叶わなかったことから考えてみること。
私は願いや思いはだいたい叶うと思っています。
と言いつつも、私にも叶わなかったことはたくさんあります。
その中の一つ、私にとって最も大きな叶わなかったことは、「司法試験に合格しなかった」ことです。
願えば思えば叶うと思っていました。もちろん当時は努力も精一杯しました。
しかし、成績は上がれど合格には至りませんでした。
今では、叶わなかった願いや思いは叶ってはいけないものだったんだと思っています。負け惜しみみたいですが…
なぜなら願いや思いは簡単に叶うものもあるからです。それってきっと自分にあってること、必要なことな気がするんです。
難なく叶う願いがあなたにはありませんでしたか?
私にはありました。ロースクールに入学することはそれでした。
適性試験を受けて目標点クリア、既修者試験を受けて目標点クリア、個別の入学試験を受けて、合格です。どの試験も難なくこなしました。
このような難なく叶うことはきっと自分にとって必要なものなのです。
しかし、司法試験だけはどうもダメでした。
頑張っても頑張っても空回り。願えば願うだけ思えば思うだけ、心が辛くなるばかりでした。
とはいえ、叶わなかったことにも意味はあると考えています。
私の場合は、多分、性格からして、司法試験を受けることに意味があったのではないか、と。やりたいことやらなきゃ納得しないから。
そして、たとえ合格しなくてもそれでも意味があったんだと。
そのためのロースクール合格を、司法試験受験の機会を、神様だかどこかの誰かがくれたのだと思っています。
人は叶わなかったことから何かを得ています。その何かが何であるかを理解して、この先の将来に生かしていければ、叶わなかったことは意味を持つのです。
叶わなかったからといって、自分の価値がなくなるわけではありません。
叶わなかったことによって得られたものに目を向けて生きていけば、きっと未来は明るい!