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声をかけないという選択

まずこれは誰かを否定したり批難したりしたいから書く訳では無いということを前提にして貰えたら嬉しいです。

最近、所謂『病みツイ』をしている人が気になってしまっている。
ほぼ毎日、朝から晩まで〇〇たい、とか、自己否定、自己卑下をされてるツイートがTLに流れてきてしまうと少しだけげんなりしてしまうようになった。
(元々解っていた人や推しさん、アウトプットしているのが分かっている人は除く)

というのも、それは今の私には合わないというか…そもそも相手にする余裕が無い。
余裕がないとそういう事には対処し切れないからだ。

偶に書かれてるなら全然気にならない。寧ろいつもそんなこと書いてないのに大丈夫かな?って思うだろうし、声をかける。

でも毎日毎日朝から晩まで、〇にたい、〇えたい、O×したい、切〇たい、更には相手への恨み、辛み、妬みとかそういうツイートが流れてくると困ってしまうというか。実況ツイートのようにされてるのを見かけてしまうと、どうしたらいいのかわからなくなってしまう。

(勿論、深くやり過ぎて出血が止まらないとか、何百錠飲んだとかの言葉なら大慌てで出来る限り反応する。命に関わることだから。)

そういう病みツイをする人にとっては自分の辛い思いの吐き出しなんだと思う。それは理解出来る。
ただ、Twitterだとフォロワーさんという読み手が居て、フォローしていれば必ず目に入ってしまう。

もしかしたら、それを見越して構って欲しくてそんな事を書いているのかもしれない。

でも、私は過去に構って欲しい人の話を聞いて、聞くだけ聞いて、エネルギーを使い果たした末にその人にブチっと切られたことがある。1人ではない。中には私が限界を迎えて距離をとった人も居る。投げ出したようだけれど、もう、心身共に疲弊して関われる状態では無くなってしまったのだ。

多分、きっとだけど。
その人達にとっては私はただただ構って欲しい欲望を叶えてくれる、話を聞いてくれる。
私はそんなとても都合のいい存在だったんだろうな、と思う。

それ以来、それらしい病みツイを連投している人にはあまり声を掛けない。
私はそんな選択をした人間になった。
心配していない訳では無い気にはかけてる
ただ、毎日やられてしまうと見ているだけでエネルギーが吸い取られてしまうようになるのだ。
今の私には下手に関われない。生死の話は本来それほどに重いものだと私は思っている。
だから数錠程度のO×行為はスルーしてしまっているし、ちょっとした自×行為に関しても同じことをしてしまう。

私はきっと、周りに思われているより優しくない。
だから、そういう人達にも優しく対応している人を見て素直に凄いなと思う。(皮肉ではなくて本心です。)

こんな事を書くのは酷かもしれないが、毎日そういうツイートをしている人。オオカミ少年、オオカミ少女ではないけれど。
あまりにもそういうことを書きすぎると、
本当に辛い時に、それが伝わらない、わかって貰えないかもしれない』
ということを覚えておいて貰えたら嬉しい。

心を折って、感情を抑えて、本当に心配して、話し相手になってくれる人の為にも思う。

アナタは本気でそう思ってツイートをしていますか?そういうツイートをして気を引きたくて、構ってちゃんになってはいませんか?

それなら素直に寂しいから構って欲しいのだ、と伝えた方が余程マシだ、と。

過去に自身を擦り減らして疲弊してまで相手に付き合いつづけた私はそんなことを思います。

…この話題、ひたすら悩んで書いたので、
基本的に構成も何もありません。文体も滅茶苦茶です。
ただ、私が敢えて反応しない理由を書いておきたかった。示しておきたかった。
そんな自己満足丸出しの日記です。
最後までお読み下さり有難う御座いました。


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