#15 #LLVR [a Like Love within a Virtual Realm]
久しぶりに心臓がドキドキわかるくらい脈打っている。胸に手を当てると振動しているのではないかと思うくらい。浅くなっていた呼吸に気づいてあたしは一旦呼吸を止め、ゆっくりと深呼吸をした。一度深呼吸した程度ではその息苦しさは解けないが、この息苦しさは今必要な気がして深呼吸をやめた。
「ナナさん」
普段のワールドとは別のワールドにナナさんを呼んだ。確認するためだ。ナナさんが、一体何を考えているのか。何を思っているのか。何を考え何を思って、あたしの傍にいてくれるのか。
「どうしたの、改まって」
ナナさんは普段よりも落ち着いたトーンで答えた。普段通りの明るい感じで、さっくりと答えてくれた方がまだ緊張せずに済んだだろう。
「あの、ね」
「うん」
今までとは違う、落ち着いた、柔らかく優しい声。そうだ。あのとき。アインの代わりに優しくすると言ってくれたときもこんな感じの声だった。
「――っあ、」
「告白するの?」
ナナさんは淡々と言った。柔らかな声が逆に怖くなって、あたしは両手を握った。
「アインさんに、告白するの?」
何かが喉に詰まる。ごくりと唾を飲み込むとその音は嫌に耳に響いた。あたしはそれを誤魔化すように首を横に振る。
「ナナさんに、聞いてみたいことが、あって」
「うん」
はーと息を吐く。苦しい。言葉が胸に詰まっている。酸欠でクラクラしてくる。
「――ナナさん、は」
「うん」
「……っ、あ、あたし、が」
涙が滲んできて視界が歪む。おかしいな。こんなとこで泣くはずじゃなかったのに。なんで涙が出てくるんだろう。そんなに怖いのか――自分に優しくしてくれる人を、失うのが。
「アインに、告白しても」
「うん」
「それで、っふ、ふられても」
「うん」
「その、い、ま」
苦しい。涙が出て声も湿ってきてぐちゃぐちゃになりそうなのを、どうにかこらえる。
「今まで通り、仲良くして、くれ、ますか」
あたしは言い切るとVRヘッドセットをずらして涙をぬぐった。今ナナさんがどんな表情をしているのか、見たくない。
「今まで通り、ってのは、優しくしてほしい、ってことかな」
あたしはうんと頷こうと思ったが擦れた声はマイクに入らず、首を縦に振って頷いた。
「アインさんにふられたら、優しくしてくれなくなるって思ってるんだ」
黙ってうなずく。
「んー、んんー」
ナナさんは何やら呻いていた。ヘッドセットを被り直してナナさんの方を恐る恐る見る。ナナさんは腕を組んで首を傾げていた。
「たしかに、たしかに僕は恋してる子が好きだって行ったし、その感情でぐちゃぐちゃになってる子が好きだとも言った。うん。言ったね。これは僕が悪いな」
半分ひとりごとのように、ナナさんは話す。
「うーんと、僕は別に失恋した子が嫌いなわけじゃなくて、いや違うな、ええと、違うな」
えーっと、とナナさんはぐるりと首を回した。
「僕は確かに、恋してる子が好きで、自分の感情に溺れてる子が好きで、だからスリーちゃんを好きになったわけだけど……それば、僕以外の人を好きだから好きになったわけじゃないし、片思いで苦しんでるから好きになったわけじゃ――いやこれはそうとは言い切れないか、いやともかく、僕が好きになったのはスリーちゃんなんだよ」
うん、と自分の言葉に納得した様子のナナさん。
「そう、スリーちゃんが好きなんだよね。んで僕の恋は叶おうが叶わなかろうが別にいいんだよ。対象が僕であれ他人であれ恋してるところを見るのが好きなんだから。んでそれが何故かっていうと、恋愛って特に感情的になる出来事じゃない。だからその人の人間味が見れるのが好きなんだ。つまり、恋愛でぐちゃぐちゃになるくらい普段から感情を持ってる子が好きっていう話なんだよ。そんでスリーちゃんはそういう子だと思ってて、恋愛以外のことにもきっと全力で感情を持つ子だと思うんだよね。だから好きなんだよ」
「え、っと、つまり……?」
「好きだよ、スリーちゃんのことが。別に誰かに告白してふられたって、構わないよ」
あたしは安心して足から力が抜けてしまい、その場にしゃがみこんだ。
「わ、ちょ、スリーちゃん大丈夫⁉」
「よか、った」
「ごめんね。なんか、こう、説明が下手クソで……アインさんの代わりに優しくするって言ったけど、別にそのアインさんがいなくなっても優しくするよ。だって僕はスリーちゃんが好きで優しくしてるんだもん。だから、大丈夫」
ナナさんがいつものように、いやいつもより優しく、あたしの頭を撫でてくれている。ぬくもりを感じないこの世界で、このぬくもりを失いたくなかった。それがたとえあたしのワガママだとしても、失うのが怖くてたまらなかった。
「ごめん、ごめん、なさい」
「なんでスリーちゃんが謝るの」
ナナさんは苦笑した。
「いいよ。告白しておいで。ふられたら思いきり慰めてあげる」
「ありがと……ありがとう」
酷いヤツだ。自分が好きだと言ってくれる人を利用して、自分が失恋したら慰めてくれだなんて。自分がナナさんの立場だったら確実に怒っている。それくらい無茶を言っている。何も感じず利用できるような人間の方が、生きるのは楽だろう。でもこんな人間だから、ナナさんは好きになってくれた。そう思うと、少しだけ、ましに思えた。
アインのアイコンを押す手がひどく震えていた。ポインターがひどくぶれて全然押すことができない。まるで下手くそなスナイパーだ。これじゃ全然殺すことができない。あたしは一度メニューを閉じてVRヘッドセットを外し深呼吸をした。心臓がバクバクいって破裂しそうだ。自分の手のひらを見ると親指の付け根辺りの手首に透ける血管が心臓の鼓動と共に動いている。手を何度か握ってみてもそれは変わらなくて、あたしは諦めたまたヘッドセットを被った。メニューを開く。フレンドリストを開く。アインを探す。アインを呼ぶ。わかっている。頭ではわかっている行動。だけど、怖くて、震えてしまって、なかなかできない。悲しい。悔しい。フラれるのがわかっていて何故告白するのか。玉砕覚悟で、ぶつかってはじけとんで。そのかけらをひとりさみしく拾い集めるのだ。でも、砕けないと、次に、進めない。ずっとこのまま停滞して何も変わらず、渦巻く感情に飲み込まれてまた苦しんで、誰かを傷つけたり迷惑をかけたりしてしまう。そこから変わるために、けじめを、つけないと。
「――は、ぁっ」
大きく息を吸って、吐きながら勢いでボタンを押した。アインに通知が行っただろう。行ってしまっただろう。あとはアインが、今の時間空いていればおそらく、来てくれるはず。
待ち時間がやけに長く感じる。息をするたびマイクアイコンが点灯していたためマイクを一旦オフにした。息が荒い。喉が苦しい。胸が潰される。誰か助けて。いや助かるために、助けてもらうために今動いているのだ。お願いだから、早く、終わってくれ。
チリン、とワールドの入室音が鳴った。心臓が飛び跳ねて、口から吐くかと思った。
「ア、イン」
「やあ、スリー」
頼む。少しだけ心臓よ静かになってくれ。あたしは片手で胸を押さえた。
「――どうしたの?」
「っあ、あの」
アインは構えている。何かを構えている。きっと、想像がついていることだろう。今からあたしが何をするのか。
「聞いて欲しい、ことが、あって」
「……うん」
アインは少し躊躇った。お願いだから普通にしていて。お願いだから、すぐ、終わらせて。
「あ、あた、し」
「……」
「アインの、ことが、すき」
言ってしまえば思ったよりなんともなかった。たった二文字だもの。短く息を吐いてそこで声帯を震わせるだけだもの。
「……ナナさんと、付き合ってるのかと思ってた」
「ナナさんは、違うの。でも、あたしのこと、好きだって、言ってくれて」
「うん」
「優しくして、くれて……でも、あたしが好きなのは、アインで」
「うん」
ぽろぽろと、涙がこぼれてきた。泣くつもりはなかった。泣きたくなかった、のに。
「優しくて、かっこよくて、好きで……迷惑かけることもしちゃって、ごめんなさい」
「うん」
「ごめん、あたしなんかが、好きになって、ごめん」
しゃくりあげながら、言葉を紡ぐ。かっこ悪い。でも、止められない。
「ごめんなさい、でも、好きです、好きなの」
「――スリー」
アインの声は、ひどく優しい声になった。やめて。今そんな、優しい声、出さないで。
「気持ちは嬉しいけど、ごめん」
「――うん」
「スリーとは、付き合えない」
「……うん」
「ごめんな」
泣きだしそうになるのをこらえる。もう涙はこぼれてしまっているけど、もう声が掠れているけど、これ以上ひどくならないように。
「あり、がとう、聞いて、くれて」
「うん」
「アイン」
「うん」
「しあわせに、なって」
「……ありがとう」
「じゃあ、あたし、一回落ちる、から」
「――スリー」
「……はい」
「スリーも、幸せに、なってくれな」
「――っ、あ、ありが、とう」
これ以上はだめだ。急いでバリスからログアウトしてヘッドセットを外し、膝を抱えた。声を押し殺して泣く。涙は防波堤が決壊したように流れ出て止まらない。体中の水分が涙になりたがっている。干からびるまで、止まらないんじゃないか。別にいい。干からびて死んでしまっても。もういいんだ。もう。
仮想の世界で抱いた想いは理想に憧れて空想になって、現実の前に儚く散った。
アインにフラれてから一週間が経った。入る気が起きなくてVRヘッドセットにうっすら埃が積もり始めていた。本当にやめる気があるならとうに売っている。でもまだあの世界に憧れはあって、手放せないでいた。
もう忘れられてたり、しないかな。
いっそその方が楽かもしれなかった。VRの世界での一週間は、長い。だからきっとあっちではもう一ヶ月くらい経った感覚で、スリー?ああそんな子もいたね、くらいになっていないだろうか。
なんとなくそんな期待をして、久しぶりにヘッドセットを被った。
入った瞬間飛んできたのは、ナナさんからの招待メッセージだった。『元気⁉』とだけ書かれて、あとはボタンを押したらナナさんのいるところへ飛べる。少し迷ってから、ボタンを押した。
「スリーちゃん~~~‼ 元気だった⁉ 大丈夫⁉」
抱き着かんばかりの勢いでナナさんが駆け寄ってきた。他の人は見当たらず、このワールドにはあたしとナナさんの二人だけのようだった。
「前話してから全然インしてなかったから、やめちゃったのかと思ったよ~~~!」
「うん……ごめんね、ナナさん……入る気が、起きなくて」
「そうだよね。そりゃあ嫌なことがあったら入りたくないよ。無理しないでね」
よしよしとナナさんが前と同じように撫でてくれる。やはりこのあたたかみのないぬくもりが、落ち着く。
「大丈夫。ナナさんが相変わらずで、安心した」
「うん。良かった!」
「他のみんなは、変わりない?」
「うん。みんな、いつも通り。――でも」
「でも?」
ナナさんは少し首を傾げた。
「アインさんが今仕事が忙しいとかであんまり入ってないんだよね。スリーちゃんと話した後からだから、本当に仕事かなぁ? ってちょっと心配してるところ」
「……そっか」
私のせいだったらどうしよう。どうしてもそこは不安になってしまう。
「まあスリーちゃんの件は本当に関係ないと思うよ。仮にそうだとしてなんで君が休むのって話だし。アインさんそういうタイプではなさそうだし」
「そう、かな」
「そうだよ。だとしたらもうやめてそうだし。前にも彼女と別れたこととかいろいろあったんでしょ? でもその後いなくなったりはしてないみたいだし、大丈夫じゃないかな。僕が勝手にそう思うだけだけど」
ナナさんは明るくそう言ってくれた。
「――ナナさん、は」
「ん?」
「元気、だった?」
なんてことない問いなのに、妙に緊張してしまう。
「元気だけど元気じゃなかったよ~~~。だってスリーちゃんが姿見せなくなっちゃうんだもん。心配したよ!」
「心配、してくれたの」
「そりゃあするよ。なぐさめてあげるって言ったのにインしてくれなきゃなぐさめられないんだもん。こういうときバーチャルだけの繋がりだと弱いねー。押しかけることもできないし。それが良いところでもあるんだけどさすがに今回はもどかしかったなぁー」
「そっか……ありがとう」
ふっと体から余分な力が抜けた気がした。
「でも戻ってきてくれてよかった。思ったより元気そうだし」
「うん。あたしも、なんか、自分が思ってたより落ち込まなくて、びっくりしてる」
ぽっかりと穴が空いたようになると思っていたのに、むしろ重石が取り払われたようだった。あたしの隙間を埋めてくれるものだと思っていたが、いつの間にかただの重荷になっていたらしい。
「じゃああとは、スリーちゃんが僕のものになってくれるのを待つだけだなー」
「な、なにそれ!」
「言ったでしょ」
ナナさんは満面の笑みを浮かべた。
「僕はそういうスリーちゃんが好きなの!」
こんなめんどくさいやつの、どこがいいんだろう。そう思いながら、けれど、ナナさんの言葉は、今のあたしを救う言葉だった。