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【エッセイ】すべての恋は失恋である

恋というものが、わからなかった。小学校の時も中学校の時も、クラスの友達が好きな人の話で盛り上がっている時、私はその輪に入ることが出来なかった。恋バナ、そして恋愛ドラマに恋愛ソング。この世は恋や愛で溢れている。そのすべてが遠い国の御伽話のようで、自分だけが世界の大きな秘密を知ることができないような、言いようのない孤独感に苛まれた。
みんなどうやって人を好きになっているんだろう。顔がかっこいいとか、スポーツができるとか?そもそも恋に落ちると言うくらいだから、誰かを好きになることに理由なんてないのかもしれない。考えれば考えるほど、ピンとこない。好きってなんだろう。

好きな人ができないと言うと「理想が高いんじゃない?」と必ず言われるのも、さらに私の自尊心を削った。そのたびに、身の程を知れと言われているような気がして「自分は選り好みできるような大した人間じゃない」と必死で自分に言い聞かせたりした。

高校2年の時、同じクラスの女の子に好きな人ができた。彼女は私と同じように、いわゆる“ずっと彼氏が出来ない組”の奥手な女の子だったが、恋をしてからというものの、目を見張るほど綺麗になっていった。
「彼氏ができたの?羨ましいな」と言うと、彼女は照れくさそうに「違うんだ、完全に私の片思いなの」と俯きながら言った。片思いだと堂々と言えることが眩しくて、その瞬間の彼女がとてもカッコよく感じたのを覚えている。

ついに私はちゃんとした恋愛というものを知らないまま高校生活を終え、大学に入学した。その入学式で、文学部の教授がこんな話をした。白髪の優しい眼差しをしたおじいちゃんの教授は、受験戦争を終えた開放感で浮き足立つ私たちに、恋の話をした。

うろ覚えだが、こんな話だった。

必死で勉強すればある程度結果はついてきますし、必死で働けばある程度お金は入ります。この世の中、環境がある程度整ってる人ならば、努力すればそれなりの対価を得られます。でも人間相手ではそうはいきません。どれだけ努力しても、恋の前では無力です。自分の持っているありったけのものを差し出しても、相手に気持ちがない時はそれまでです。そして、努力ではどうしようもならない、自分の非力さを知ることは、人生を生きる上でとても大切なことです。だから皆さん、この学生生活でたくさん失恋をしてください。そして良い人間になってください。

20年経った今も、この言葉をふと思い出す。
思い通りにならないことが恋の本質、はたまた愛の本質なのかもしれない。結ばれても結ばれなくても、結局愛は辛いものなのだ。10代の頃に誰かを好きになれなかったのも、傷つくことへの恐怖から無意識のうちに心にストッパーをかけていたからかもしれない。今もまだ愛を語れるほど心が成熟したとは言えないが、少なくとも昔より少しだけわかってきた気がする。追うとか追われるとか、モテるとかモテないとか、そういうところに恋の本質はない。誰かのことを考える時間、心を巡らせ想像する時間。その時間が長いほどに恋の沼は深く、自分の無力さを受け入れることで愛を知ることができるのかもしれない。
誰かを愛することで人は謙虚になる。
傲慢にならずに、落ちていく勇気を。自分が惚れた人ならば。


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