死への恐怖の克服
私は幼少時代から「死」を考えてはとてつもない恐怖に襲われていました。
死んだ後は「私」という存在は何もなくなってしまうのだろうか。
死んで自分の意識がなくなったらどうなってしまうのだろう。
いつかは必ず訪れる「死」に対し考えを巡らせ、眠れなくなることも多々ありました。
それが過食嘔吐がなく少食生活になってからはこの恐怖を感じなくなっていました。
自分を信じる
自分を愛する
あらゆる本を読み、自分の中でパラダイムシフトが起こりました。
そして以前は持っていなかったこのような価値観が新たに形成されていきました。
すると、恐怖や不安が感じなくなっていました。
それが「死」に対しても同様でした。
過食嘔吐で体が悲鳴があげながら過ごしていたのが、少食になり体が自然の状態へ変わっていったことが大きく影響しているように感じます。
より自然な状態を受け入れられるようになり、自分にとって生きやすい状態となっている。
少食で自分が必要だと思うものを摂る生活。
それを焦らず続けて行くことです。
しかし、久しぶりに昨夜「死」への強い恐怖をまた感じました。
交通事故による怪我で寝ているとき以外は痛みを伴っている状態にあります。
その中で「瞑想」をするのこともお休みしていました。
昨日は久しぶりに瞑想をしたのですが、気持ちが落ち着かない。
日々瞑想を行うこと大切さを痛感し、「また毎日瞑想を行うようにしよう」と思って眠ろうとしたところ、この恐怖を感じました。
思い当たること。
それは怪我をして痛みに耐えて過ごしていることが原因だろうな、と思いました。
不調の中、精神状態を安定させることは容易いことではないと思います。
体と心は繋がっている。
どちらかに問題が生じれば、もう片方も問題が出てくる。
ごく当たり前のこと。
そう思うと、「死」への恐怖を再び感じるようになっているのも一過性のものなの。
だから、気にすることはない。
そして眠りにつきました。
食生活が安定していると、心は安定します。
心を安定させたいのならば、食べるものを気をつける。
以前のわたしなら逆のことをしていました。
それが今は自分の体と心からの声を聞いて過ごすことができている。
またこれも感謝です。
ニール・ドナルド・ウォルシュ著「神との対話」
沖縄でメンタルクリニックを開業してらっしゃる越智啓子さんの本の中でも紹介されていたこちらの本。
他の本でもよく引用されていたのを目にしていたのでずっと気になっていたところ、やっと読む機会が訪れました。
自分の信念を持ち、その価値観に従うこと。
自分が幸福かどうかを知っているのは自分だけ。
本当ににしたことだけをどんどんする。
他のことをしているほどの時間はない。
一つ一つの行動をするときに「あとこれを何回することができるのだろう」と考えます。
それを考えると自分にとって良いことを考えたり、行動したりすることを
この短い人生でどれだけできるのだろうと考えさせられます。
言い訳をしているときは気づきません。
それが言い訳であり、自分にマイナスであることを。
目を覚まし、幸せになるよう行動する。
それが広がって世界中が幸せで溢れることを願います。
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