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自分の目にぶっ刺さってる丸太を抜いた人

この人のことをよく存じ上げないのですが、「繁栄の神学」とやらで有名な教師だった模様で、自分の過ちを認めたということです。

「それ(繁栄の神学からの悔い改め)は、私にとって非常に難しいことでした。私が伝道の働きを始めたころであれば、それは簡単なことでしたが、働きが大きくなると、私の悩みが始まりました。誰かを責めるつもりはありませんが、悲しいかな、あるところまでいくと、それが難しくなるのです。どうすればいいのか、どうすればそこから抜け出せるのか分からなくなるのです」

間違っていたとしても戻ることができない過程が描かれていて、
こういう改心って、なかなかできるものではないと思う。
だけど、命があるうちに方向転換できる機会があってよかった。

やはり原点は十字架の福音。
こういう改心があるからこそ、異端だからと言ってその人のことを裁いてはいけないんだなと心から思った。後悔して落ち込んでる人に石を投げつづけることのないように。心の中は神様しかわからないのだから。
聖書のみことばってすごいな。

スピリチュアル系で有名だったドリーンバーチューも聖書読んで考えを改めたうちの一人だ。昔このニュースを知って本当に驚いた。

「私が天使だと思って伝えてきたメッセージは、すべて(天使になりすました)悪魔の仕業で、私は悪魔のメッセージを伝えてきていた。」

本当にこういう改心ってなかなかできるものではない。
ドリーンバーチューのこの告白で我に帰ったスピ系の人がたくさんいたことだろう。

ひとつ注意したいのは、改心したからと言って正しいことを言ってるという訳ではなく聖書のどこに書いてるかなーと一呼吸おいて吟味することは必要だ。
でも、自分の目の丸太を引き抜いた人は、目がみえるようになって他人のチリを取り除くことができる。みんなが自分の丸太を抜けば、あとはチリしか残っていない。私も含めむそれぞれの目の中にある丸太が抜けますように。

「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。 2あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。 3あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。 4兄弟に向かって、『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、どうして言えようか。自分の目に丸太があるではないか。 5偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からおが屑を取り除くことができる。 6神聖なものを犬に与えてはならず、また、真珠を豚に投げてはならない。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたにかみついてくるだろう。」

マタイによる福音章7章


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