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薔薇の福引き【ウミネコ文庫応募童話】

静かな雨の日は一人で歩いているのにちょうどいい。晴れた日だと一人で歩いているのが少しきまりがわるいと沙和は思う。転校してきたばかりだからまだ帰り道はいつも一人だ。
引っ越した時に買った新しいうぐいす色の傘に雨があたるパラパラという音が心地いい。だんだん楽しくなってくる。どこかで雨蛙がけろけろと鳴いている。沙和さわは、けろけろ、と心の中でつぶやく。ますます楽しくなる。

もう少しで家に着く。目印の、神社の横の古い公民館の、その隣の家の生け垣から、赤い薔薇が道の方に飛び出すようにして咲いて花びらをこぼしていた。沙和はつい傘を差したまましゃがみこみ、そのビロードのような赤い一片ひとひらを拾いあげる。
「それを十枚集めるとね」
傘の上から静かにおばあさんの声が降ってきた。沙和は傘を斜めにして顔を出し、声の相手を見上げる。顔に雨があたった。
雨空を背景に、灰色のワンピースを着た白い髪のおばあさんが白い傘をさして立っていた。
白といってもそうだ、この色はアイボリーというのだ、象牙色だ、おばあさんの髪も傘も。と沙和は思い、つい「象牙」という言葉が口からこぼれでた。
「え?象牙?」
おばあさんに聞き返されて沙和はあわてて首を振る。
「これ、象牙よ」
おばあさんは自分のワンピースの襟元につけられた小さな小鳥の形のブローチをつまむ。
「ああ、ええと、それでね、それ十枚で薔薇の福引きができるのよ」
アイボリーのおばあさんがほほえむ。
「福引き?」
沙和はしゃがんだまま繰り返す。
「あの、がらがらって回すのですか?」
「そうよ」
沙和は大急ぎで濡れた地面に散らばった赤い花びらをひろい集める。
二、三、四、五、六、七、八、九、…十!
そしてすくっと立ち上がり、十枚の花びらの乗った手のひらをおばあさんに見せる。
「福引き、お願いします」

沙和は手のひらの花びらを落とさないように、そっとおばあさんの後ろを歩いて敷地の中へ入って行く。雨に濡れた小さな庭にはぎっしりと木や花や草が植わっている。
ミントに囲まれた踏み石はどう気を付けて踏んでもミントの葉を踏むので香り立つ。それとは別に玄関の脇の羽衣ジャスミンが甘く香る。屋根の上の方には紫色の桐の花が咲く。あれもかすかに香りをまいているだろう。縁側の足元にはあれはラベンダーだろう。こんもりと茂っている。ここは香るものでいっぱいだ。雨が香りをおさえているような濃くしているような、そんな不思議な気配がする。
「さあ、ここよ」
おばあさんはがらりと玄関を開ける。ひんやりとした玄関の内側はモザイクのようなタイル敷きで、古びた木の机が置かれ、その上にやはり古い木でできた、ぐるぐる回す福引き機が乗せられていた。木のハンドルは赤く塗られているが持つ箇所の色は剥げている。
「あのう、何が当たるんですか?」
沙和は訊ねてみる。
「一等は薔薇の鉢植え。二等は薔薇のジャム。三等は薔薇のポプリ。外れはナシよ」
ポプリってなんだろう、と思うが沙和はどれもなんて素敵そうなのだろうとドキドキしてきた。
「さあ、福引き券を数えましょうね」
おばあさんにうながされ、沙和は左の手のひらに乗せた薔薇の花びらを一枚ずつ、右手で机へと移す。
「いちまい、にまい、さんまい、よんまい…」
おばあさんがつぶやくように数える。
「十枚あるわね。さあ一回どうぞ」
沙和は色のはげた木のハンドルにそっと手をかけ、できるかぎりゆっくりをそれを回す。中で球がごろごろと転がる音がする。
チーン。という音がして、球の出口からは薔薇と同じ赤い色の球が一つ転がり出た。
「あらまあ、大当たり!一等よ!」
「ほんとですか?やったー」
沙和はうれしさで頬を赤くしながらついはしゃいだ声を上げた。
「さあどうぞ。大切に育ててね」
おばあさんは足元に置いてあった、赤い薔薇が一つ咲いた小さな鉢を袋にいれて沙和に手渡した。
「ありがとうございます!」
真っ赤な頬の沙和をにこにこと見ていたおばあさんは
「ああそうだわ、これも」
と言って、襟元の小鳥のブローチを外した。
「もらってちょうだい。あなたみたいな孫がいたらあげたかったの」
沙和はおばあさんに見送られながら、その少し重い鉢を抱くように抱えて家に帰った。ポケットには、おばあさんが木綿のレースのハンカチに包んでくれた象牙の小鳥が眠っている。

もらった薔薇は沙和の新しい家によく似合い、夜遅く仕事から帰ったお母さんはとても喜んだ。象牙のブローチは自分が欲しいほどだと言ってうらやましがった。
「お礼を言いに行きましょう」
次の土曜日、お母さんは素敵なクッキーが詰まった缶を一つ、紙の手提げ袋に入れ、沙和を連れておばあさんの家を訪ねた。
まだほんの数日だというのに生け垣の薔薇はもうすべて散っていた。
ちりちり、という小さな音の呼び鈴を鳴らすと中から出てきたのはあのおばあさんではなかった。
「どなた?なんの御用です?」
そっけなく言うその中年女性に母は笑顔で事情を説明しながらクッキーの缶の入った手提げ袋を差し出した。
「ああ」
ぶっきらぼうに母の話を途中でさえぎったその女性は
「それは叔母ですが入院してもうじき亡くなるところです」
そういって手提げ袋をさっと奪うように受け取った。
「でも変ね。あの人はもう去年から施設にいるのに」
そうつぶやくと沙和たちを追い出すようにぴしゃんと玄関を閉めた。

おばあさんが亡くなるとその家は取り壊されて敷地は区切られて何軒かの家が建ち、ばらばらと売られていろいろな人が住むようになった。
毎年五月になると、今では沙和の家の生け垣いっぱいに増えて伸びたあの薔薇は、赤く美しく良い匂いをさせて咲きこぼれる。沙和は調べて花びらでポプリを作った。薔薇のジャムも作ってみた。
そしてあのおばあさんはなんという名前だったのだろうなどと考える。一度しか会ったことがないのにあのおばあさんの顔をいつまでも沙和はくっきりと思い出すことができた。どこかで赤い薔薇の花を見ても、アイボリーの髪のおばあさんをみても傘をみても寂しい雨の日にも、あの優しい雨音のような声とともにくっきりと、思い出す。
小鳥のブローチはいつまでも沙和の宝物だ。

(了)


*ウミネコ文庫に応募させていただきました


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