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約20年前に男性育休を取った備忘(2)~児童館~

ぼくが育児休業を取得したのは、今から18年前だ。
曖昧な記憶だが、当時男性で育休を取得したのは、首都圏で労働組合のあるすべての会社で累計で89人しかいなく、ぼくが90人目だった、と記憶している。

今この時代が「こんなに子どもを育てる社会の環境は変わった、良くなった」ということを改めて噛みしめる意味で、18年前の体験を記録しておこうと思う。



ぼくが育休に入る頃、相方から、自宅の近くに児童館(こども文化センター)があること、そこに乳児が遊べる広い部屋があることを教えてもらっていた。
今の住まいより狭いアパートで暮らしていたし、とにかく毎日同じ家で過ごすのが耐えられなかったので、ぼくは育休に入ってほどなくこの児童館に行ってみることにした。

そして、ここで出会った人たちとの対話が、その後の僕のキャリアを決定づけることになる。


ある日、子どもを連れて児童館に行った。
2階にある乳児室に上がり、ドアを開けると、そこにはすでに何組かの親子の先客がいた。
その時

「はっ!!…」

と声が聞こえ、奥の方に座っていたママたちが急に慌ただしくなり、ただならぬ雰囲気が伝わってきた。

次の瞬間、ぼくはすべてを理解した。

(全員、授乳してる…!!)

とっさにぼくは後ろを向きママたちから視線をそらしたが、もちろん間に合うはずもなく、しばらく気まずい雰囲気が広がったが、その後はお互い平静を取り戻して、「お子さん何歳ですか?」などをきっかけにして言葉を交わせるようになった。
こちらが珍しい男性ということもあり、割とすぐに打ち解けることができた。

そして、そこでママたちと話をしているうちに、その後の僕のキャリアを決定づける2つのことを知ることになった。


ひとつは、
数多くの母親たちが、仕事と子育ての両立に悩み、結果的に仕事をやめていたことだ。

「産休中に夫婦で育児を協力し合うことを約束し復職したが、蓋を開けてみると夫の帰宅時間が変わることはなく、結果的にワンオペ育児(当時はそんな言葉はなかったが)になってしまい、疲労が蓄積して辞めてしまった」

「金融機関に勤めていたが、復帰面談で保育園の送り迎えに対応することを伝えたら、帰宅時間が一定になる窓口業務への異動を打診された」(不利益な扱いは違法なのだが)。

「何度夫婦で話し合いをしても、どうしても自分が退職する以外の選択肢が持てなかった」

「忙しい会社の部署にいる中で産休に入ることになり「部署のみんなから」と贈られた花束に、実は2人しかそのカンパに参加していなかったことを知ってしまい、ショックを受けた」 …

こういうエピソードを聞かされるまではあまり実感がなかった、多くの人のキャリアが閉ざされた現場を思い知った気がした。



もうひとつは、
世の中の男がなんてばかなのか、ということだ。

「おむつを替えてくれるというのでお願いしたら、『ごめん、これ俺無理だ』とうんちのおむつをまた閉じて子どもを持ってきた」

「夜泣きしている子どもに起こされた夫が『子どもが泣いてるよ』と私を起こしてきた」

「疲れて寝てしまった日、夫に保育園の用意をお願いした次の日登園しようとしたら、おむつが買ったままの状態で袋ごと保育園バッグに突っ込まれていた」


あまりの男たちのばかさに「なんか、なんかすみません」とぼくが謝ったよう気がする。
「男の人が育休とってくれて、いい旦那さんですよね~」と言ってくれたが、その褒められた気持ちの良さより、いっぽうでやりきれない思いを抱える人たちの気持ちを考えると、自然とごめんなさいがでたのだろう。


そんな日々を送っているうちに、なんとなく

「こういうばかな男たちにつける薬を開発しないと、これからも無数の人たちのキャリアが途切れてしまうな…」

という思いを持ったのだ。


そんなこともあり、復職後ぼくは「会社の働きやすさを作る仕事をしたい」という思いを持ち、転職活動をすることになるわけだが、育休中は他にもいろんな得がたい経験をたくさんしたので、その話をまた次回しようと思う。



NEXT:~買い物~


※今後このへんのエピソードを上げていく予定です。
もしもご興味ありましたらお話もしますので、お声がけくださいませ。





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