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ほおずき風船と魔女の森

森に探しものに行こうと思った。
グリム童話に出てくるような森に。魔女の住んでいる森に。
でも日本にそんな森があるだろうか?
不安になっていると、すれ違った熊が、ぼわっと赤く灯っているほおずき風船を一つ持たせてくれた。
「これあげる。この風船にしっかりつかまって探しものを探しに行きなよ」
「もらっていいの?大事なものでしょう?」
熊はうなずいた。
「いいよ。あげる。大事だけど、あげるよ」
「ありがとう。熊さん。ありがとう」
私は道で熊とすれ違ったこと、その熊がしゃべること、熊がほおずき風船を持って立って歩いていたことなどを何一つ疑問に思わずに風船を受け取った。思えばそこでもうおかしなメルヘンの森の中に入り込んでいたのだ。なぜそんなことに気がつかなかったのだろう。私はいつもぼんやりしていて頭が悪いのだ。バカだなあ、と心の奥でせせらわらう声がする。みつけてつまみ出してしまいたい何か。いつも私をせせらわらう何か。きっと黒くていやな姿をしているにちがいない。でも私は今、とても美しいほおずき風船をにぎってそっと地表から浮かび上がるところだったので、そんな邪悪な声の主でさえ気にする暇はなかった。
たとえば鉄棒に片手でぶらさがる。そんなことをしたら手と肩に体重がかかって大変なことになる。なのにそのほおずき風船の細い茎をにぎるだけで、どこにも力がかからずに体全体がふんわりと空へと浮かんで行くのだった。

私はすぐに雲の中に入ってしまった。それはすなわち濃い霧の中のようなものだ。霧が晴れたとき、私は森の中にほおずき風船を持って立っていた。そう、童話のような森の中の童話のような道に。そうか、日本では童話のような森は空の上の雲の中にあるのか。私はひどく納得のいった気持ちになって道を進んで行った。
思った通り道の先には魔女の小屋があった。イチゴケーキのような白い屋根とピンクの壁とチョコレート色の窓枠のある小さな小屋だ。お菓子の家ではなかった。壁を指でさわってみたのだ。少しだけガッカリしたが気を取り直して私はドアをノックした。すぐに黒い尖った大きいツバ広の帽子をかぶって黒いワンピースを着たおばあさんが顔を出し「おはいり」と私に言った。
私はちょっと迷った末、壊さないように用心深くほおずき風船ごと家の中に入った。
家の中では魔女らしい大鍋で何かがぐつぐつ煮えていた。訳の分からない不思議な匂いがしている。カエルやヘビが入っているのだろうか…でも嫌な臭いではない。
「わたしゃ魔女だからね。なんでもお見通しさ。あんたの用件もね」
魔女はそういうと私が何も言わないうちに人差し指ほどの小さなガラス瓶を差し出した。中には白い液体が入っている。
「これを目に差せばすぐに眠れるから。アンデルセン童話を知ってるだろう?」
私は深くうなずいた。
「オーレおじさんの目薬ですね」
右手で小瓶を受け取った。
「代わりにそのほおずき風船をよこしな」
私はだまって左手で風船を差し出した。熊に返せないけど仕方がない。後で会えたら謝ろう。でも帰りはどうしたらいいのだろう?
「帰りはこれにつかまればいい。自分で帰ってくるから大丈夫」
魔女は黒い蝙蝠傘をくれたので私はお礼を言って左手にそれを受け取った。小瓶はスカートのポケットにしまった。
「ありがとうございました。魔女のおばあさん、本当にありがとうございます」
私は深々と頭を下げて魔女の家を出て、来た道を歩いて戻った。
目的のものを手に入れて、嬉しくて足取りがはずんでいた。
確か最初ここに降り立った、と思う場所で、魔女の蝙蝠傘を開いた。
すると私は数匹の蝙蝠につながる紐の束をにぎりしめ、じりじりと下に向かって降りて行っていた。
雲の中を抜けると、ばさっという音とともに私は野原の上に倒れ落ちた。思わず握っていた紐を離すと蝙蝠たちは飛んで行ってしまった。
と思ったら、頭の上にいつまでも一匹だけ黒い大きめの蝶のように蝙蝠が飛び続けていた。私が立ち上がるとその蝙蝠は私のおさげ髪をにぎってぶら下がり、耳元できぃきぃ叫んだ。
「おい!出てこい!」
するといつも私をせせらわらっていたものが耳の穴から飛び出して目の前でホバリングして見せた。それは想像と違って、金色の美しい妖精のような姿をしていた。
「ふん!バカなものはバカって言って良いでしょ!」
美しい妖精が私を見ていつものようにせせらわらった。
「この子はバカなんかじゃない!」
蝙蝠がまたきぃきぃ叫ぶと金色の妖精は笑いながら消えてしまった。
蝙蝠は私の耳に今度はやさしいやさしい声で言いきかせた。
「大丈夫。君はバカじゃない。良い子だよ。とっても良い子だ」
私が驚いておさげの先をみるともう蝙蝠はいなくて、かわりに大きな黒いビロードのリボンが付いていた。
私はスカートのポケットに手を入れる。小瓶はちゃんとあった。取り出してみると霧のような白いものがちゃんと入っている。
私は安心して、そして可愛いビロードのリボンが嬉しくて、もう誰も私の中で私をバカにしないことにホッとして、家への道を歩き始めた。
もしあの熊にまた会えたら、ほおずき風船を魔女にあげてしまったことを謝って、うちまで来てもらって昨日焼いたパイナップル入りのパウンドケーキを食べてもらおう。飲み物は何が良いだろうか。ハチミツ入りのカフェオレは好きだろうか…
私は小瓶を握りしめてそんなことを考えながら家路を急いでいた。

(了)

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