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詩「日線たちの行方」

立ち返る海はうちの玄関先
砂浜色のサンシェードが揺れている
春は日差しが強かっただろうか
火星の土を思わせる
水性のシャツを脱ぎ捨てた
ぼくは
自転車を漕いでいた
あの春ちょっと先の
電信柱の先端の分かれ目にかかった
夏を車輪で踏みつける
ぼくは春を愛していたんだ
その切り傷に思えるパスタ上の髪の毛―――

例えば美術館に一枚の、大きな絵が飾ってあったとする。
ぼくは描く観客で、描いたものは直ちにあなたのものだ。

この絵画から逃げろ
ぼくが描く風景から
逃げろ
頭の中に湧くものたちから
それだけど、ぼくは
君のことを氷をなめて
愛していたんだ
からころとベルベットの夜景
見たことのない電車がゆく
街にした感情も(それは少し固い)
感情にした街も(あれはそう、柔らかい)
互いが互いを見つめて緊張しあっている
消して互いに重なることなく
そこにそうあったという痕跡同士になって
優劣がつかない存在を見せつけ合う!

そうだな
逃げろ
ぼくを
君を
明らかにしようとする外側からの
鈍い光線たち

これだから日傘はやめられないし
―――今日もその光芒に徹さざるを得ない

そう思い出深くドルフィンめいて
連想ゲームを断ち切る身体で
いま小川を紡いでいけ 雷鳴









書くだけじゃつまらないし、ひとまず投稿しといたらワンチャンみたいな姿勢は当然くだらない。とすれば学ばねばならない。
けれども。
わたしは他人が書くものにほとんど興味がない。
前まで興味を持っていた詩人の言葉も「こんなもんか」ってなって興味がもてないし、小説を眺めると自分の人生を振り返っていたほうが楽しいな、ってなる。エッセイは現代じみた、というかnoteやほぼ日じみた匂いがするものが多くて反射的にページを閉じてしまう。

大抵のことに興味がない。

今わたしの最優先事項は詩ではない。ただ、これからも毎日書くことはやめない。
ゆっくりと擦り切れていく固い容器の中のくせのある調味料みたいだ。
使い切って単純な塩味が欲しくなるときまで、もしくは秘伝じみてくるまで、そんな感じで進んでいくと思います。

おやすみなさい。マイフレンド。


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