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川上未映子『春のこわいもの』新潮社


去年の春に発売されたとき、題名や表紙にすごく惹かれてすぐにも読みたかったのだが、ここは我慢して1年たってから古本で買ったのでした。節約第一のわたくしである。しかしなんというネーミングのセンスだろう。そしてこの装幀の春らしいこわさ。ピンク色の袋だけどいったい何が入ってるんだろ…。(「怖い」でも「恐い」でもない、これはあいまいな春の「こわい」だ。)

中篇小説が6篇入っていて、どれも当時の<いま>起きていた話、つまりコロナ禍の不安がピークに達する直前の話だ。

「あなたの鼻がもう少し高ければ」は若い女性と顔の美醜についての話。自分はまったく縁がない世界の話だけに面白かった。むかしは美を求める女性はせいぜいがメイクを頑張るだけだったが、いまははっきり「整形」なのだ。その細かなあれこれの記述がすごい。主人公の女性は自分ではそこそこ美しいと思っていて、美を売りにして稼ぐための、あるオーディションを受けに行く。そこの元締めのモットーは「心じゃない。顔と向き合え」。すごい。「ものすごく可愛い」担当の女性から彼女は「そんな顔でよくのこのこと来たな。まず整形して出直して来い」的なことをバサバサと言われる。たまたま同時に来た整形をやりすぎた女性はまったく無視されてしまう。このあたりのすごさ。そうか、女は顔なのだ。美しくなければ価値などゼロなのだ。ある意味、ハードボイルド。

これを読んだ翌日、電車に乗ったわたしは車内にいる若い女性の顔、顔、顔、じっくり見てしまった。(目の下の「涙袋」さえ美の条件で、整形で作ることができるのか…。そして川上未映子の写真を見るとステキな涙袋。やっぱり美人なんだねぇ。)「ブスがいると場が凍るんだよ」「まず整形して出直して来い」と言われたあと、主人公は整形やりすぎ娘となんとなくカフェでぼんやりとお茶をする。二人のなんとも愚鈍な感じの会話が、それはそれで味わいがあるし、さっきのハードボイルドに対して安らぎさえ感じさせる。

しかし、それにしても、「心じゃない。顔と向き合え」ってすごくない?

だけど世間が顔という表面へのものすごい執着を示すことに対して、整形娘はカフェで骨を鳴らす動画をよく見ると言っており、表面を突き通した人間が暗示されるのは面白い。そういえば「わたくし率~」でも「自分は奥歯だ」と考える女性が出ていたっけ。

はっきりそれと書かれていないものも含めて、どの話も背景にはコロナ禍がある。自分にすぐに死が迫っているわけではないが、ニュースでは人の死が報じられ、本当かどうかわからない情報があふれる。あいまいな、ぼんやりしたこわさ。いまは2020年春のあのこわさが遠いものになりかけているけれど、この本を読んでまた思い出した。とにかくも、それを無事にやり過ごして2023年春のわたしたちがここにいる。


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