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全部やって確かめりゃいいだろう

決してヤケクソになったわけではない。

急にどうしたんだ、と思われそうだが、これは私の好きな曲の歌詞である。

UVERworld"PRAYING RUN"

出典:”PRAYING RUN” by UVERworld (公式YouTube)


7年前の大学時代(そんなに年月が経ったかと思うとゾッとする)、クルー(UVERworldファンの呼称)であった友人がカラオケで彼らの曲を歌ったことが、私とこのバンドの出会いとなった。

ストレートな歌詞と曲調。曲に込められたメッセージ。音楽に人生を賭ける彼ら。プレイリストが彼らの曲で埋め尽くされるのに、そう時間はかからなかった。

彼らの作る音楽は全て好きなのだが、この曲は私にある感情を思い出させる。
それは「目標と自分への闘志」。

大学3年生の時、英語の弁論大会に出場したことがある。
全国からの予選を勝ち抜き、上位8名だけがホールで弁論を発表するこの大会で、私は3位以上の入賞を目指していた。

予選は無事に勝ち抜き、上位8名に名を連ねることができた。
大会本番までのおよそ2ヶ月間、授業が終われば練習。バイトが終われば練習。家に帰れば練習。空き時間ができれば教授に手伝ってもらい練習。走り続けた。

そして迎えた本番当日。その時持っていた全ての力を出し切って弁論した。
結果は必ず出る。そう信じていた。

出場者全員の弁論が終了し、授賞式が始まった。
3位から1人ずつ名前が呼ばれていく。

3位は呼ばれなかった。2位は隣の席の子が呼ばれた。握りしめた手に力がこもった。次は1位。

私の名前は呼ばれなかった。

応援で来てくれていた友人たち、お世話になった教授や先生、先輩は「お疲れ様!良い弁論だったで!」「立派やったなぁ。」口々に私をねぎらってくれた。私は、これまでのサポートや応援にお礼を言っていたと思う。

その後友人たちと夕飯を食べている時も、「ほんま、頑張り屋やなぁ。すごい。尊敬する。」と、ずっと私を称賛してくれた。私は、来年も出たいなぁ、と笑っていたと思う。

友人たちと各々の降車駅で別れ、私ひとりになった。音楽でも聴こうと、イヤホンを付けた。適当に再生し、ただ音を聞き流していた。

すると、ある言葉が入り込んできた。

走り続けようとする僕に誰かが言った
あなたは強い人 怖いものはもうないでしょ
そんなわけない 違うよ
僕は止まるのが本当は怖くて
何もかもが一緒に止まってしまいそうで
まだ終わらないでくれって祈るように走って
いつか起きる奇跡を信じて
"PRAYING RUN" by UVERworld(以下省略)

ああ、そうか。ずっと頑張ってたけど、もう大会は終わったんだ。止まるのか。
皆から「すごい。」って言われたけど、すごくなんかない。目標に向かって走り続けたら、何でもやり遂げられるって、勝手に信じてただけ。

どうすればいいか分からず走って 汗をかけば楽になると思ったのに
それ以上にあふれてくる思いが 水になって目からこぼれてゆく

迷いながら頑張ってきたけど、自分の目標には届かなかった。
電車の中なのに、気付けばどんどん涙が溢れていた。

やり切った達成感。対照的に、自分の全力を出しても届かなかった悔しさ。やってきたことが終わってしまう虚無感。

大会後、やっと正直に自分の感情と向き合えた気がした。


そして曲の最後。

いつか誰もが驚くような奇跡が この身に起きたとしても
きっと僕だけは驚きはしないだろう 起こるべき奇跡が起きただけさ

来年も出よう。絶対来年も出てやる。起こるべき奇跡を、起こしてやる。

涙を拭いて、電車を降りた。

それから1年後。私は再び壇上にいた。自分の想いを詰めこんだ弁論を引っ提げて。

その大会でも結局受賞とはならなかったが、その時は弁論を人々に届けることができた嬉しさの方が大きかった。
そして、弁論を聴いてくれた方々から「知ることができて良かった。」という言葉をもらい、「想いや情報の発信」が私の目標のライフワークとなった。


現在。私は駆け出しのライター兼事務職。大学院進学も考えている。将来は自分でメディアを作りたい。

正直、これらの目標はまだまだ叶わないだろう。お金もない。経験もない。知識もない。「無謀でしょ(笑)」と笑われてしまうかもしれない。

どうしようもなく不安になる時は、プレイリストからあの曲を探す。そして一緒に歌う。

全部やって確かめりゃいいだろう。

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