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ピアノと言葉

若い頃勤務した特別支援学校に吃音の男の子A君がいました。

普通中学校から支援学校の高等部に来たA君。何かを判断するのにすごく時間がかかります。

マイペースで、のんびりな性格で、みんなのペースから遅れてしまい、色々な先生に叱られることもありました。その分周りに合わせようともいつも焦っている感じでした。

A君は何か聞くと絞り出すように返事をします。
その頃の私は急いでいる時はなかなか返事が出てこないA君にイライラしてしまい、彼が話すのを待たずに先回りして答えを求める事もありました。

そして作業学習でのこと、ある日事故につながる様な失敗をしたA君。

私は説明を求めましたが、相変わらずなかなか言葉が出てきません。

真っ赤になったAくんの顔。言葉を絞り出そうと力が入っているのがわかりました。
「ぼ、ぼ、ぼ、ぼ、ぼく、、、」

私は待ちきれずに、A君を叱りました。事故があってからでは遅い事、報告、連絡、相談は就職しても大切なことなど、一気に自分の言いたかった事を感情に乗せて彼に浴びせかけました。

吃音とはいえ、理解力はある子だし、将来これじゃA君が困ることになる。A君のためだ。

とその時の私は自分をそんなふうに擁護していました。

A君は話すのをやめ、ただ黙って下を向いていました。

その頃私はピアノを習っていました。

大人になってから初めて習い始めたピアノ。

ずっと憧れていたけど、小さい頃は習う事ができませんでした。初給料で電子ピアノを買い、下手くそながら発表会目指して練習していました。

とはいえ、仕事がおわって、夜8時9時からのレッスン。練習できているわけもなく、いつもレッスン場で練習する感じですから、上手くなるはずもありません。

それでもなんとか続けていたのですが、

ある日ピアノの先生が音大出たての若い女の先生からやる気に溢れた若い男の先生に変わったのです。その先生の熱心さは、大人のレッスンでも例外なしでした。

練習していないと「ぼさつさん練習してますか?ぼさつさんは何のためにピアノを弾きたいんですか?時間もったいないです。やる気ないならいつまで経っても変わりませんよ。」と容赦なくゲキがとびます。

そんな事いわれても、、全く指が思うように動かない。先生はレッスン中不機嫌になり、私も叱られる始末。言われていることはもっともなのですが私の自尊心はズタボロ。

そして心の中で

そっちは子どもの頃から習っていて流暢に弾けるだろうけどこっちは、大人になってから仕事しながらはじめたんだよ!楽譜読むのもままならないし、右手左手別の動きするだけでもあたまこんがらがってるのに。感情なんか乗せて弾けるかこのヤロー!!弾けるものなら弾きたいんだよ!!

てな感じで心の中で、悪態をつくことも(笑)

そしてピアノの先生が言った言葉

色々忙しいでしょうけど、結局自分のためですよね。ちがいますか?

あれどっかで聞いたぞ。この生徒の為って言葉を、、、。

私はハッとしました。吃音のある彼の言葉は私のつたないピアノのタッチと一緒だったのかも。

当たり前のように言葉が口から出てくる私と、なかなか思うように言葉が出てこないAくん。

スラスラ弾ける姿に憧れながらも、出来ない自分を不甲斐なく思い、イラつく私と、Aくんの姿が重なりました。

私の正論に言い返す事さえ出来ず、赤い顔をして黙って下を向いたA君の顔を思い出しました。
そして彼に全く寄り添えていない自分の傲慢さに気付きました。

生徒の為にいってるんだ。将来のために、先々困るから
など私たちは良く言います。でも上から目線でなく、彼らの場所から考えていたかな。
彼らの困り感にゆっくり耳を傾けて、どうしたらもっと良くなるか一緒に考えたことあったかな。

そしてそんなことがあった後、私は思い切ってA君に謝りました。最後までで話を聞かずに正論だけでしかってしまったこと。

子ども達と向き合う時、まだ十分に自分の思いを表現できない子達のことを考える様になりました。

子ども達の中には、手を出してしまったり、暴言を吐いたり、本当は困っているのに、適切な表現ができない子が沢山います。まだ言葉という武器を上手く自在に扱えないのです。

そんな時は隣に座って気持ちを確認しながら、並んで一緒にピアノを弾く様に、こういう時はこういうと良いかもよと見本を示したりどうしたら良いか一緒にかんがえたりします。

初めはできなくても良い。ゆっくり傍で連弾する様に応援する。できない時もなんども話を聞き励まします。

まさに今の通級指導教室の仕事はそんな仕事です。
A君がいなかったらそんな風に考えられなかったかも知れません。

教師は子ども達に育ててもらっているのだなぁと、Aくんを思い出すたび感じます。





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