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お金にまつわるイメージを断つ

これまでにいくつかお金にまつわる記事を書きました。
自分自身の幼稚で超ネガティブな金銭感覚との格闘についても過去記事に書きました。敢えてここに貼り付けたいとも思わないので(笑)、興味がある方は良かったら探してみてください。
「お金の観念に関する幼児性の克服の話」
私の記事の中では、割と「スキ」を頂いている記事ではあります、、、お恥ずかしや😝💦

東京からのバスの中でメールを開くと、来年度4月からの学費の支払いについてのメールが大学から来ていました。
昨年4月に3年次に編入しているので、あと1年で卒業予定です。

周りの同級生たちに聞くと、皆さん仕事をしておられるから、なかなか忙しくて課題が出せない状況だったり、多分口にはされないけど、学費を払える余裕もあるからか、2年で卒業を目指している人はほとんどいません。
そんな中、私が必死で勉強しているのは、2年で卒業を目指しているから。
というのも、オットも私もフリーター状態なので、もう一年学費を払うのはどうかな?と思うから。
先生に相談すると、「せっかくなので、2年で卒業しちゃうと駆け足になるからもったいない、という考え方もありますね、と。じっくり取り組んでもらいたいとも思うけれど、、、皆さん事情もありますから。」との返事。

私も、やったことがない勉強をたった2年で必死で駆け抜けて「卒業」では、卒業制作も、未熟過ぎるものになりそうだし、どうなんだ?とも思いました。

でも、私の親方(日本庭園の庭師さん)は、同じ大学の大学院を出られていて、「もったいない!2年で卒業して、あとは自分でやる方がいい」と言われています。

なので、とにかく私は2年で終わらせる予定で頑張る。そこを3年あるから、という姿勢ではなく、集中して密度の濃い学びをすればいいので、そのうえで卒業できるものなら卒業して、それからまたさらに学びたいならば、その時考えよう、と思うに至り、今必死な状態です。

お金があるから3年でも行ける、とかそういうことではないな、と自分の中の決めごと?をぶち壊しました。

今必死でやっているのは、お金のために早く卒業するためではない。欲しいのは「卒業」ではないし、いつまでも学び続けることでもない。
私は、「実践」のために学びたいのだから、この2年のカリキュラムは2年で終わらせて次に行きたい、と思っているんだな、と再認識しました。

🌳

で、お金についての話ですが、
最初に書いた「お金の観念についての、、、」の記事に書いたのですが、本当に情けないほど、お金の話になると魂が抜けるというか、オットにお金の話を切り出されると「急に引くなぁ😓」といつも言われていました。

お金の話をされると、胃のあたりや胸のあたりがギュッと苦しくなる気がするし、ドキドキはらはらして、居心地が悪くなるというか、「責められる」という感覚がありました。
やっと、その感覚を捨て去れて、本当にもう生きる上で一番の恐怖から逃れられた、というのが本音です。
そのくらいの恐怖感があった。ちゃんと目を向けることができなかった。

イメージの話ですが、私が作り出す経済は、すべて真っ赤っかで、どうせまた支払わないといけないんでしょ?電話が鳴れば、約束を忘れていたか、お金の請求、くらいにビビって、ちょっと異常な感じでした。完全に病んでいる状態なのに、自分は大丈夫なふりをして生きていることにも辛くなっていました。

30年一緒にいるオットにも話せずにいたのですが、意を決してカミングアウト。オットは意外なほどすんなり受け入れてくれました。「そうやろうな、と思ってたけど、そんなにしんどかったん?」と。

オットが受け入れてくれたことで、私の中の幼いころからお金のことで苦しみ続けて来たインナーチャイルドが癒されて、自分でも受け入れることができるようになったのですが、先日読んだこの本⇩は、もし、同じような感覚の人がいたら、助けになると思います。

お金のことって、本当に生きる上で感情を揺さぶられるし、あってもなくても、その付き合い方が難しくて、そこでつまづいていると、人生すべてがしんどくなってしまうくらいのことなのに、なかなか、本当の意味での解決方法はありません。

私自身、たくさんのお金との付き合い方の本を読んだし、実践もしてみました。引き寄せの法則も大好きだし、ある程度まではラクになるのですが、完ぺきではなかった。

というのも、どこかに、それでも癒されない「不安の種」が残っていて、自分に「大丈夫」と思い込ませているだけ、のような感じがするからです。

その本は、前にも少し紹介したこれです⇩

いろんな本を読んで、これはいいな~って思いました。
中で、インナーチャイルドの話が出てきますが、お金についての痛みは、やはり身近な人からの思い込みや、刷り込み、全く関係ない自分にとってネガティブな事象をお金とつなげて一緒くたにして苦しんでいる「紐づけ」などがあるなと私自身も思います。

この本の中の「コード瞑想」というのをやってみました。
お金にまつわる「誰か」とのコードを断つ、という瞑想です。
お金について考えなければならない時、私はぎゅっと胸や胃のあたりが縮む感覚と、首根っこを押さえられているような感覚がありました。

私の場合、コードは、首根っこと胸や胃のあたりにつながっていたのかな。
そして、私は三人きょうだいの第一子なのですが、良い子に振舞うことを期待されていて、それができなければ怒られる、親の機嫌を損ねる、お金がないと言われる、というのがとても苦しかった。

自分が親になってみて、この歳にもなると、親の気持ちや状況も理解できますが、その頃の自分は苦しんだまま自分の中の記憶に残っている。

私が私の子どもたちに言ってきたように、言ってほしかった、という強い願いがありました。

「そのままでかわいい。どうであっても、あんたはかわいい。大好きよ。」

この言葉が欲しかった。
お姉ちゃんらしくしないと、勉強頑張らないと、贅沢を言わないようにしないと、、、と色々制限を自分で作って、親の顔色を見ている子どもで、だから周りからは「良い子」と言われ、親からは「やりやすい子」だったようです。

でも、親に嫌な顔をされるのが嫌で、友達にお金を借りたこともあります。いつかは返さないといけないのに、子どもなので返せなくて、結局親に助けを求めて怒られて、
本気で、ダメで嫌な自分に打ちひしがれて、恥じ入っていたのでした。

でも、もともと、必要なお金だったよね?
子どもだから、それは親にくださいって言ってもらえばよかったよね?
でも、言えなかったんだよね?それはあなたのせいではないよ、、、💗

そう言ってくれる人を求めていたけど、いるはずもない、、、誰にも言えなくて苦しい女の子。そう思うと抱きしめたくなりました。

本当はそんな風にダメな子なのに、良い子に振舞うことで、いつかその「化けの皮が剥がれる」という恐れをずっと持っていました。
「化けの皮が剥がれる」「いつかすべてが明るみに出る」という恐れ。
一体何をしたというのだろう?私はただ、一生懸命に生きて来たのに。
何か罪を犯したとしたら、、、人にお金を借りたこと、、、。
そんな弱い自分が悪かったんだ、やっぱり私はダメだ↷

どうすれば、その深いところにある罪の意識や恥の感覚を手放せるのか、本気で分からずにいました。

そして、オットにカミングアウトして受け入れられて以来、自力で借金のン完済して以来、ほとんど辛さはないのですが、それでも、オットも人間だし、そんな私が重いんじゃないか、私の今選んでいる生き方ー好きなことだけして生きる実験ーに、果敢にも付き合ってくれているけど、付き合わせてしまってよいのか?とか思います。たまに。

オットは、人の犠牲になるような人ではないことは分かっているし、彼が納得しているということは、よくよく理解していますが、私がいなければ、彼は堅実なやぎ座さんらしく、無駄遣いせず安泰な人生を歩めたのかも。とか。

でも、お互いにとってそんな別々の選択肢はないので、私自身がもっと、彼の許可を超えたところでの自分への許可を出せばいいんだと思うに至りました。

私のこのお金についての長年の苦しさを手放すにあたり、
私の中の苦しんできた女の子は、純真で人を信じ、愛がいっぱいの子供であるからこそ、親の期待に沿いたかったのだと理解し、その苦しさもすべて「神さまに渡します。」と決めました。

その影響か、いまだ健在の私の両親から別々に言われました。
「最初の子供だから、厳しくし過ぎたね、悪かったね」と。
「悪く思わんといてくれな」と、厳しかった父が笑いながら頭を下げてくれたのです。思いがけないことに、本当にびっくりしました。。。
長生きしてくれたからこそのことで、感謝しています😌

🌳

この本では、「そのお金はあなたのものではありません」のタイトル通り、お金は誰のものでもない。神さまのものである、として話が進むので、その表現に惑わされると読み進めづらくなるかもしれません。

この本の作者は特定の神さまのことを指しているかもしれません。内容は、それにかかわらず読むことができれば良いなと思います。
神がすべての源。神の使いとして生きる、などの表現が繰り返し出てきます。でも、日本人であれば、八百万の神さまたち、神羅万象すべてが愛であり、源であると思っている私はそこを読み替えることができたので、あまり気になりませんでした。

前書きで、著者も、お金にまつわる苦しみの中、探し求めてたどり着いたことを書かれていて、共感が持てますし、インナーチャイルドの癒しも過去に何度か試みたことはありますが、アプローチとして、私にはやりやすい方法でした。

もし、同じような方がいたら、この本に出て来るコード瞑想をしてみてください。ご自身がお金について考えた時、どこに「詰まり」を感じるか、
「痛み」を感じるか思い出して、それにまつわる思い出したくないエピソードは誰との思い出か、考えてみてください。

お尻の下にかくした「パンドラの箱」の蓋を開けて、ラクになってください。「何も隠していませんよ」とうそぶいていることで、また辛くなる、その繰り返しから逃れる方法はあると思います。見たくないと思っていても、目も当てられないに違いない、と思っていても、光を当ててみると、大したことなかった、ときっと思えると思います。

でも、すべて自分自身でやるしかない、ということだけは確かです。

私の中では、生きるための「結論」みたいなのは、たったひとつ、
とにかく自分自身が機嫌よく生きることに責任を持つこと。以上。
と思っていましたが、もう一つだけ付け加えるなら、
私のもちものだと思っているものは、すべて「わたしのものではない」ということを受け入れること。

長くなりました。

というわけで、今は収入がない私たち夫婦、周りからは「どうやって生きているんだろう」「これからどうするつもりだろう」と思われているようですが、大丈夫です🤗💗

すべて手放して、天に返しています❤あやしいねぇ~笑笑







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