見出し画像

少女漫画はもはや歴史の書

近頃、LINE漫画にはまってる

子どもの時から漫画大好きで
今は、LINE漫画で10代前半に大好きだった
りぼんという漫画雑誌で夢中になっていた
200万乙女のバイブル 星の瞳のシルエット
や、もっと前の時代のガラスの仮面が
読める

もう熟読しすぎてどのシーンもきっちり覚えてるし
なんならガラスの仮面は全巻持ってる
そして10年以上最新刊が出るのを待ってる
死ぬ前に完結して欲しい
作者がいなくなるのか、私が先なのか
まさかこんな未来が待ってるなんて

話がそれた

そんなに読んでるのになぜLINE漫画まで読むかといえば
コメント欄が嬉しいから

同じ漫画を読んであれこれ言い合う
これはもう学生時代以来やってない
嬉しい意見交換会です

そして面白いのは今の10代の子から
過去に10代だった子までが
一緒になってコメントしあうこと

そして、意外すぎるコメントを見たりして
時代を感じてしまうのです

自分、遠くまで来たんだなと

例えば、ガラスの仮面では
主人公北島マヤが嵐が丘のキャサリン役を
つかむエピソードとして、
一人っ子の鍵っ子と仲良くなる
怪我をしたその子を、自宅まで送り届け
仕事で親がいないので
家にあがりこみ、手当てをしてあげ、
せがまれるままに、その子の親が帰宅するまで
遊んであげるシーン

昭和時代、よその家に上がり込むのって
普通だった。個人情報なんて単語も存在しない
だから特にひっかかりもなく読み進めているのに

今の10代の子たちにはそれが衝撃の出来事として
うつるのです。そして漫画だから
という意見を出す者まで現れるのです
カメハメ波が出せるのは漫画だから
と同レベルになっている
昭和の常識は令和の非常識

コメント欄をみてガラスの仮面本編と
全く関係ないところまで
意識がとんで
まさに白目になってしまったのでした。

例えば、星の瞳のシルエット
好きな子の家に電話をかける
もちろんスマホがない時代
家族共有の、家の電話です
しかも、大抵廊下にあった。
寒い廊下で長電話をしたあの日を思い出す
「紡木たく」の「瞬きもせず」
でかよちゃんが、紺野くんとの長電話を
家族に聞かれたくなくて
茶の間の電話をコードが
届くかぎりの遠くまで引っ張って
寒い廊下でお話をするあのシーン・・・

学校から一緒に帰るだけで
ドキドキするシーン・・・

例えば星の瞳のシルエット、
ラジオのエピソード一つとっても
投稿ハガキですよ。ツイッターとかじゃないの。
収録のデータ欲しいでしょう
と渡されるのは「カセットテープ」
連絡とりたかったらメールじゃなくて電話だし

好きだけど、なかなか打ち明けられず
ただただ、物陰から見つめる少女
今なら確実にストーカー扱いですが
当時はそういうものでした。
昭和の歌謡曲の歌詞にもあらわれてます

セリフの言葉づかいも普通だったものが
今の子たちが読むと上品

それって、私が小学生の時、いまから40年くらい前
古い少女漫画を読んで思っていたのと
同じ感想だったりする・・・
ということは、私が40年前に、古いと思った
ポーの一族的な漫画って、もう古典なの?
源氏物語くらい?(笑)

コメント欄で驚いたのが
近頃の少女漫画が随分様変わりしているっぽいこと
少女漫画の定番、じれったい片思いが
逆に新鮮らしいということ
何ならあっさり大人の関係になるのが
普通らしいと知って
なんだか自分が急激にヨボヨボの人になった気分です。

大草原の小さな家シリーズで
ローラ達が、とうとうミシンを手に入れ
シーツを縫うシーンで
これまでの常識だった縫い方をやめて
ミシンに適したやり方をするときに
「おばあちゃんたちがお墓の中でびっくりするだろうけど・・・」
という会話がでてくるのですが、
まさか自分がその「お墓の中でびっくりする」おばあちゃん世代に
なってしまっているなんて・・・

もうね、昭和、平成の10代の
一般的な少年少女の恋愛模様を
描いた青春群像的漫画は
当時の社会風俗、一般庶民の当たり前の暮らしを
そのままにうつしだした
歴史書に近いんじゃないの?

と思ったのでした


大切な人に食べてもらいたい、安心安全でシンプルな材料で手作りのお菓子を誠実に丁寧に作れる範囲内で売る、みんなに愛される小さなお店を開きたいと思っています。