「なぜ」の答えはどこにもない
こちらの動画を見て、私の中で今までよくわからなかったことが、腑に落ちました。
共有させていただきます。
以下に書く内容は、この動画と直接的には重ならない部分があるかもしれませんが、この動画を見たことで私自身が気づいたことを書きます。
心は幸せで満たされているのになぜ現実は変わらないのか
私はとても幸せ
私は満たされている
私の心は豊か
摂食障害で低体重となり、2022年7月から仕事を休職していました。
それからは摂食障害を克服しようと、内面と向き合ってきました。
「自分の考えが病気を引き寄せた。
ではどうやってこれから考えて行けばよいのか。」
感謝、引き寄せの法則、引き受け、不食、ヨガ哲学、ノンデュアリティ
など
自分の内面と向き合うために、いくつもの本を読んできました。
読んでいるうちに徐々にわかってきました。
いつも周りのせいにしていたことに気づきました。
どうして子どもが言うことを聞いてくれないだろう
どうして誰も助けてくれないのだろう
どうして経済的に苦しいと感じるのだろう
どうして孤独なのだろう
どうして、どうして、どうして.…
本を沢山読んだことで、この「どうして」がなくなり、
とても幸せに過ごせるようになりました。
でも、この「どうしては」どこかに残っていました。
それが今わかりました。
結論は、
「答えはなかった」
でした。
いや、本当はあるのです。
ただ、私達は忘れてしまっているのです。
答えは「自分の中」にありました。
全ては自分が作り出したもの
怒り
不安
悲しみ
こういった感情は「私」が感じているものです。
外は関係ありません。
「私の外のもの」を私が勝手に判断しているに過ぎません。
私が勝手に判断しているのだから、いくらでもコントロールができます。
それに私は気づいていませんでした。
・子どもが言うことを聞かない
言うことを聞かないと思っているのは自分。
「言うことを聞かない状態」は存在しない。
言うことをなぜ聞かせたい?
本当に必要?
何が必要は人によって違う。
子どもも「一人の人」である。
親は親としての考えを伝え、後は子どもを信じて見守る。
それだけで良い。
・家事を手伝ってくれない
「手伝ってほしい」と思うのは自分。
なぜ手伝ってほしいと思うのか?
「手伝い」= 「助けてほしい」こと
では、「手伝い」は当たり前ではなく、お願いすること。手伝ってほしいければお願いする。
お願いして手伝ってくれないのなら、それは「手伝ってもらうこと」ではなく、私が必要だと判断した「私がやること」になる。
・お金がない
なぜお金が不足していると思う?
本当に必要なことだけに使っているのか?
健康的な食べ物
生活な便利なグッズ
便利なサービス
服飾
娯楽
自分自身が満たされているのなら、欲求はなくなる。
満たされていないから、消費することで満たそうとする。
欲求は消費では満たされない。
この車がほしい
あのバッグがほしい
実際手に入れたら、また次の欲求が生まれる。
自分を満たせるのは、自分の中だけ。
その術をみんな忘れてしまっている。
全て既に持っている
生を受けた喜び
共存することを喜び
私たちが気持ちを満たすことはいくらでもある。
それを忘れてしまい、外に満たすものを欲してしまう。
本当は、全て持っている。
風の時代
今、個々の内面と向き合うことが必要だということに気付かされる時代に入っています。
多くの人が忘れていた喜びに気づき、
多くの人が幸せになれる世の中になることを願います。
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