初

百人百首 #1

たまたま週2回程度通っている本屋さんで見つけて気付いたら購入した本。私は=で成り立つものが好きな割に、思考としては=で成り立たないことばかりを無意識に好んでいる。その中でも、ここ最近は感情や言葉について毎日毎日考えていた。そんな中、今読むべきなんだよと言われているかのように運命的に出会ったのがこの百人一首だ。一個ずつ一個ずつ感じるものがあったので残していきたい。

1句目

「秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ
わが衣手は 露にぬれつつ」

繰り返していくことで鈍くなっていき、鈍くなっても平気なものを「日常」と呼ぶならば、繰り返し続けることが怖いなと感じた一句。(本の中で「何かに鈍くなること」=「日常」という仮説が立っている)
秋の夜に一人で浸かっていると、このまま夜に引きづりこまれてしまうのかも知れないというちょっとした不安と、夜があれば朝が来るという繰り返しの中の経験からくる安心をこの時代の人はもっと感じれたんだろうな…。

2句目

「春過ぎて 夏来にけらし 白妙の
衣干すてふ 天の香具山」

万葉集と百人一首で描かれ方が違う句。百人一首になった途端「〜らしい」みたいな描き方になっている。時間が経つにつれて「〜だったらしいよ」みたいな言い方するじゃないですか。それですそれ。正直、私は「〜らしいよ。」を鵜呑みにするのは限りなく好まないです。実際に見たり体験しない限りそれは常時「真実」になり得ないと思う。なり得ないで欲しい。怖いから。でも、季節とか曖昧なものに関しては難しいなぁ〜こんな感じかな〜〜なんてやっと思えるんだよな…。
ちなみに、どうやって季節を自然を世界をどの感性でピント合わせていますか?
私は匂いと空気の重さで、持統天皇は文化風景で合わせようとしたみたいです。

3句目

「あしひきの 山鳥の尾の しだり尾の
ながながし夜を ひとりかも寝む」

これを読んで作者は声に出して詠み、鑑賞したくなったそうだ。
CDを買う行為に近いな〜と思った。まずは耳から聴く。この時は止まってくれない。言葉が流れていく。そのためにたくさんの想像が膨らむ。言葉としての理解から少し離れた状態になる。
一方、歌詞カードを見てみる。そうするといくらでも見返せて、フォント、写真やイラスト、紙質がある。そうすると嫌でも制限がかかるので、想像は一定膨らむが系統が出来上がりがちになる。その状態になって、やっと言葉としての理解が進む状態になる。
この句を読んで、本質に触れるまでの行為が好きな理由がやっとわかった。

4句目

「田子の浦に うち出でて見れば 白妙の
富士の高嶺に 雪は降りつつ」

想像していますか?そこにはないもの、目の前で見えているわけではないものを想像できてますか?
想像して世界を広げていますか?空白を埋めるための想像していやしませんか?
私は最近あまりよくない想像をしてしまったりもします。人間っぽいな。

5句目

「奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の
声聞くときぞ 秋は悲しき」

人間はすぐ何かに自分を重ねたがるな〜〜って正直思ってしまった一句。
よく「これ私みたい・・・」みたいなことをツイートとか記事とかに言っているのを聞くのですが、「いやいや、なんで共感共振できるの・・・?重ねられるの・・?同じじゃないじゃん・・・」って思っちゃいます。
まぁそれはさておき、秋は悲しい季節という見方で百人一首には出てくる。風が冷たくなって夜の時間が長くなると悲しいのかな?秋って悲しいの??私の秋はホッとして、愛おしいよ。

6句目

「かささぎの 渡せる橋に 置く霜の
白木を見れば 夜ぞ更けにける」

私たちが生きて見えている世界は現実だけど、誰かにとっては現実じゃないってこと忘れがちじゃないですか?ていうか、見えてることって本当に現実なんですか?天の川に霜がかかってるなんて、みえやしないけど、本ようにしたくなっちゃうような気持ち、ずっと忘れたくないな…

7句目

「天の原 ふりさけ見れば 春日なる
三笠の山に 出し月かも」

この句でいう月は、現在でいうエモいとかいう言葉なんじゃないでしょうか?月に懐かしさと誰かと繋がってるような感覚を感じているあたりが…このころの月は今と比べてどうだったんだろう?でも、比べたくないな。なんてことを思った。今日も月が綺麗ですね。

8句目

「わが庵は 都の辰巳 しかぞ住む
世をうぢ山と 人はいふなり」

この句は掛けに掛けてあって面白い。まあ、そこよりも人の噂ってどうなんですかね。まあ、あることないこと流れたりするものなんですけど、それに対してどう処理できるかが大切だなって20歳くらいで私は分かれました。本当なんて自分の目の前で起きてることでしかなくて、それを信じるしかないわけで、それに嘘も何もないんです。そんなに強く生きれないけどね。

9句目

「花の色は 移りにけりな  いたづらに
わが身世にふる ながめせしまに」

桜は咲いてる時が一番綺麗って言われてますが、実際どうかな?
儚くて、瞬間を留めて起きたいものに人は弱いな〜なんて思いながら、本当にそれを見ているのか?なんて疑問が湧いてきちゃう。瞬間を伝えるのは難しいけど、そこにも儚さがあって最近は好きです。

10句目

「これやこの 行くも帰るも別れては
知るも知らぬも 逢坂の関」

たまに全く知らない人なんていなくなっちゃうんじゃないかっていう怖さにかられる時があるけど、逢坂の関ではどうだったんですかね。
出会っては別れを繰り返し忘れられていくの、私はまだまだ得意でないです。忘れられたくないなってずっと生きてきたけど、最近は思い出されたいなに変わって来れたけど、やっぱりなるべく忘れられたくないです。繰り返して日常になって忘れていくなんて、寂しくて冷たくなっちゃうような気がする。


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これで10分の1な訳で…読めば読むほどハマっていく…
気が向いたら続き書こうって思ってます。
今日も夜が迎えにきたけど、暗闇と身体って溶け合うのかな

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