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老いるってどういうことか。どんなふうに年を重ねたいか。

老いるって

年を重ねるということは女性としてはやはり恐怖ではあります。

お肌や筋肉が重力に負けて

見た目、美しいとは言えなくなる。

でも、それは本当に美しいといえないことなのだろうか?

『作られた「美しさ」の観念』なのではないか?

という仮説を立ててみます。


オットは

”老化っていう言葉で

なんかネガティブにとらえているけど

そうじゃないと思うで。

種の保存という目的から考えると

本能的に種の保存の能力がある状態が

魅力的に見えるってことはあるかもしれんけど、

それだけではないやろ、人間も動物も。”

という私には謎の言葉をくれていたので

ちょっと考えてみたいと思ったわけです。


今年の誕生日が来ると

アラカンと呼ばれる年代に入るから、かな?

昔は人生60年だったそうで

だとしたら私はもういいおばあちゃん


サザエさんのお母さんフネさんは

52歳という設定らしい。。。

波平さんは54歳って。。。

時代を感じますね。

波平さんよりお姉さんじゃないか、わたし(笑)


私の仕事先には

たくさんの高齢者の方が来られます

たくさんの高齢者の方と話していて感じるのは

「年齢ではない」

ということ。

それは確かです。

60代でも腰が曲がっていたり杖をついていたり

体が大変そうな人もいれば

90歳でも

このコロナ渦でも

元気に畑仕事をしたり、

新しくスマホを購入して習ったり

世の中の状況に合わせて生きてる人と、

もっと若くても

コロナだし、怖いし、人と会えないし、

ああだし、こうだし、と

なんだか精神的にも大変になっている人もいて

「年齢じゃない」

と思わされるのです。


見た目で言うなら、しわやシミを気にするより、

たくさん笑うこと、が大事でしょうね。

笑うと体温が上がるし、

いいホルモンがたくさん出て

ハッピーオーラが出てくるようです❤

肌ツヤよく、

きらきらとした眼差し、

そんな雰囲気があれば

シミやしわや、そこに目はいかないと思う。

なぜ、そんなに楽しそうにきらきらしているんだろう?

って、話を聞いてみたくなるかもしれない。


私の母は80代ですが、

首のしわが気になるといって

70代くらいから

首の詰まった服ばかり選ぶのです。

私は、お母さんは首のラインがきれいだから

自信もって襟元開いている服が似合うよ!と

何度も何度も言いますが

絶対に!聞き入れません(笑)


ま、お好きなようにね、と思ってもう言わないのですが

自分でそれこそ老眼鏡をかけたり

白内障の手術をして

ものすごくよく見えるようになってしまって

ショックを受ける人もいるようですね。

見えなくていいものまで見えてしまう。

人の顔についても、自分の顔も、

隅っこのホコリも。

母は、手術した後私の顔を見て言いました。

「あんたも老けたねえ!」(笑)


年を重ねるって

見えなくなっていいものは見えなくなって

おおらかになっていけるという

自然の采配のようにも感じるのに

現代社会というのは便利になって

そうはいさせてもらえない。

人生は60年ではなく、もはや100年ともなれば

目が見えにくい状態で生きていくのも不便ですし

どうやって折り合いをつけていくのか、

というのもなかなか悩ましいことですね。


で、私の仮説に対する結論は

まだ若干50代のひよっこですが、

今後の人生の理想としていうならば

私が私らしく生きて

瞬間瞬間しあわせに笑って

腹が立ってもとりあえず「あほらし」と笑って

ご機嫌でいられるように、

そこだけは自分で責任を持つこと。

自分の機嫌は自分で取る!

でハッピーオーラを漂わせ

好きなことをしているから楽しげで

頬を染めながら

目をキラキラさせている、

そんな女性でいる、ということが

私のありたい在り方。

何を着ているか、

何を持っているか、

どのくらいしわや白髪があるのか、

ということに気を遣っている暇に

好きなことをやって楽しく笑って生きれたら

年齢とか関係ない。

自然の中でおおらかに存在できる

「人としての美しさ」

これがキーワードかもしれません。


女性は特に、

大地からエネルギーを受け取りやすい体ですから

街中でいろんなストレスの中で暮らすより

自然と一体化できる自分

そこに喜びを感じられたら

なんかもう無敵な感じが備わるのではないかと

女神のようなオーラというか。


シミだしわだ、それを消すために、

痩せて見せるために、と物質的なところで格闘していると

なかなか、自然の中での存在感というのは持てないし、

街の中にいても、若者文化の中で肩身が狭い。

というのが今の私の結論といえるでしょうか。


なので私はこれからの人生は

オットと共に

庭の畑で穴を掘ったり

何かを育てたりしながら

大地のエネルギーをいただきながら

完熟の夏野菜のように

ピカピカに頬を輝かせているような生き方をしたいと思うのです。


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