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【日韓ハーフ】母国が2つあるということ

안녕~

初投稿から約4ヵ月が経ってしまいましたㅠㅠ

私のnoteでは主に韓国語学習方法について記事を書こうと思っていたのですが、最近進学準備を機に自分の生い立ちや今までの人生を振り返る時間を持ちました。そこで日韓ハーフとしてのアイデンティティや葛藤についてもnoteに書きたいなと思い、今回は日韓ハーフである私のことを書こうと思います。

生い立ち

私は韓国人の母と日本人の父のもとに生まれ、現在高校三年生です。生まれてからずっと日本に住んでいますが、夏休みなどの長期休みには韓国に遊びに行き、コロナ前までは年に一回ペースで渡韓していました。
幼い頃は日韓ハーフであること、母国が2つあることについては深く考えることはありませんでしたが、小学校高学年になると自分自身について悩むことが多くなりました。

辛い小学生時代

私が小学校高学年だった頃は日韓関係が特に険悪な局面を迎えていました。連日テレビでは韓国との関係をめぐる問題が報道されており、私もなにやら大変なことが起きているなと思ったことを覚えています。
日韓ハーフであること、母が韓国人であることは特に隠していなかったので知らぬ間にみんなに知れ渡っていて、周囲から冷やかしの言葉を浴びるようになりました。

この時不思議だったのは、私は日韓ハーフなのに、周りは「韓国人」と認識していたということです。間違った認識がされているわけではなく、「ハーフ」があまり身近では無かったので小学生の考える範囲内では母が韓国人=娘である私も韓国人、それだけだったのです。

連日報道される韓国に対し否定的なイメージを持つ子は多かったです。小学校4年のとき、男子に韓国人だとからかわれ、6年生のときになにかをきっかけに男子と言い争いをしていたら急に「母国に帰れ!」と教室で叫ばれたこともありました。
母国とは何か、私は日本で生まれ、日本で育ち、日本語を話しているのに日本は私の母国ではないのか。日本人だと信じて疑わなかった私は、自分自身を見失い、どこにも居場所がないように感じました。なにより韓国についてからかわれる度に韓国人である母も否定されているようで悲しかったです。誰にも相談できず、自分とは何者なのか、自分の居場所はどこなのか、とても辛い日々を過ごしました。

変化が訪れる中学生時代

中学に入学してもなお、私は韓国人であり、時に排除されるような感覚を味わいました。しかし中学2年の時にKPOPが流行りだし、韓国の文化が浸透し始めたことをきっかけに日韓ハーフである自分を受け入れられるようになりました。

そして自分自身も韓国の文化に没頭し、それがきっかけで韓国語学習も始めました。詳しくは前回の記事にあるので読んでいただけたら嬉しいです。

現在

高校に入学してからは日韓ハーフであることに否定的な発言をされることはなくなりました。逆に羨ましがられたり、韓国にルーツを持っていることで交友の幅も広がったように感じます。

しかし、今も自分とは何者なのか考えることがあります。というのも、韓国に遊びにいくと日本人として認識されるからです。日本にいると韓国人、韓国にいくと日本人、日韓ハーフとしてたくさんの悩みを持っています。国籍選択もその内の一つですし…

以前、在日朝鮮人作家である徐 京植先生の「在日朝鮮人ってどんな人?」という本を読みました。そこにとても印象に残った言葉があったので共有します

自分は何者なのだろうとたえず悩み続けている存在、それが在日朝鮮人だ。マジョリティにはそんな悩みはない。しかし、マイノリティの悩みには貴重な意味がある。それは、国家というものを越える次の時代を見とおす人間がもつ悩みだからだ。在日朝鮮人とは、国やマジョリティの横暴に服従しない人間のことだ。

​最後に

母国が2つあるということは素晴らしいことだと思います。日韓両国の言語と文化を共有しているということは、出会える人やものが多くなるということですし、日韓ハーフとして生まれてよかったと思っています。
しかしその分悩みや葛藤、受け入れ難い現実もありました。未だに「自分とは何者なのか」という問いについての答えを探し求めています。もしかしたら最初から何者でもないのかもしれません。でもいつか韓国で暮らしたいなと考えています。そして、辛い過去があるからこそ、日韓の共存できる社会を築きたいと考えています。
今はそのために自分は何ができるのか考えています!

とっても長くなってしまいましたが最後まで読んでくださりありがとうございます!!これからはコンスタントにnoteを更新できるように頑張ります笑

それでは~!!


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