自分の目にぶっ刺さってる丸太を抜いた人
この人のことをよく存じ上げないのですが、「繁栄の神学」とやらで有名な教師だった模様で、自分の過ちを認めたということです。
間違っていたとしても戻ることができない過程が描かれていて、
こういう改心って、なかなかできるものではないと思う。
だけど、命があるうちに方向転換できる機会があってよかった。
やはり原点は十字架の福音。
こういう改心があるからこそ、異端だからと言ってその人のことを裁いてはいけないんだなと心から思った。後悔して落ち込んでる人に石を投げつづけることのないように。心の中は神様しかわからないのだから。
聖書のみことばってすごいな。
スピリチュアル系で有名だったドリーンバーチューも聖書読んで考えを改めたうちの一人だ。昔このニュースを知って本当に驚いた。
「私が天使だと思って伝えてきたメッセージは、すべて(天使になりすました)悪魔の仕業で、私は悪魔のメッセージを伝えてきていた。」
本当にこういう改心ってなかなかできるものではない。
ドリーンバーチューのこの告白で我に帰ったスピ系の人がたくさんいたことだろう。
ひとつ注意したいのは、改心したからと言って正しいことを言ってるという訳ではなく聖書のどこに書いてるかなーと一呼吸おいて吟味することは必要だ。
でも、自分の目の丸太を引き抜いた人は、目がみえるようになって他人のチリを取り除くことができる。みんなが自分の丸太を抜けば、あとはチリしか残っていない。私も含めむそれぞれの目の中にある丸太が抜けますように。
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