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【エッセイ】ブラッシュアップライフに見る、女友達という救い

ブラッシュアップライフを今更観た。観終わるや否や私は居ても立っても居られなくなり、中高時代の友人に連絡し、「何度生まれ変わってもみんなと高校生活を送りたい」と重めのラインを送った。

私が通っていたのは中高一貫の女子校だった。世の中には色んな女子校の形があると思うから一括りにして語る気はないが、あくまで私が経験した女子校というものは、くだらなさを煮詰めたような空間だった。もちろん多感な時期だから男子に興味があったり、彼氏と制服デートしたいなぁと妄想してみたりするのだが、一部の発展家(椿鬼奴さんの言葉を借りると)を除けばだいたいそんな夢は叶わないので、いかに女同士で面白いことをするかに全力を注いでいた。全力どころではない。あの頃は全員が“笑う”ということに命を懸けていた。可愛い子よりイケてる子よりオシャレな子より、面白くてモノマネが上手い子が偉かった。

思春期に異性の目がないというのは、なかなかの状況である。よく「女は話が面白くない」と言うが、笑わせるなと思う。君たち男子よりよっぽど面白い女を、私は山のように見てきた。が、彼女たちも同じクラスに男子がいたら実力の半分も発揮できていなかったかもしれない。
私が通っていた学校は校則が尋常じゃなく厳しかった。コギャルがブイブイ言わせていた時代だったこともあり、私たちだって中学2年くらいまでは何とか垢抜けようと足掻いていた。しかしメイクも禁止、髪を染めるのは問答無用で禁止、肝心の制服も死ぬほどダサい。先生の目を掻い潜って学校帰りにラルフのカーディガンに着替えたり靴下を紺ハイソやルーズソックスに替えたところで、どうしてもハリボテ感が滲み出てしまう。
学校帰りに友達と頑張って慣れないメイクをして制服を着替え、スカートを限界まで短くして渋谷の109に行ったとき、ギャルの店員さんに「修学旅行ですか?」と言われ、絶望して店を出たことを覚えている。芋臭さは身につけている物だけでは誤魔化せないということを、そのとき私たちは初めて知った。身にまとう空気とか肝の座り方みたいなもので、結局見抜かれてしまうのだ。
“ダサい”とか“イケてない”という烙印は、女子高生にとって致命傷であり、自己肯定感を著しく傷つけるわけだが、そこで生まれた連帯感みたいなものはかえって強固なものになった。
いつしか私たちは学校という組織に抗うことを諦め、可愛くなることを諦め、残されたものは、“いかに面白く日常を過ごすか”の一択になった。

そして高校を卒業した私たちは残酷な現実を知ることになる。この6年間、私たちが必死で磨いてきた“笑い”への執念は、まったくモテに直結しないという悲しい現実を。共学の大学内では桑田佳祐や武田鉄矢のモノマネをする女なんて1人もいなかった。
男を知り、社会を知り、私たちは少しずつ普通になっていった。今では家庭を持ったり仕事に奔走したりして、それぞれの人生を送っているわけだが、私の心の一部は今も高校に置き去りになったままである。

いつも一緒に学校から帰っていた3人の友達がいた。私たちは、ここで文字にするのも憚れるほどしょうもない遊びをしながらバス停までの道を一緒に帰っていた。笑い過ぎて立てなくなる人。笑い過ぎて尿漏れをする人。笑い過ぎて足を捻挫する人。今思うと気が狂っていた。
色恋も嫉妬も何もない、透き通るほどバカで平和な空間だった。こうして書くとキラキラとした高校生活のように見えるが、そんなことはない。もちろん10代だから、それぞれが悩みを持ち、それなりの地獄を抱えていた。私自身、自意識をこじらせ、劣等感に打ちのめされ、鬱屈した思いを抱えていた。それでも私たちは一緒になると必死で面白いことを探しては、腹がよじれるほど笑っていた。

さて、ブラッシュアップライフだ。不慮の事故で命を落とした主人公の安藤さくらは、オオアリクイとして来世を始めるか、もう一度自分の人生を赤ちゃんからやり直すか選択を迫られる。生きている間に沢山徳を積めば、来世は人間に生まれ変われるかもしれない。そう告げられた安藤さくらは2周目、3周目と徳を積むことだけに注視しながら人生を送るのだが、次第に色々な現実を知ることになる……というのが大枠のあらすじだが、この物語は徹底した友情物語である。普通30代の独身女が主人公となると結婚できないことへの焦りとか、そういった側面が必ず描かれるのに、これに限っては清々しいほどに主人公の恋愛模様は描かれていない。最初から最後まで“友達”の話であり、女友達という存在が主人公の人生の中心に据えられている。その潔さに、私は深く心を揺さぶられてしまった。

「一緒に老人ホーム入ろうね」というセリフは女同士でよく交わされる言葉だが、現実にはそんなのは無理だということはお互いに承知している。それでも私たちは言う。「年取って困ったら一緒に老人ホーム入ろうね」と。夢見るだけならいいじゃないか。夫に先立たれたら。子供がいなかったら。愛する人からの愛が、冷めてしまっていたら。そもそもそんな相手がいなかったら。独りぼっちだったら。私たちは人生の最後を、高校時代のあの帰り道みたいに友達と笑って過ごしたいのだ。

女同士の友情はライフステージが変わると脆いと言われるが、それはたしかに否めない。家庭を持つと時間の融通が利かなくなるし、会話のトピックもどうしても変わってしまう。現に私が仲良くしていた4人組も、全員で集まれるのは数年に一度といった具合だ。それでも一緒に過ごしたあの日々は、でっかい宝物として4人の心の中に鎮座していて、それはふとした瞬間に思い出として脳裏によぎり、口元を緩ませる。
そして年を重ねるごとに、彼女たちと同じ時を同じ場所で共有できたことが、どれだけ奇跡的な確率だったかということを痛烈に実感するようになる。ブラッシュアップライフでも、人生を何周もしているうちに、少しの歯車が狂って仲の良かったはずの友達とうまく同じグループになることができない回がある。人と人が近づいて友達になるのは、本当に偶然の産物なのだ。

友達は会う頻度なんかでは決まらない。ずっと会えてなくても、ライフステージが変わっても、ある時間を濃密に過ごした絆は決して色褪せない。私の場合、あの3人が教えてくれたことは「人生はナンセンス」ということかもしれない。真面目な話も深い話も山ほどしたが、最後にはいつもしょうもない話や下品な話に着地してゲラゲラ笑っていた。あの日々の思い出は、道に迷った時に自分自身を思い出させてくれるアンカーのような存在だ。死ぬ前に走馬灯を見るなら、私はあのバス停までの帰り道を見たい。そして思う。彼女たちを救うためなら、何度でも人生をやり直す。

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