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マトリョーシカの一番奥に

マトリョーシカの中には重ねられた人形が入っている。はずだ。
私がロシアの友人ダーリャから贈られたマトリョーシカには確か中に4人の女の子が入っている。一番外側の一番大きい子を入れて合計5人のまつ毛の長い女の子達だ。
(でも本当にそうだろうか?)
そんな心の声が聴こえたのは梅雨の終わりの蒸し暑い天気の悪い日の夕暮れだった。私は暑さと湿度と家族と仕事にイライラしながら自分の机の前に座っていた。まだ夕暮れなのだからそんな自分の机の前に座ったりしていてはいけないのに、私は座っていた。そして目の前に飾られた青っぽいドレスに薔薇が描かれたマトリョーシカ人形をじっと見ていた。
心の声を確認するために、人形を開けてみる。まず一番大きな子をひねって、二番目の子を取り出す。一番目の子に比べて二番目の子は半分以下の体積しかない。そこから三番目の子も取り出す。三番目の子は更に小さい。四番目の子を取り出す。小さいのでもうお腹の薔薇の花が描かれていない。でもまだお腹が割れて次の子が出てくるのだ。
私はとても小さな五番目の子を取り出す。自力で立つのが少し大変そうな、小さくて雑な造りの最後の子。
(本当に最後なの?)
また心の声がする。
最後ですとも。
だって何回も、その子達がやってきてから何回も、私は念のために最後の子のお腹をひねってみたのだから。
(でも今日はひねってみたの?)
また心が問いかけてくる。
いいえ、今日はまだ、やってみていない。だってそんな必要はないでしょう?絶対に最後の子なんだから。もうお腹からもっと小さい子が出てきたりしないんだから。
自分の心の声に全力で反論する。心の声は聞こえなくなった。でも私は大きな不安に襲われる。
今日試したら開くことがあるっていうの?
私は恐る恐る、一番小さな、私の小指よりも小さな人形を手に持ち、お腹の辺りをひねってみる。
開いた。
まさか!
開いた人形の中から出てきたものは、人形ではなかった。人形と少し似た形の種が一粒。これは…これはひまわりの種ではないだろうか。
見慣れた黒と白の縞々ではないけれど、人形と同じブルーと白の縞々だけれど、これはひまわりの種にしか見えない。
どうしようか、お腹に戻そうか?それとも土に埋めようか?
私は土に埋めてみることにした。
外を見ると薄暗いが雨が止んでいた。
私はさっと立ち上がり、人形達をそのままにして庭へ出た。
そして掃き出しのすぐ下の土にその種をぐいっと押し込んだ。雨に湿った土は柔らかくその不思議な種を飲み込んだ。
私はとても満足して部屋に戻った。机の上の人形達を片付ける。
順番に中にしまっていこう。
あれ?
さっきひまわりの種が出てきた一番小さな人形のお腹が、開かない。開いていない。さっき開けて種を出したはずなのに。
「あれ?」
私は声に出しながら、何度も小さな人形を調べてみる。
何度確認してもそのお腹は開かない。
私はあきらめて、その人形を一つ上の大きい人形にしまい、それをまた上の人形にしまい、5つの人形を重ね終え、もとの場所に置いた。
どうしよう。さっき埋めた種がほんとうにあったのか、埋めた場所を探してみようか?
私はしばらく考える。雑にティーバッグで入れたアールグレイを飲みながら、飲み終えるまでの時間、ぼおっと考える。
そして掘って探さないことに決めた。
でも、ときどき水をかけてみよう。
いつか芽が出るかもしれないから。



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