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ラグジュアリーに浸る2つの展覧会 東京都現代美術館『クリスチャン•ディオール、夢のクチュリエ』とインターメディアテク『極楽鳥』

いま日本で最もチケットが取れない展覧会、かもしれない東京都現代美術館のクリスチャン•ディオール展。そして、そちらに比べるとひっそりと開催されているインターメディアテクの特別展示『極楽鳥』。
ラグジュアリーブランドに間近で触れられるこの2つの展覧会が、5月で終わる。特にインターメディアテクは5月7日までと会期終了が迫っているため、のんびりしたい気持ちに喝を入れて3連休の中日にnoteを書くことにした(私の職場は土日勤務がある)。

私は基本的に舶来ブランドにあまり親しまずにこの年齢まで来た。シャネルやヴィトンやディオールの名前は知っていても、「なんでカバンに何十万も払うんだ」と考える方の人間だった。しかし、自分の身近に置く気にはならないとしても、素晴らしいものは素晴らしく、美しいものは美しい。これまでも国立新美術館の『カルティエ、時の結晶』や、東京国立博物館表慶館の『アート オブ ブルガリ』、庭園美術館のティファニー展など、宝飾品の展覧会には足を運んできた。そして、そのたびに貴石の輝きや精巧な細工にうっとりと時間を溶かしてきた。

今回も同じように、とても単純に「美しいものを見たい」と思った。
まずディオール展。年末年始の休み、そうだあれ行こう、と思い立ったが、その時点で予約可能日のチケットはほぼソールドアウト。かろうじて1月4日17:00〜のひと枠をおさえることができた。18時閉館なのに1時間で見きれるのか?とやや不安を抱えつつ、清澄白河へ向かう。
入口はオシャレな若い男女でいっぱいだった。ああそうかインスタ映えするのかな、と思いつつ会場内に入ると、そこはおとぎ話のお城の中だった。どっちを向いても美しいドレスだらけ。お姫様願望のない私でさえ、心が浮き立つ。眼福とはこのことか、と唸りつつ、食い入るようにひとつひとつを見ていく。
とりわけ印象に残ったのは、細やかな手仕事、そして造形の美しさだ。これだけのビーズを縫いとめるのにどれほどの手間がかかるか。このタックやフリルやドレープにどれだけの布と針が使われているのか。挙げていけばキリがない。

ほんの一部

造形の美しさは完成したドレス以上に、トワルの並ぶ部屋で強く感じた。トワルとは、簡単に言えば仮縫いの試作品、服の原型だ。真っ白な布で、ビーズやレースといった装飾が施される前段階の「素の服」を作るという工程があるのだという。そこでは平面の布をどうやって立体的な形に作り上げていくか、という職人技を目の当たりにすることができる。通常であれば目にすることのないこのトワルが本当に美しく、白く光るトワルで埋め尽くされた部屋はまるで空間自体が発光しているかのようだった。

トワルに囲まれる部屋。反対側にもトワルの壁

10年ほど前にファッション畑の人から「なぜ年をとったら安い服を着てはいけないのか」について説かれたことを思い出した。その人いわく、年を取ると、個人差はあるが多くの人は体の肉づきがよくなり、シルエットが曲線的になってくる。そうなると、大量生産の安い服に体が合わなくなるのだそうだ。そういう服はパターンが単純で、直線で構成されているのだという。そうしないと大量生産できないからだそうだ。一方、ある程度きちんと手間をかけられている、結果として売価も高くなるような服は、パターンが人体の曲線に沿うように作られており、その人の言葉を借りると「年齢を味方に変えて美しく見せてくれる」のだそうだ。そういったパターンの妙の、究極の形がこのトワルなのだと思う。この服に身を包んだら誰だって美しくなるだろう、と思わせる力があった。

この部屋を筆頭に、どこもかしこも見所だらけで1時間では全く足りなかった。自分はフェレとガリアーノが好きなんだな、とデザイナー別に比較してみたり、デザインやデコレーションに自分の好みを再発見したり。
写真家の方のインタビューも興味深かった。静と動、という相反するものを1枚の写真の中に表現する技法によって、ドレスそのものの美しさと動きによって現れる美しさの両方を知ることができる。
ドレスを包む空間も、どの部屋も圧倒的だった。そんなところまで細かく言いはじめたら、とても語り尽くせない。

展覧会で感情が動くことは多いが、こんなに興奮しながら回った展覧会は初めてかもしれない。写真はたくさんSNS他に上がっているけれど、やはりあの場で見た感覚までは伝わらない。行く価値がある、と人に勧めたくなる展覧会だった。


一方、インターメディアテク。こちらはチケット争奪戦とは無縁だ。なぜなら無料だからである。無料でこれを見せてもらっていいんですか!と毎回思う。
今回の『極楽鳥』は、公式ページに「鳥をモチーフとした宝飾芸術の歴史的名品を、鳥の剥製標本をはじめ一級の自然史標本および研究資料と合わせて展示します」「鳥類の色彩や羽毛の多様性とその生物学的意味を知り、それにインスパイアされた人間のデザイン、そして人間の想像を超える進化の妙を体験できる場とすることが狙いです」とある通り、インターメディアテクでないとできない展示だと感じた。ヴァンクリーフ&アーペル、通称ヴァンクリが支援する宝飾品の学校との共同主催とのことで、果たしてどんなものが見られるのか…とわくわくしながら丸の内へ向かった。

インターメディアテクに行ったことがある方には分かってもらえるかもしれないが、あそこは独特の雰囲気があると私は思っている。自然と足音を抑えてしまうような、なんとはなしに話し声もひそやかになってしまうような、秘密を覗き見る感覚。窓の外は明るい丸の内のビル街で、すぐそこに東京駅が見えるのに、あの空間だけは別の次元にいるような感じがする。
そんな中に並んだ、煌びやかなジュエリーと鳥の剥製。剥製とは死だ。羽毛そのものは命が失われても輝きは変わらないが、それでも私が見ているのは、言葉を選ばすに言えば「死んだ鳥」だ。そのすぐ横には眩い光を放つ大粒の宝石がある。光と影の落差に混乱する。

展示室の一部

様々なアーティストが、自然をモチーフに作品を創ってきた。自然は模倣の対象であったり、インスピレーションの源泉であったりする。一方、人間は自然に侵襲してきたことも事実だ。人間のせいで激減、さらには絶滅した生物が数限りなく存在する。
恐ろしいほどの値がつきそうな豪奢なジュエリーを単眼鏡でひとつひとつ見ていると、人間の業の深さの一端を垣間見たような気がした。自然の中に美を見出し、価値を認め、こんなに美しいものを創り出す反面、それらを踏みにじりもする。ここでもまた光と影、表と裏、そんなことを思った。だが決して、ジュエリーが光で、失われた命や自然が影だということではない。どちらもそれぞれの立場に置かれうる時があり、見る側によってどちらに置かれるか変化していくものなのだと思う。

ちなみにこの展覧会は、40ページはあろうかというフルカラーのミニ図録まで無料だ。コスパという概念にこだわるのはあまり好きではないが、コスパというならこんなにコスパのいい展覧会もない気がする。あれだけのハイジュエリーを大量に見られる機会も、そうそうないのではないだろうか。ヴァンクリ以外にも、カルティエ、ティファニー、モーブッサンなど錚々たるジュエラーの貴重な作品をじっくりと味わうことができる。

スマホだと上手く撮れない

どちらの展覧会も、普段、というか一生縁のないであろうラグジュアリーな世界に浸り、存分に美しいものを見尽くすことができて幸せな時間だった。美しいものはやはり人を幸福にするのだな、と改めて感じ、それを享受できることに感謝した。

インターメディアテクの『極楽鳥』は5月7日まで、都現美のディオール展は5月28日まで。


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