カメラを持てば好きがわかる

私には知り合いは多いが友人が少ない。

ただ、大学生の時はメンバーが100人を超えるサークルに所属していて、割とイベントには参加する方だったのでその時だけは友達が多かった、ように見えたかもしれない。

サークル仲間の中にもいくつかうっすら決まったグループがあって、よくそのグループのメンバーで遊びに行ったりお酒を飲みに行ったりしていた。

私はそんな所謂青春の1ページを記録に残すべく(ただ調子に乗って買った一眼レフを使いたかっただけだが)よく集まりにおもちゃみたいな色の一眼レフを連れて行っていた。

体力の限り遊び尽くし、家に帰るとパソコンを立ち上げ(これも大学に入るときに買った、大学生とは金のかかる生き物である)、撮りたての写真を取り込む作業をする所までが私の遊び。

白い細っこい紐を伝ってカメラからパソコンに写真が流れ、パソコンのディスプレイに写真が次々と溜まっていく。

1枚1枚写真を拡大し、「あ、これ良いな」「ブレとるやん誰やこんなの撮ったの、私か」なんてしょうもない1人評論会を開催しているとふと気づいた。

良く撮れている写真には決まって写りこんでいる二人。私が1対1で遊べる数少ない友人の姿。

写真には、普段は見せない(ようにしている)人の好き嫌いがありありと写し出される。好きな人が写った写真はその人への気持ち、その人と馴染んできた故の距離感、良い表情をする瞬間のシャッターのタイミングがわかるから自然と良い写真になる。そうでもない人を撮った写真は距離感もわからずタイミングもわからず、ただ全員とりあえず撮らなきゃ、と言う義務感でシャッターを切っている。そんなやっつけの写真に良さなんてあるものか。

無意識のうちに少し好きな人、少し苦手な人もわかってしまう。

カメラは正直だ。目の前にあったものを設定どおりに写し出す。それは被写体だけではなくて、人間関係もわかるのかもしれない。

帰ってきたばかりだけれど、良く撮れたふたりに会いたくなった。


#カメラのたのしみ方

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