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「書き殴り」って、何を殴ってるんだろう

やはり、どうしても、書いてしまいたくなった。



今日、職場で黙々と広告文を作っていたとき。

私の前のデスクにいる上司が、かつて私の採用面接をしてくれた役員の方と話していた。


その役員の方の視界にたまたま入ったのだろう、「みいなさん(実際は本名で呼ばれた)も、以前の経験を活かして新しい業務をやっていけそうだよね。」
と何気なく話しかけてくれた。


私が何か返す前に、上司が小馬鹿にするような口調で言った。


「いやいや、この人は"書く"しかできないよ」


その言い方、ニュアンス、表情。
正直に言おう、非常に腹が立った。


実際、私は文章を「書く」ことはできる。


だが、専用のソフトをさわるであったり、他の人より早く事務作業ができるであったり。
そういうスキルは、何もない。


「書く」ことしかできないのは、単に私の力量不足・勉強不足だから、まったく腹は立たない。

むしろ、「勉強して、できるようになってやる!」と闘志を燃やすタイプである。

闘志を燃やす。

つまり、やっぱり私のプライドも、ちょっぴり傷ついたのかもしれない。


だが、私が腹を立てた理由は別にある。


それは私ではなく、「書く」ことを過小評価された気がしてならなかったからだ。



文章を書くことは、直接相手と顔を合わせなくても、文字として情報を伝え、残す行動だ。


仮にも発信することを生業にしている人が、書くことを軽んじている。

あの上司の一言、そして付随するニュアンスに、思わずそう感じてしまった。



今からお風呂に入って寝よう、という時間になっても、まだ心の中で腹の虫がおさまらない。


そのため、こうして書き殴っているというわけだ。


彼が軽んじた「書く」という行動で、私はこの腹立ちを思いっきりコテンパンにできる。


そうか、書き殴りって、その時の己の感情を殴って、スッキリする方法でもあるんだな。

また1つ、新しい発見をした気がする。


そして、徹底的に腹立ちを殴った今、私が思うこと。


甘いものを食べて、早く寝よう。


おやすみなさい。

自分の感情を目で客観視して、落ち着くことができる。

それも、文章を書くことの良い点ですね。

あとは、深夜の甘いものに協力してもらいます。

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