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自分を「可愛い」という勇気

小学5年生の時、担任は私を嫌いだった。


「お前のお母さんは美人なのに、なんでお前はそんなんなんだ?」

二者面談で、担任が私に言い放った一言は、10数年経った私の心臓にまだ刺さっている。


「この前のクレペリン検査で、リーダーシップがあって 頭の回転が早いって結果が出てたけど、あれって嘘っぱちなんだなあ、全然当てはまっていないな」

クラスみんなの前でなぜか私にだけ言われた一言は、大学院生活で「自分は賢くない」と自覚するたびに思い出して、抉られる。


それから月日が経ち、教育学部で学んで、実習で子どもと触れ合って、あの教師がどれだけ酷かったのかを改めて学んだ。

そして、実習先で出会った、ベテランの先生は毎分毎秒児童と真剣に向き合い、一人一人を愛していた。

そんな先生に出会うのは初めてだった。

「自分と合わなくて、苦手な子どもだって長く教員を続ければもちろんいる。でも、そういう子たちも含めて全員心の底から愛して、そいつが成長するために考えて指導し続けたい」

その先生のスタンスと深すぎる愛に涙が出そうだった。かっこよすぎてちょっと泣いた。

私も全てを愛したいと思った。

綺麗事かもしれないけれど、いつか自分を取り囲む丸ごとを愛する人生を送りたい。

そんな“愛”を知るために、まずは自分を愛することから始めてもいいのではないかと思った。


私はブスだ。そして頭はあまり良くない。

一重で、スタイルが悪くて、研究に必要な本を読むことが苦手で、内容を覚えることはもっと苦手。論文を書くことは、さらにさらに苦手。学部の時だって、ロクに本なんか読まなかった。

全く、なんで大学院生になれているんだか分からない。


でも、その先生や今の教授に出会えた私は変わったことがある。

「今日は作業が多い」「今日は大変だな」と思った日には、あえてとびきりの可愛い服を着て、朝から丁寧に化粧をして、お気に入りの香水を一振りして、

少しだけマシになった鏡の中の自分に「きょうもかわいい。」と言い聞かせる。

そして、その1日をがむしゃらに頑張る。

そうすれば、なんだかそんな忙しさも、大変優秀な同期たちも、いつもよりさらに丸ごと愛せる気がする。


写真にうつった自分はやっぱりブスだ。

でも、自分を可愛いと言える勇気を身につけた私は、前よりも可愛い。

で、そんな私はめちゃくちゃ強い。なんだって頑張れる。


私は、全てを愛せる人間になりたい。

だから今日も、鏡の中の自分に勇気を出して「きょうもかわいい」と言ってみる。