたレコードたちが、こうして私たちの目の前にズラリと並ぶ光景は、奇跡的なことだと思います。
夢二の功績や時代の変遷を学びながら貴重なレコードたちを見ることが出来る「明治・大正・昭和 レコードの時代と夢二の時代展 ~大衆を魅了した日本近代の音とデザイン~」展は、2023年12月24日まで!
ぜひ見に行ってみてください!
おまけ:根津神社ぶらり散歩
この日、ちょうど根津神社でお祭りだったんですよ。近くの駐車場に停める予定だったので埋まるかもと心配していたんですが、午前は雨だったので停められて、午後から晴れて祭りも見られる!って思うと、午前の悪天候も悪くないんじゃないですかね!(初めて行く文学館雨降るマン……)
看板よく見たら、神社の境内だけじゃなく、商店街とか広範囲にいろんなところでやってたんですね。いいなあ、こういう祭がある町。
図書館さんのブースでブックカバーと栞をもらっちゃいました!
謎屋珈琲店さんで満足のパフェ食べたので、出店で食べ歩きとかできませんでしたが、小さい子たちが塗り絵したりしてるの見て、楽しそうな雰囲気をたくさん味わえました!
日程に余裕のある時(あるかな……)に、根津図書館や本郷図書館、漱石や鴎外にちなんだ名物のある和菓子屋さんにもいってみたいです!
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