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灯りのない暗闇に浮かぶ孤独と不安と悲しみ

昨日は地震がありましたね。

東北、関東はかなり揺れました。他の県も揺れてましたね。

一部地域では停電したり、負傷者が出たり、火災が起きてニュースになってました。

震度が強く被害のあった地域の人達は不安と恐怖と戦っていると思います。

負傷者も心配ですが、停電が起きた地域の人達が凍えていないか心配です。

以前、秋田県の知人から雪で停電になってしまって、暖房類が一切使えず、毛布をかぶって夜を過ごしたと聞いたことがありました。

雪が降る地域の人達は無事なんでしょうか……。

人間は自然の前では無力だと言いますが、まさにそれを痛感したことがあります。

私は数年前に台風で家を失いました。

水害が起きやすい地域に家があって、台風で雨が降るたび床下浸水していました。

「違う土地に引っ越したほうがいいんじゃないか?」と家族に言いましたが、私の意見は受け入れてもらえませんでした。

祖母がその土地から離れたがらず、両親は経済的に反対という感じでした。

月日は経ち、台風がきました。強い雨が降っていました。

ほとんどの住民が「いつもみたいに床下浸水くらいだろう」と思っていました。

ところが川の水はどんどん増していき、止まることなく溢れ、ついに人家の方までやってきたのです。

さすがの事態にみんな避難しました。

避難所は家から少し離れた○○中学校だったのですが、予想以上の避難者が来てしまい、避難を断られた人がいたと聞いて、私たち家族は▲▲小学校に避難しました。

▲▲小学校は噂によると避難所に指定されてなかったらしいのですが、他の避難所はかなり遠く、避難を断られて困った人もいたため、急遽避難所になりました。

いつの間にか市役所の職員さんなどが来ていて、食料や毛布などを配ってくれました。

雨は一向に止むことはなく、水が家を隠していきました。

私の家は完全に見えなくなっていました。

その日の夜は雨音がうるさくて眠れませんでした。

避難所は「いつ水が引くんだろう」「これからどうしよう」という不安と、何もかも無くなってしまった悲しみが漂っていました。

水がだいぶ引いても状況が分からないので帰れず、避難所で過ごしていました。

家が大丈夫だった人達が温かいおにぎりと惣菜を持ってきてくれて嬉しかったです。

家に帰れたのは約3日後でした。

家は半壊しており、ガラスや家具の破片がそこらじゅうに散らばっていました。

家のなかはメチャクチャになっていて、何もかもがダメになっていました。

しばらくは片付けの日々でした。

私は持病が悪化してしまったため片付けには参加していなかったのですが、片付けるのに体力使って大変なところに嫌いな親戚や知らない人達(おそらくボランティア)が来てストレスが溜まったそうです。

加えて、親戚に預けていた祖母がタクシーを使って毎日家に来てしまい、余計なことを言って父とケンカになったとか。

半壊した家は解体しました。

その後で今後どうするかの家族会議が開かれ、よその土地に引っ越そうという意見が出たのですが、祖母が頑なに引っ越しを拒否したため、揉めた末に家を建てるのをやめました。いま家族はバラバラに住んでます。

家があった場所は更地になりました。

何もありません。

祖母はいま叔父(父の弟)の家に住んでいるのですが、家があった場所に帰りたくてしかたないみたいです。

我儘言うわ、近所の人に家族の悪口を言うわで毎日叔父を怒らせています。

台風で家を失った人はたくさんいました。

大半の人達はショックを受けて茫然としていましたが、一部の人達は東日本大震災で被害にあった人達と比べたら俺らは何ともないと言って行動してました。

私はいつかこうなると思っていたのでショックを受けませんでした。

家族に「なんでお前は何ともないんだ?」って言われましたよ。

床下浸水起こりやすい地域な上に我が家は築年数が40年以上だったので、いつかはどうにかしないといけないと思っていたんですよね。

だから「引っ越したほうがいいんじゃない?」って言ったんですけど、家族は誰も聞いてくれなかったんだよなぁ……。

あのとき引っ越していたら何か少しは変わっていたんじゃないかと思う日が今もあります。

自然災害を甘くみてはいけません。

物も壊しますが、人の心も壊します。

『備えあれば憂いなし』と言いますから、いつ何が起きてもいいように備えましょう!!

そしてまた地震が起きたときは慌てず落ち着いて行動しましょう!!


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舞坂由弥
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