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楽園と野戦砲 小笠原への旅③

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小笠原というと、独自の動植物や本州では見られない綺麗な海など、楽園的な要素を思い浮かべることが多い。

しかし少し散策してみると、何やら得体のしれない洞窟のようなものを見かけることがある。

小笠原諸島はその昔、軍事拠点でもあった。
島から少し南に下った場所にはあの"硫黄島"もある。

そのため今でも町中にトーチカの跡が残っていたり、周囲の海底には軍艦が沈んでいたりと、いたるところで当時の名残を目にすることになる。

それらのことを戦跡といい、一般人は入れない島の奥地にも多数残っているという。

板長の戦跡ツアー

そうした戦跡をめぐるツアーで一番有名なのが、板長と呼ばれるおじいさんが行っている戦跡ツアーだ。

なんで板長かっていうと、もともと板前さんだったことが由来らしい。

ツアーの場合、ガイドなしでは入れない小笠原の山奥にも行くことができる。

敗戦後、島に進駐してきた米兵がお土産にと首だけ持って行ったらしい

スタート地点は首無し金次郎像のあたりだったと思う。

山道に入ってほんの数分、いきなり人工的につくられたと思われる洞窟が。
旧海軍の通信施設の入り口だという。

洞窟の中を進んでいく。
内部には軍施設だった時の名残が今でも残る。

昼間でも懐中電灯がなければ何も見えない洞窟の中を進み、出たと思いきや今度は南の島特有の植物に囲まれた山道を歩いていく。

ツアー参加者の大半が高齢者だったため多変そうだった
ふと横を見ると野戦砲が

本州の山ではあまり見ない植物を見ながら歩くのは、探検気分にもなって楽しい。
しかしふと周りを見るといたるところに戦跡が。

一見自然にできたと思う穴の中に入っていくと

奥はコンクリートで固められた空間になっており、ここにも野戦砲。

数十年前はここに人がいて、生きるか死ぬかの生活をしていたのだ。

山中には食器など当時の生活用品も転がっている。
星のマークは軍用の証とか。

大砲の向かう先には海が広がっている。
近くに来た米軍の軍艦に向かって威嚇のつもりで撃ったところ、なんと命中したことがあるのだとか。

島に来る前まではこんなにもたくさん、戦跡が残っているとは思わなかったのでとても意外だった。

次回


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