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【エッセイ】母の日のババロア

私の父は料理をしない。父は亭主関白とは程遠いタイプだが、とにかく日常生活に支障をきたすほど絶望的に手先が不器用なのだ。少し手伝ってもらおうと台所に立ってもらっても、あまりの要領の悪さに見てる方が苛立ってしまい、「もういいから向こう行ってて」と自分から呼んでおいて即退場させてしまうのがオチである。

皿を運ぶだけでプルプルと手を震わせ、米を研ぐときは肩がガチガチに上がって米粒や水を周囲に飛ばし、包丁なんか握ろうもんなら人参一本切るのに何時間かかるかわかったもんじゃない。本人は幼い頃、母親に左利きを矯正された結果こうなってしまったと言うのだが、とにかく「慣れだよ」では片付けられないほど向いてない。父いわく、料理は手先の器用さだけでなく創作性やマルチタスク、あらゆる能力が問われるから家事の一環として括るにはあまりにもハードルが高いという認識だそうだ。まぁ、言いたいことはわかる。

そんな父が、人生で一度だけ自分から料理をしようと提案したことがある。私が小学校4年くらいの時の、母の日だった。
細かいことは忘れたが、母の日だからママに内緒で料理をしてあげようと父から言い出したのだ。普段ロマンチックなことは一切しない、とことん受け身な人である。今振り返っても極めて父らしくない提案だったが、私と弟は喜んで同意した。
父はこどもチャレンジだか何だかに載っていたレシピを持ってきて「餃子とババロアを作ろう」と言った。これも今思うと気色悪い組み合わせだ。
私たちはレシピを見ながら一生懸命作った。言うならば、何も知らない幼児3人で料理をしているようなものだから失敗は目に見えている。
それでも私と弟は興奮していた。何かものすごく壮大な秘密計画を遂行しているような、ドキドキとワクワク。喜んでくれるかな。びっくりして泣いちゃったりして。そんなことを想像しながら、慣れない手つきで餃子を包んだ。

さて、料理が完成し、いよいよ母実食の時が来た。3人で料理を作ったことを知り、母はお手本のようなリアクションをした。嬉しい嬉しいと言いながら餃子を美味しそうに食べる母の姿を見て、私は誇らしい気持ちでいっぱいになり、心の中でガッツポーズをした。
だが、ババロアで問題が起きた。完成したババロアは、スプーンが刺さらないほどカチカチだったのだ。ババロアというより、もはや石である。そうは言っても味は大丈夫なのではと期待を込めて食べてみると、ゼラチンの粉っぽさだけがザラリと口の中に広がり、飲みこむこともままならない。これほどに残念な味があるだろうか。
母は苦笑しながら「ちょっと硬いね」と言い、私たちに気を遣ってかスプーンを置くのを躊躇しているようだった。がっくりと肩を落とす私と弟とは対照的に、父は1人でヘラヘラと笑っていた。何とも言えない空気が流れる中、その年の母の日は終了した。

あれ以来、父が自分から料理をしたことはない。人生で唯一人に振る舞った料理、餃子とババロア。それは後に、我が家で鉄板の笑い話となった。母が毎日毎日当たり前にやってくれていた料理を、たった一度返そうとしただけ。あの日の失敗は、父と子供たちにとって母の偉大さを再認識させられる結果となったわけだから、ある意味で正しい母の日になったと言えるかもしれない。
「ほんとにカチカチだったよね」と、母は未だにあのババロアの話をする。何度も何度も、母の日が近づくたびに。きっと母にとっては100本の薔薇をもらうより、父が料理を作ろうとしたその心が嬉しかったのだろう。あの日の気まずい食卓と売れ残ったカチカチのババロアは、不器用な愛の形そのものだった。20年以上経った今振り返ると、おかしくて愛おしい、とっておきの家族のひとコマである。

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