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HSP考察(1)HSPとスピリチュアル性


HSPとは何か?シリーズ(1)〜(6)までお読みいただいた方ありがとうございます。ここからは解説ではなく、私自身が個人的に思うことを中心にしてHSPの特徴を述べてみたいと思います。

HSPはスピリチュアルな人か?

これを読んでるHSPのあなた、これまでの人生で度々『とにかく知っている』『理屈では上手く言えないのだけど、とにかくよくわかっている』『みんなは見えてないようだけど私には見えている』『他の人は気にもしていないようだけど、私はこれの存在をとても感じている』『人より速く意味がわかる』……ということが多くありませんでしたか? 一見「不思議」「あり得ない」と見なされてしまうようなことがあなたの身によく起きてはいないでしょうか?

目をつぶって自分の過去を、素直な感性でよく振り返ってみてください。

こうした不思議な感覚は科学的にいって価値がないように思え「否定」したり「抑圧」したりしてきたHSPのあなた、そんなことは考えたって仕方ないことだ、そもそも理屈で収められないことに注意を向けても意味がない、なんて思ってきたHSPのあなた、まだこちらの本を読んでいませんね?

原題から素直にタイトルを捉えると、HSPに与えられた4つのギフト、ということです。これを読まずしてHSPの全貌は理解できないと私は強く思っています。

いまやHSPの能力は科学的に解明され始めています。HSPは高感受性人間です。〝感じる才能〟を持つ人のことです。他の人が感知できない些細なものまで、高感受性で拾い上げてしまいます。これを上の本の著者は「変則的感覚」と呼んでおり、人間の知覚の正常な範囲を超えるような敏感性を体験することを指します。HSPはこの珍しい、変則的感覚を体験する確率が非常に高いのです。目で見えるものや理屈以上のものを理解してしまいます。HSPには、(アーロン博士の言うとおり)もっと「自分の内なる声」に耳を澄ませて自身の真実の姿を直視されることをお勧めしたいです。

HSPが持つ五感を超えた〝超能力〟とは?

高次の意識状態を利用して、この宇宙における現象が、離れた場所にあっても相互に絡み合い、影響しあっているという現象を知覚できる能力のこと。

日常的な意識とはまったく異なる高次の意識状態で、強い至福感を伴う恍惚状態であったり、世界との一体感であったり、全知全能感(ノエティック・ダウンロード)であったりする。

カール・ユングは、意識状態(意識的思考と無意識の思考)に注意を向ければ、そこに心的エネルギーが流れるとした。

『繊細さんの四つの才能』より抜粋、要約。
※太字は筆者による。

──え、つまりHSPはスピリチュアルな人であることを大っぴらに認めろ、ということ?

社会に対し公表することなど問題ではありません。まずは自分の「身体と心の中」を覗いてみてください。

今回は科学とスピリチュアルの関係について、私個人が思うことをまとめる回です。もしお時間があれば、ぜひあなた自身の考えや感覚と照らしながら読んで何かの参考になさってください。同時投稿した(2)では上のリンクにある本の概要を感想を交えて書いていますので、HSPとして読むべき本かどうかの参考になさってください。

なぜ否定や抑圧をするのか?

HSPが自然界や芸術と相性が良いことはどの本を読んでも理解できます。そしてスピリチュアル(無意識界)とも相性がよいです。というよりHSPとは、無意識世界と深い関わりを持つ人生を送ることになる人、つまりスピリチュアルな人たちなのですね。それについて思うことを、上記の本に納得しまくったHSPである私自身の過去から紐解きながらまとめてみます。一個人の頭の中を覗くような意味で読んでいただけると幸いです。

1・スピリチュアル的観念や異世界ファンタジーを否定するまで

子供の頃から「目で見えないもの」に興味関心が高く、美しい星空や夕焼けを見ても背後に何かあるような気配を感じたし、なぜかわからないけど意味がよくわかる、知らないのにとてもよく知っている、みたいなことがとても多かった。自然界との一体感は子供の頃から強く、景色の美しさに感動するとメロディーが頭に降りてくるなどは普通にあった。
だから神秘的な事柄を解説した本やコンテンツが大好きだった。各タイプの性格分類が面白くて12星座の解説に夢中になったし、異世界が出てくるファンタジーな物語、中でも『はてしない物語』が好きですっかり引き込まれた。
通常の人間より多く共感性の特質を持つHSPは、気持ちで感じる感触が強いタイプがいる。これは人間なら誰でも持っている感触、フェルトセンスというもので、『気持ちのつっかえが取れた』『胸を撫で下ろす』などのような表現に見られる、はっきりした言葉では言えないけど確かにそこにある曖昧な感覚のこと。悪い意味ばかりでなく、時には『身体の芯に爽やかな風が吹いている』『妙な清々しさがある』など、感情一歩手前な感じで存在する感覚のこと。
HSPは、言葉だけでは表現しきれない、より多くのものを世界から鮮やかに感じとっている。だからスピリチュアルな世界やファンタジーや空想や想像の世界と相性がよい。

ところが私は段々と、それら無意識や神秘性という、実体として掴み難い、論理で説明しづらい、非合理的、非言語的な物事に、科学視点に基づいた知識が増えるのと比例して強い違和感を覚えるようになっていった。ある時からぱったりとファンタジーやスピリチュアルな世界が好きではなくなり、占いの類に至っては違和感を超えて、嫌悪感すら覚えるようになっていた。そういうふわふわしたものを否定する感覚が生まれていた。

2・この現象の理由(理屈にしてみる)

世の中は因果関係で成り立っている。(全てではないが人間が言葉にしうる世界とは、因果を見つけられる範囲のことをいうから。)

この因果の法則は、抽象と具体から成り立っている、とも言える。意味がわからない方はこちらも。↓

この抽象化と具体化を思考法として落とし込んだものがいわゆる「演繹的に考える、帰納的に考える」といった推論法。この推論の種類などはややこしくなるので省略。抽象と具体のみで考えてみる。ざっくりいうと、

AさんもBさんもCさんも死んだから、「人間はみな死ぬ」……これが抽象化

「人間は死ぬ」からAさんもBさんもCさんもやがて死ぬ……これが具体化

雑ですみません。
このように人は、予測できない未来、解明されていない未知という恐怖に対し因果関係を見つけ出し法則性や論理的結論を得て心の安定を得ようとする。

〇〇学、〇〇占い、という既存のスピリチュアルも特定の宗教教義も、基本的にはこのように正しい抽象化がなされているとされて重宝されているわけ。人は宗教、そして近年は科学によって未知に対する不安感や恐怖を宥めてきた。いわゆるスピリチュアル界と言われるものもそれだ。

しかし普遍法則として祭り上げられた理屈は、たった一個の例外が見つかれば一瞬で覆る。
つまり比較対象とする事例が「すべて」揃わないと、推論の土台となる現象自体の数が多くないと、本物の抽象化(=本質を捉える)は成立しない。

……私は様々な特異な経験をし、複雑で深刻な事例にたくさん遭遇するうち、いわゆる既存の占いやスピリチュアルと称されるもの、またそれらに傾倒する人たちは、この正しい抽象化思考ができていないことを知るようになった。そもそも推論の対象とする事例の数が圧倒的に足りていない。経験知不足なのだ。また、抽象化で得た法則を安易に絶対枠として固定してしまう。そもそも論理思考をすっ飛ばして突飛な結論を正しい、とするのは、抽象化に見せかけた早計な結論だ。

昔から体系的に、構造的に、理屈が組み立てられているような数秘術、タロット占いなどもそうだと思った。これらは抽象思考で考えたかのように組み立てられたもの、「抽象バイアス」がかかっているものだと言える。

歴史が長いから、偉い人が提唱したから、例え科学的理屈では上手く説明できなくてもそれは、論理思考よりも速く真理に気づける直感という優れた能力により構築されてきた正しい抽象化、つまり普遍の『理論』だとされる。だから一見不思議に思えても本当は正しいのだ、と一定数の人が信じている。
バーナム効果により客(信じる人)を引き入れ、そこへ持ってきて信者には確証バイアスがかかるから、深みにはまればはまるほど確信が強まっていくという仕組みになっている。

これらがとても浅はかな思考、愚かな生き方だと思え始め、何事も科学的に捉えたいという強い思いが、それらを嫌悪し、自然と、いわゆる不思議系からは遠ざかっていった。

……ここまでで一旦、嫌悪に至った理屈はまとまった。

3・科学の意味を正しく考え直す

科学は目覚ましく発展した。しかし世界はまだまだ科学で説明しきれない神秘で満ちているのが現実だ。科学というものは、解明された部分にのみ効力を持つ言葉だから、またそれは日々進歩してもいるから、今の時点で解明されていない非科学的な部分は当然ながらこの世にまだ確実に膨大に存在している。科学は世界のすべてを解明済みではない。
宇宙は動かずそこにあると長年信じられてきたが、ビッグバン理論以降宇宙は膨張を続けていることが認められ既存の科学=常識、は覆った。それと同じように、今後新たな発見によりビッグバン理論が覆る可能性だってある。宇宙の歴史より古い星の存在も見つかっている。つまり宇宙の外側にまた宇宙があるのか? 今から数十年もしたら多元宇宙という概念が定着することになるやもしれない。だから一番広い現存の世界というものは、非科学でありスピリチュアル(未解明の領域、神秘世界)であって然るのだ。
人の精神も然り。ヒステリー、ノイローゼ、などとして奇異な病、人権的に疑問を感じる奇抜な治療法をあてがわれてきた患者の特徴も今では発達した精神医学により通常の病名がつけられ冷静に取り扱われている。彼らの中には、不思議な能力を発揮する、また敏感過ぎて日常で独特な反応を表していたHSPがいたことだろう。

正しい推論思考を用いる科学のメスは、人類史において根拠のない信仰や風習を切り取って、エビデンスを持たぬ恐怖を摘出し排除してきた。だが、科学は全能ではないし、論理思考は宇宙や世界に対してあまりにも器が小さい。アインシュタインが言ったように。

4・結論

❶ 論理思考により、科学の視点からのみ世界の因果関係の「すべて」を解明できる

と考えることも、

❷ 抽象バイアスがかかった既存のスピリチュアル信仰に飛びつく

ことも、両方間違いだと思う。

HSPの書籍を複数読むと、HSPには論理思考より素早く真理を察知する感覚的知性(直感、想像力)が多くあることがよくわかる。本当にこれはHSPの優れた知性そのものだ。それはまだまだ科学的に説明が難しい部分も多いが、今の時点で脳科学的な観点から観察を通して知見が得られ、数字や専門用語を用いて解説され始めている。やや不思議とされるような能力も『科学』の範囲に収められつつある。それらは心理学方面からだけでなく脳神経学的視点からも解明されることで、より強固な科学とされていく。

例えば先に触れた、フェルトセンスの強さや頻度も、身体と複数の脳神経システムが絡み合い造り出す、人の恒常性を司る自然なサイクルである傾性的表象において、その背後に常に待機している無意識の背景的感情と言われるものと、くっきりした感情との中間に位置するものなわけだ。高感受性人間がこの曖昧な感覚をよく感受して意識しまうことは不思議でもなんでもなく科学的にみて自然だと言える。

通常を超えた感じる才能「変則的感覚」は
実存的痛みの救いとなる

何度も書いてきたが、私はこの春実存的痛みを経験した。それは自己の存在の意味を問う恐ろしい苦悩であり、答えがないことを知り闇を彷徨うような精神の深い闇だった。生が死を意味することを実感するのは恐ろしい。自我が消えることを受け入れることは恐ろしい。
しかし一筋の光明がうっすら見えたのでそれを頼りになんとか苦悩を抜け出せた。そこにあったのは、宇宙との強力なつながり感、自然界と溶け合った意識、一瞬と永遠が同じだと感じられたことなどだ。たった一つの星の塊から大爆発が起き広大な宇宙が広がって膨張を続けているように、始まりも終わりも、生も死も、善も悪も、すべてが溶け合って、私自身もその膨大な宇宙組織を成す粒子の一つに過ぎないという、日常では出会えない高次の意識、変則的感覚、五感により獲得した『超能力』であり、鋭敏な高感受性のおかげで得られた、命を救うヒントだった。

全体のまとめ

自分が持っている生まれつきのナチュラルな感性はとてもスピリチュアル→成長期は科学的根拠の物差しでそれを否定し続けて生きる→とことん論理思考をして深刻な疑問に打ち当たり精神の痛みを経験、因果関係の解明を試みる→論理思考の限界を知る→痛みの経験から垣間見た世界は科学では説明がつかなかった→突破口を開くには非科学的とされる感覚知性を用いる→『既存』のスピリチュアルではなく『創造性』により自ら編み出した「科学を超えた感覚」に到達。

HSPは精神が複雑にできていると思う。だから私のような道を辿る人は少なからずいると思う。創造的本能が激しい人ほどこれを辿ってしまう。恐ろしい道ではあるが、敏感な感受性があれば光を捉えられる。私の経験や思考がそんな人の何かのヒントになればと思い書いてみた。

HSPとスピリチュアル(無意識世界)には深い関わりがある。
本物のスピリチュアルとは、痛みを生じるほどに論理思考を突き詰めたその先に、既存のスピリチュアルとは違う形で見えてくる創造的な感覚に違いないのだ。解放されたHSPはそれを知っている。

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同時投稿の記事では、HSPの〝感じる才能〟4つのギフトについて本から紹介しています。HSPの全貌を知りたい方にとにかく読んでほしいです。↓

HSPシリーズ(1)〜(6)はこちら。↓

読んでいただきありがとうございました。
𝔹𝕪 𝕄𝕚𝕟𝕒𝕕𝕒 ℕ𝕖𝕔𝕠 𓃠



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