見出し画像

「好き」は人を、よく救う。

よく人に「多趣味だね」と言われてきた。

確かに、私は「好きなこと」が多い。

食べること 絵画をみること 音楽をきくこと 料理をすること 絵をかくこと 散歩をすること 風景をながめること 妄想に耽ること サイクリングをすること 楽器を演奏すること ミュージカルや劇を観劇すること 漫画を読むこと など など など。

”食べること”ひとつとっても、 パン ケーキ 洋食 和食 カフェ 喫茶店 いろんなジャンルがあり、その一つ一つが奥深い。

絵画で言えば、東山魁夷や琳派、モネが好きで その美しく幻想的な様は、時間や同行者に許される限りずっとずっとみていられる。

音楽でいえば、J-POP ロック クラシック ジャズ R&B など など など。コンサートホールやブルーノートに一人で足を運び、ジャニーズのコンサートにも一人で参戦する女だった。

趣味、というには微妙に浅いものもあるが、どれもが世界にあふれるわたしの「好きなこと」である。

そうした「好きなこと」は、これまでの微妙に下手な人付き合いの結果生まれたものだった。

私は一人っ子で、音楽家だった両親は共働きで、仕事の都合上平日も週末もほとんどいなかった。祖父母や時折やってくるベビーシッターが面倒をみており、その祖父母も店を営んでいたためほとんどを一人遊びで過ごしてきた。かといって、一人で外遊びを許される家でもなく、近所の子どもと遊ぶこともなかった。一人遊びのお供は絵本。そして自由帳。妄想の私は、いつだって主人公を支える健気な脇役だった。

(この頃、自分が主人公でいる人生を諦めていた。なんとも切ない話である。)

2歳から習い事を始めたわたしは、その後最大週7、8程度習い事をすることになる。小学校の頃は、受験勉強や習い事で、ほとんど友達と遊んだ記憶がなかった。わたしは休み時間は、よくリコーダーを吹いていた。人と話さなくてよいから、気を使わなくてよいから。人と話が合わず、少し小学校で浮いている私にとっては、一人で音楽に浸る時間が癒しと逃避だった。

初めて送り迎えなし、一人での外出を許可されたのは、電車に乗って隣の隣の市まで通うようになった中学時代からだった。

「コンビニに行きたい」「一人で行ってこればいいじゃない」

「…ひとりで、コンビニに行っていいの?」

中学一年生。初めて、一人で近所のまちを歩く。ただただ、見知った住宅街を少し歩いて、交差点を渡って、それだけ。しかし、その一つ一つの風景があまりにも未知で、なんだかとてもわくわくして、止まらなかった。

この瞬間、一人で何かをできる範囲が広がったことによる解放感は、未知へ飛び込み、わたしの世界に「好きなこと」を溢れさせる源になった。

中学校入学後すぐにオーケストラ部へ入部しクラシックを聴くようになり、没頭し始めるようになると、学校帰り、コンサートホールへ部活の友人たちと立ち寄るようになった。「なんだ、案外一人で来れてしまいそうだな」と思えば、毎月のように一人でも足を運び出した。知らない音楽の奥深さは、いつだって私をドキドキさせた。

授業で学んだ絵画が美しく、美術を知った。美術館へ通うようになり、住んでいるまちの美術館、隣まちの美術館、隣の隣の…とどんどん足を運ぶ範囲が広くなった。一人で没頭する時間は、まるで湖の底のように深く、穏やかで、その時間とただひたすら佇む作品が愛おしく感じられた。

高校生になると、大阪、東京、神奈川、名古屋、京都、滋賀…様々な場所へ、絵画や音楽に触れることを目的に一人で足を運んだ。そして、その土地の話題のものを食することを楽しむようになった。さらに、家で黙々とその美味しさを再現してみたりする。どんどん、どんどん、楽しいこと、好きなことが増えていく。

ひとりでじっくりと、好きなことを広げ、手が届く限り深くまで楽しんでいた。(そうした行動を自由に許してくれた両親には今も感謝している。)

どんなにつらいことがあっても、どんどんと増えゆく「好きなこと」とふれあっている時間は、時に静かに穏やかでしみじみとし、時に激しく揺さぶられて感動して涙を流し、実に多彩で豊かだった。

とはいえ人付き合いができない、というわけではない。

へらへらと笑い、生まれつき声も大きく、はきはきと話すからか、周囲に「人見知りしなさそうなタイプ」と評価される。ありがたいことに中学校以降は現在まで長く関係を続けてくれる友人たちもいる。友人たちと過ごす時間も、もちろん愛おしく、大切にしたいものの一つである。

しかし、なぜか昔から、「好きなこと」を楽しむために一人で行動することが多かった。おそらく、誰かと旅行した回数よりも、一人であれこれと遠征した回数の方が多い。

友達とそれをすることももちろん楽しい。でも、その楽しさの種類は、”何か”が少しだけ違う。

私の根っこにはいつまで経っても一人遊びの上手な私がいて、悔しいことに、結局こいつなしには私の人生が完成しないのだ。幼い頃からすでに社会不適合者の枠に足を突っ込んでしまっている現実に、学部生の頃気づいてちょっとショックで泣いた。


そして、大学院生になると共にコロナ禍がやってきた。

コロナがわたしにもたらした影響は大きい。ライブやコンサート、ミュージカルなどの公演や展示会は軒並み中止になり、払い戻し地獄を味わった。

進学して引っ越したてだった私には、講義が当初オンラインだったこともあり、ただただ孤独な日々だった。一人の時間は好きだが、孤独はあまり好きではない。

そして、だんだんその孤独を埋めるように、家でめちゃくちゃパンを焼くようになっていた。

講義を受ける。合間に発酵させる。講義が終わればオーブンへ。うまくふくらむだろうか。配合を変えたら、味は?見た目は?今日は昨日より、美味しいかも?

…その日々がだんだん楽しくなった。「好きなこと」との出会いである。

そう。いつだって一人遊びだけは得意なのだ。


こうして、私の「好きなこと」は日々増え続ける。きっと、これからも。

それは新しい世界を広げて深めていく興奮もあるが、やはり、少し苦手で疲労してしまう人付き合いや普段の環境から離れて一息つきたいという、逃避の結果でもある。

今日も1日のどこかで、好きなことに触れながら生きている。

少し見回せば世界中に「好きなこと」が溢れているのだから、私の人生はそれで何より幸福ではないだろうか?

まあ、少し社会に不適合だけれど。


そんなことを考え、過去に思いを馳せながら、研究のストレスの反動で最近好きになったスパイスカレー作りに取り組むことを楽しみに、画面がほとんど真っ赤になるほどダメだしをくらった論文を修正している。

今日も夜はきっと長い。