平均的な人間の脳が一生の間に蓄積する情報量は2.8×10の20乗ビット程度。想像を絶する情報量であるが、ホログラムもまた1平方インチに聖書50冊分の情報が記録できる。

人間の「思い出す能力」とは、ある角度でフィルムにレーザー光線を当てる事によって特定の画像を呼び出すのに似ていると思われる。同様に思い出せないのは、求めている画像や記憶を呼び出すのに必要な、正しい角度を見つけられないでいる状態にあると思われる。

人間は感覚器官など全く存在してない場所でも、感覚を体験できる能力を持つ。

脳は高度に専門化された特徴感知細胞と呼ばれる細胞からの情報を受けて、ホログラフィが用いるフーリエ数式を使って視覚映像をフーリエ波形言語に変換し、世界がどんなものかを私たちに見せている。

電子は粒子としても波動としても現れる。

素粒子レベルの現象は、波動とも粒子とも分類されるべきではなく、常に両方の性格を持つものとして、これをまとめて量子と呼ばれ、これが宇宙を構成している根源的物質だと物理学者は考えている。

電子は膨大な数の粒子の海の中で、あたかも個々が他の何兆個もの粒子の行動を知っているかのごとく行動する。

空間のあらゆる領域は、様々な波長の波動でできた「場」で溢れかえっている。それぞれの波動は必ずある量のエネルギーを持ち、この最小量は、わずか1立方センチの空間に現在の宇宙に存在する事が解っている全ての物質のエネルギーの総量よりもさらに多くのエネルギーが存在している。

客観的世界などというものは存在しない。目の前に広がっているのは茫漠とした波動の大海であり、現実が堅固なものに見えるのも、脳がこのホログラフィックなもやもやを、私たちの世界を構成している木や石といったおなじみの物質に変換する事ができるから。磁器のなめらかさや足元に感じる海辺の砂の感触も、実は高度な四股錯覚現象に過ぎない。

内在秩序(人類全体の無意識レベル)にある情報の中でも、人間がアクセスできるのは、自分の記憶に直接関係のあるものだけ。これをパーソナルレゾナンスという。この為、人間は歩く百科事典になれない。

固定化された信念を持つ人間が話をすると、自分の意見を信奉し、弁護する事で自らを正当化しようとする。新しい情報に接しても、その結果として価値観が変わる事は滅多になく、会話を通して本当の意味での交流を深める事にはほとんど関心を示さない。意識の流動的な性質に心を開いている人は、このような思考の渦巻がもたらす人間関係の固定化を認識しようという気がある。ただ各人の意見を単調な祈祷の文句のようにいつまでも繰り返し合うのではなく、会話を通じての交流をさらに深く探っていく意志を持っている。

まわりに対する私達の反応、そしてその反応を言葉で表現する事、さらにそれに対する反応のフィードバック、そしてこういった様々な反応の間の関係を整理してそれを確認していく作業こそ、人間が内的秩序の流れの一部となる為の一つの道である。

ほとんどの多重人格者は、平均して8から13もの数の人格を持つが、超多重人格者と呼ばれる者は百以上の副人格を持つ事もある。




人間の体は、現実ではなく、頭の中に現実として描いたイメージに反応する。

オリンピック選手の練習は、視覚化訓練50%、練習50%に使ったグループが一番成績がよかった。練習よりも視覚化の方が効果的。

プラシーボは、医師の態度にも関わってくる。
医師がそれをプラシーボだと思っているとそれが患者に伝わり、効かなくなる。

潜在意識のレベルで受け取った情報でも、信念や頭の中のイメージに対して大きな影響を持つ場合がある。

プラシーボトリップもLSDと同じ効果がある。

多重人格者は、それぞれの人格の為、月に2,3回生理が来る女性もいたり、目の色、火傷の跡、利き腕、視力まで変わる。

自分の信念の中の的確な層に触れる事ができれば、私達の心は、DNAのプログラミングすら変えられる。

生理学的に見ると、催眠時の意識状態に最も近いのは日常的意識。つまり、日常的意識は一種の催眠状態。

脳の電気活動の範囲は毎秒0-100サイクル、ほとんどが0-30サイクルの間。筋肉では225サイクル、心臓では250サイクル。だが、身体から放射している場は100-1,600サイクル、それも身体の上でチャクラに関連している部位が最も強い。

私達は、現実を発見しているのではなく、創造に参加している。

脳はただの性能のよいコンピュータ。しかし、創造性、想像力、霊的なものなどに関わるような心の側面は脳ではなく、身体外部の「場」にある。

30名の退行催眠実験の結果、全員が数多くの過去世があったと言い、20から25あるという人もいたが、原始人の前世まで退行するとそこが実質的な限界となり、ひとつの前世が他のものと区別がつかなくなった。全員が魂には男女の区別がないと語り、多くの人たちは少なくとも一度は現在の自分と違う性として生きた経験があった。そして、全員が人生の目的は進化し学んでいく事であり、何度も生まれ変わる事によってその機会が与えられていると述べた。

生と生の中間領域に被験者たちを退行させた時の話は、そこは光に満たされたまばゆいばかりの領域で、時間も空間も存在せず、次の人生を計画する為にあるという。将来ふりかかる重要な出来事や状況について、文字通りその概略を当人に決めさせる為にあるとの事。だが、このプロセスはおとぎ話のように望みを叶えると言ったものではない。人間がこの「生間」領域にいる時には、普通とは異なる意識状態に入り、そこでは自己意識のレベルが著しく向上し、道徳的、倫理的にも高い意識を持つ。さらに、自分の短所や過ちを正当化する事ができなくなり、完全な正直さをもって自己をみつめる。この精神状態を「超意識」と呼ぶ。

前世で過ちを犯した相手とまた一緒になれるように生まれ変わる事を選び、自分の行為の償いができる機会をつくる。いくつもの生を通して、愛に溢れ、互いに得るところの多い関係を築き上げた自分のソウルメイトとの楽しい出会いを計画したり、「偶然の」出来事の数々も組み込んで、まだ学ぶべき事を学び、果たすべき目的を果たす事ができるようにする。時には強姦や大病さえも魂の成長の為に自ら組み込む。

過去世で知っていた人間と一緒になるように生まれ変わる事が多い事は、愛おしさや罪悪感、義務感からである。

物質面での状況は生まれ変わりによって大きく変化する事はあるものの、道徳面から見た行動、あるいは関心、能力、価値観などは同じままであった。

本当の意味で一番重要なのは、人生の外面的なものではなく、内面的な事、つまり、よろこび、悲しみ、そして人としての内面的成長なのだという結論に達している。

因果応報的カルマの存在を示す証拠は一つも見出せなかった。つまり、ここには、自分の行いをジャッジしたり、功徳や善悪の報いに応じて私たちを転生させる存在はいない。

この世界が「魂の作られる谷間」であるとするならば、その魂をつくるのは私たち自身。

望むものが創造された姿を繰り返す思い浮かべ、視覚化する事。チベット密教ではこれを「サーダナ」と言う。これにより、自分の未来を自分の手でつくっていく事ができる。

心理学者のチェットスノウがフランスとアメリカで行った、「未来の集合夢プロジェクト」には2,500名が参加した。ほとんど全員が地球人口が激減していたと話し、肉体として存在していなかったと語る人も多かった。
未来の集合夢プロジェクトで表出された4つの未来世界
△ほとんどの人間が宇宙ステーションに住み、銀色っぽい服を着て、人口食品を食べているという、喜びも感じられぬ味気ない世界。
○今よりずっと幸せな自然環境の中で、より自然な生活を営み、人々が互いに調和のとれた生き方をし、何かを学ぶ為、霊的な進化の為の生活が営まれていた。
⭐︎人々が地下都市、あるいはドームや巨大な泡のような屋根で覆われた都会に住んでいる殺伐とした機械的未来。
♡大災害を生き延びた人々で、地球的規模の災害(おそらく核戦争)後の世界。都市の廃墟から、洞窟、孤立した農場まで様々な形態の住居に住み、手縫いの簡単な服(毛皮製が多い)を着て、食べ物は狩猟に頼っていた。

この4つのシナリオは、人類全体が自分自身の為に創造しているのであり、起こりうる可能性のある未来をかいま見せてくれている。

人間の思考によって、過去も変える事ができる。ヘルムートシュミットとマリリンシュリッツが行った実験では、被験者が念力を使って過去に録音されていたカセットの内容を変えた。

ホログラフィックユニバースでは、時間は錯覚にすぎず、現実は心が想像したイメージにすぎないのである。

体外離脱体験で、未来への体外訪問をした人は、その時目撃したシーンが実際に未来に起きると、その場面の中で、そこにタイムトラベルしてきた体外離脱状態の自分の存在を感じられたという。この不気味な感覚を「あたかも自分が二つの存在であるかのように自分の影で自分に逢う体験」と説明していた。

臨死体験は脳波計が反応を示さない患者でも起こる。

臨死体験者が、光の存在の中で、「自分のした事は正しかったのか誤っていたのか」を尋ねると、この光の存在達は、「その動機は愛情だったのですか?」と聞かれたという。

私たちが地球に置かれているのはこの為、すなわち愛がすべての鍵である事を学ぶ為なのだ、とこの光の存在達は言うという。

この存在が強調する二つ目は知識。臨死体験者達は、自分の人生回想の最中に、知識や何かを学ぶ事に関連した出来事がちらつくと、この存在達は喜んでいるようだったとたびたび語る。なかには、肉体に戻った後、知識の探求、それも特に自己成長や、他の人々を助ける能力に関連した知識の探求を開始するようにはっきり助言する者もいた。他にも、「学ぶ事は絶え間ないプロセスであり、死んだ後もそれは続いていく」あるいは、「知識は、死後の世界にもっていける数少ないものの一つ」と励まされた者も。

臨死体験者は光の世界に到着してから、「まだここに来る時ではない」と言われる事が多い。この事は、「人生の計画」が存在する事を示唆している。

人間は互いに別々の存在であるように見えるが、私たちは宇宙的統合性で結びつけられている。

光の世界の住人は、食べることの必要性からはほとんど解放されており、永遠に「新しい知識」という甘美な食物だけで宴を囲む。
地球上での様々な転生を通じて得た膨大な数の親戚、父親、母親、妻、夫、そして友人達と直面する時、特定の誰を愛すればよいのかまったくわからなくなり、そこから「すべての人に対し、平等な愛」を与える事を学ぶ。

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