#01 #LLVR [a Like Love within a Virtual Realm]
今年はやったことのないことをやってみよう、と思い、年末のボーナスで購入したのは最近話題のVRキット。寒さの厳しくなってきた一月、私は四季などないVRの世界へと踏み入れた。
VRヘッドセットを被り勇気を出してこのVRのゲーム、〝Virtual Realm Space〟(通称VRSまたはバリス)をはじめてみたものの、早々にそれまでのゲーム機とは全く違う操作感と視界に戸惑うことになった。とりあえずチュートリアルが書かれている場所に来たのだが、専門的な用語が多く固まってしまった。バリスはワールドと呼ばれる空間がいくつもあり、それぞれにアクセスすることでいろんな場所へ行ける。例えばこのチュートリアルであったり、ゲームがプレイできるところであったり、のんびり休むだけの場所であったりなど、本当に様々だ。その辺りは調べてきていたが、操作に関してはさらっと見ただけで、行けばわかるだろう、と高を括っていた。元々操作感などは触って覚える派なので、序盤にいろいろ設定だのなんだのを覚えなければならないこのシステムに、既に心折れそうになっていたのだった。チュートリアルらしいチュートリアルはなく、個人でチュートリアルが書かれているワールドへ行って覚えてね、というものだとは調べて知っていたが、思ったよりも覚えることが多い。昨今のユーザーに優しいゲームとは何やら違うらしい。
「こんにちは! もしかして、このゲームは初めてかな?」
操作説明が書かれている板の前で呆けているデフォルトアバターの味気ないロボットの姿である私に声をかけてくれたのは、茶色のストレートヘアに青い目をした、春らしいカーディガンをルーズに着たお姉さん風のアバターの人だった。彼女――いや、声は男性なので〝彼〟が正しいのか――は整った顔でこちらに手を振っていて、声をかけられたのは私で間違いないことを示しており、彼はゆっくりとその足を動かして私の方へと歩み寄ってきた。
「あ、え、えっと……」
「あ、ごめん、急に話しかけちゃったから、怖かったかな」
彼の顔がにこりと笑顔になる。私が警戒心を抱いたように見えたのか彼は一歩後ずさった。フルトラッキング、というやつなのだろう、足まで綺麗に動いている。バリスはゲームやイベントもできるが人とのコミュニケーションが主だと調べたサイトには書いてあった。人見知りを少しでも克服したいという思いもあってこのゲームをはじめたのだから、ここで引いては意味がない。私は音を立てないよう唾を飲み込んで、次の言葉を探した。
「――あ、っと、そもそもVRのゲームがはじめてで、ちょっと、その、わかんなくて――」
「そうなんだ! VRがはじめてならなおさらわかりづらいよね。良ければ案内しようか?」
「え、いいんですか」
「いいですよ」
このバリスには初心者案内という文化がある、ということを、彼は初めに教えてくれた。てっきりバリスの会社の人なのかと思ったが、プレイヤーが慈善事業的に行っているらしい。
「へぇ。ユーザーがそんなことするなんて、珍しいですね」
「こういう系のゲームは大体そうみたいだよ。これと似たゲーム、他にもあったでしょ? あれらもチュートリアルはユーザーがやってるんだって」
「へぇー。そうなんだ……」
「チュートリアルないからわかりづらいよね。だからみんな教え合う文化になったみたい」
このチュートリアルワールドも有志の人が作っているらしい。思ったより優しい世界のようで、私はこっそりと安堵の息を吐いた。他にもバリスのようなゲームはあったが、一番の有名どころの方がわかりやすいのではないか、とバリスを選んだ。マルチプレイのゲームをあまりやらない私にとって、オンラインで遠くの誰かとやるゲームは協力プレイか対戦プレイというイメージが強くて、ここもそこそこに厳しい世界ではないかと思っていた。けれどここは違うらしい。
「このゲーム、どんなふうにあそんでらっしゃるんですか?」
「いろいろだよ。フレンドとおしゃべりしたり、謎解きゲームができるワールドで遊んだり、各々のアバターの写真を撮ったり」
「アバターの写真?」
「そう。アバターは色や髪型や衣装が変えられるから、それで着せ替え人形みたいにして遊ぶ人も多いよ」
着せ替え人形というとそれは違うと言う人もいるけどね、と彼は笑った。
私は彼の頭上に表示されているネームプレートを見て、彼の名前を確認する。
「えっと、アイン、さんの、そのアバターも?」
「あ、ごめん自己紹介してなかったね。アインです。趣味はアバター改変」
彼は手をピースサインにしてにこ、と笑い、先程の私と同じく私の頭上を確認した。
「ノルさん、でいいのかな」
「はい、ノルです。アバター改変って難しそうですけど、そうでもないんですか」
ゲームのキャラメイクが好きな私にとって、アバター改変はキャラメイクと似たようなモノなのだとしたら俄然興味が湧く。私は思わず前のめりになった。
「んー、最初は覚えることがたくさんで大変だけど、慣れちゃえば楽しいよ。現実と一緒で、いや、現実よりいろんなファッションが楽しめるかな。これは僕の主観だけど」
「へぇ……」
私の予想は概ね当たっていそうだ。この世界ではそこらのゲームよりキャラメイクが細かくできる。それだけでこのバリスをもっとやってみたいと思った。
「アバター、興味ある?」
「あります。キャラメイクするゲームはかなりキャラメイクに時間がかかるので……」
「じゃあそれも教えてあげるよ」
「いいんですか⁉」
「もちろん」
今思えば本当に優しい人に最初に会えて良かったと思う。けれど同時に、ここまで優しい人を知らなかったらこんなにこのゲームにハマることもなかったと思う。それは良かったのか悪かったのか。私にはわからない。
初心者案内を受けてから、アインさんにいつでも来ていいよ、と言ってもらえてフレンド交換をし、彼のところへよく行くようになった。アインさんのフレンドさんたちも優しい人と面白い人ばかりで、私はすぐに馴染むことができた。アインさん達はよく、リアルの世界の眩しさから逃れるように青色の照明が照らす広めのワンルームのような部屋のワールドに集まっていた。そこで主にアインさんに、アバターについて教えてもらっていたが、アインさんがいないときは他の人が代わりに教えてくれた。とりあえずおすすめはこれ、と教えてもらったアインさんと同じアバターを買って、そのアバター対応の髪型や衣装を探す。現実の衣服よりは安いものの、意外と金額はする。私はとりあえず二ヶ月分のおこづかいをそれに費やすことにした。試しにやってみないことにははじまらないからだ。
彼らが表情を変えるときに手をピースにしたり開いたりするのは表情が手の形と連動しているからだと知ったのは少し後だった。その表情も変えられるというので、アインさんに頼んで教えてもらった。バリスをはじめて二ヶ月。寒さも去り始め外では桜が開花し始めた三月、私はようやくしっくりくる私の〝体〟を手に入れたのだった。私の好きなグレイアッシュの髪に水色の瞳、甘めになりすぎないコーデにシンプルなアクセサリーを合わせた。いろいろ迷ったのだが、結局、自分の好きなアニメキャラクターを参考にしたものが一番気に入ったので、これが私の、バリスでの姿になった。
「可愛くなったね」
「ありがとうございます」
「前も言ったけど、別に敬語じゃなくていいのに」
「いえ、アバター改変の師匠なので」
「そんな大それたものじゃないんだけどなぁ」
彼は笑顔のまま軽く私の頭を撫でてくれた。触られるの平気? とつい最近聞かれて、大丈夫だと答えると彼は私の頭を撫でてくれるようになった。といってもそんなに頻度は多くない。こんなふうに改変が上手くいったときだとか、現実の仕事がツライと弱音を吐いたときだとか、そういったときに撫でてくれる。ここに感触はないはずなのに、なんだかむずがゆくなる。とはいえこれは私だけへのコミュニケーションじゃないことは理解していた。リアルの友達に、バリスでは男性がよく人とのコミュニケーションで頭を撫でたりするんだけど何故だろう、と疑問を零したことがある。すると彼女は、男性は慢性的にそういったコミュニケーション不足なんだろう、現実じゃなかなかできないからね、とクールに言い放ったのだった。けれど確かになるほど、と納得できる回答だった。
「明日早いから落ちるわー」
「あ、お疲れ様です」
「おやすみー」
おやすみ、と一人のフレンドが落ちた後、俺もそろそろ落ちるかな、と呟いて私とアインさん以外のフレンドが落ちてしまった。稀にあるのだ。私とアインさんは仕事上起きる時間が少し皆より遅いから、遅くまでインしていられる。
「バリス、楽しい?」
「え? はい、楽しいですよ?」
「よかった」
アインさんはそう笑って私の頭をまた撫でた。
「何かあったんですか?」
「んー? なーんにも」
嘘だ。直感が囁いた。けれどこれを言っていいものか、迷う。直感というだけで、確信はない。それに人間関係のトラブルなんて、深堀りされたくない人が大多数だろう。私はそれ以上深くは聞かず、適当な雑談を一時間ほどして、落ちた。
「ノルちゃん随分かわいくなったよね」
「……え⁉」
アインさんのフレンドであるディーさんに、現実では言われたことのないようなセリフを言われて私は驚いた。私に言われたわけではないんじゃないかと反応が遅れてしまうほどに。
「アインの好きそーな改変してる」
「え、そうなんですか」
アインさんの好みなど知らないので、偶然だと思うのだが。
「なんだ、そういうわけじゃなかったのか」
くくく、とディーさんはいつも通り寝転がった姿で笑った。すこし灰色ががったオレンジ色を基調とした服を身に纏った獣耳と尻尾の生えたアバターを着ているディーさんは、アインさんとはバリスを始めた頃からの結構長い付き合いらしい。アバターの獣耳がピコピコ動いている。肩紐が片方ずれ落ちているオーバーオールで寝転がっている姿は、家主の許可なくどっしり住み着いた野良猫のようだ。
「そういうわけ、って?」
「アインのこと好きだからアイツの好みの改変にしたんだとばかり思ってたよ」
予想外の言葉に私はそう見えただろうかと首を傾げた。
「いえ、違います。アインさんの好みとか、知らないし」
「でもノルちゃんに改変教えたのアインでしょ。それとなく誘導してたりして」
「まさかぁ」
「だよなぁ。んなわけないかぁ」
あんなことがあったわけだし、とポツリとディーさんは呟いた。
「あんなことって、なんですか」
「あーいや、まあ、前の彼女といろいろあったらしくて」
この話は内緒ね、とディーさんは唇に立てた人差し指をあてた。
ディーさんにはそれ以上のことは教えてもらえなかった。気になりはするけど、でも私が顔をつっこんでいいものでもないだろう。けれど、好みになったんじゃないか、と言われると、アインさんが私をどう思っているか気になってしまう。だからといって直接聞けるものでもない。アインさんの好みの改変になったからといって、どうなるのだろう。アインさんが視覚的に楽しめるだけで、外見だけ好みにしても意味はない気がする。
「おつかれー」
「あ、おつかれさまです」
今日はインした時間が少し早く、誰もいなかったので一人でワールド巡りをしていたところにアインさんがやってきた。
「ワールド巡り中?」
「はい」
「いいね。良いところあった?」
「写真映えしそうなところがいくつか」
「おー。あとで教えて」
「今行きますか?」
「いいの? じゃあ行こう」
私はポータルを開いてアインさんに続いて入る。ローディング画面に切り替わり、そして綺麗な桜並木が視界を覆った。リアルでは桜が開花した後すぐ大雨が降って、満開の桜が見られた期間は非常に短かった。けれどバリスなら、いつでもみることができる。そういう季節のものをより楽しんだり、時期じゃない季節のものを楽しんだりできるのもバリスの醍醐味だ。
「おー綺麗。春の写真にはぴったりだね」
「でしょう」
「写真、撮ろうよ」
「撮りましょう」
「ここに合うアバターがいいかな……んで二人で撮れるやつ……これかな」
そう言ってアインさんが変わったアバターは、初めて見る男性アバターだった。露出度高めの衣服が多い中、私のロングスカートにシンプルなTシャツ、それにデニムジャケットというリアクロ寄りのファッションに合わせてくれたらしい、薄手のジャケットにジーパンの姿だ。
「アインさん、そういうアバターも持ってたんですね」
「一応、ね。前はよく使ってたんだけど、最近はその子がマイブームだから」
アインさんは、アインさんも使っている同じ女の子アバターの私を指さした。
「こっちの姿は嫌?」
「嫌、ではないですけど、なんか不思議な感じです。アインさんじゃないみたい」
「会ったときからそのアバターだったもんなぁ」
ははは、とアインさんは頬を掻く仕草をした。
「俺じゃないみたい、か」
そうひとりごちてアインさんはカメラを取り出し自分の方へ向けて、じっくりとその男性アバターを着ている自分を眺めた。
「うーん、このアバターはもう使うのやめるかなー」
「どうしてですか?」
「いろいろあって。個人的には気に入ってるんだけど、このアバターに詰まってる思い出がね、ちょっとね」
「思い出、ですか」
「そう。思い出。でもアバター自体は気に入ってるしなーと思ってたけど、やっぱり使うのやめるかぁ」
あとで全部消そう、とアインさんはまた独り言のように呟いて、いつもの女の子に戻った。
「そっちの方がアインさんらしくて好きですよ」
「……はは、ありがとう」
アインさんはいつものように、少しだけ私の頭を撫でた。
そうか。アバターには思い出が詰まるものなのか。確かに現実でもこの服装で過ごした思い出があればその思い出は服を着るたび思い出すものだ。じゃあきっとこの先、もし新しいアバターに私が変わったら、このアバターにはアインさんやディーさんとの思い出が詰まったものになる。考えたくはないけど、もし何かあったら、嫌な出来事が起きたら、このアバターに、もしくはこのアバターに着せている髪型や衣装にその思い出が入ってくるのだろう。でもそれって、現実の自分よりも楽じゃないか。だってアバター自体変えてしまえば、それこそさっきのアインさんみたいに性別ですら、なんなら人型かどうかですら変えられるのだから、自分を見たときに嫌な出来事を思い出しづらくなるんじゃないか。アインさんみたいに、さっきの男性アバターに嫌な思い出が詰まったら新しい女の子アバターに、なんて変化していったら、変化していくだけ、元の自分から遠ざかれる。それはこの世界の強みな気がした。でも――
「――上書きするのも、ありじゃないですか」
「上書き?」
「嫌な思い出が詰まってるなら、これからどんどん使っていって、良い思い出で上書きしちゃう、とか」
ぱちりと、アインさんのアバターが瞬きをした。
「――なるほど。いいね、その考え」
じゃあ、とアインさんはアバターを男性に戻した。
「これで写真、撮ってくれる?」
「もちろんです」
いつもよりも身長差があってカメラの位置が難しい。それを察して、アインさんは少し屈んでくれた。
「これでいい?」
「あっはい。大丈夫です」
アバターが違うだけでなんだか纏っている雰囲気が違って、少し緊張する。
「撮るよ」
「はい」
もしリアルにこんな恋人がいたら、こんなふうに写真撮れるのかな。なんて、私はその光景に少し憧れを抱いたのだった。
挿絵:深水渉(https://x.com/wataru_fukamizu)
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