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石原吉郎 『石原吉郎詩文集』(講談社文芸文庫)

2021/1/31
「フェルナンデス」という不思議な詩があって、その詩を知ったのは小池昌代の『黒雲の下で卵をあたためる』というエッセイ集だ。「フェルナンデス」を書いた石原吉郎に興味を持った。終戦後にシベリアの強制収容所に入れられたという話は聞いたことがあったが、この本に綴られているその体験談は壮絶で無残だ。あの戦争で日本人は様々な辛い体験をしただろうが、この人たちのようにまったく罪もないのに有罪を宣言され、非人間的な生活(それは生活とも呼べないようなものだが)を強いられるなんて不条理があっていいのか。こういう体験をした人たちがいるのに、いまの自分たちはのほほんと生きているなんておかしいじゃないか。そしてこういう事実がナチの強制収容所ほどは知られていないのもおかしいじゃないか。そんな思いが渦巻く。

彼らに25年の重労働刑(死刑がないので一番重い罪)を言い渡した裁判官は、食料の配給の時間があるのでそそくさと傍に置いていた買い物袋を持って去ってしまう...。

収容所の中ではいろんな日本人がいたことだろうが、記憶する人はただひとり、鹿野武一という人だけだ。この「ペシミスト」がどのように収容所で生きたか、それを見たことだけが石原の支えになる。

こういう体験をした人が運良く(スターリン死去の恩赦で)解放されて日本に帰った。そういう人はその後どんな人生を送るのだろう。この本には日記のようなメモも収録されている。シベリアに比べたら日本の暮らしは天国だっただろうか。そうではなく、「棒をのんだ話」のように彼はそこにも違和感を持ちながら暮らすことになる。

石原吉郎の詩は強烈で奇妙な雰囲気のものが多いけれど、その背後にはシベリアの過酷な体験がある。しかしそれは生のまま語られない。この人の詩を読むと、いま日本で書かれている詩がひどく甘いものに思えてしまう。アウシュビッツ以後、詩を書くことは野蛮だ、というフレーズを思い出す。

そんな人が書いた奇跡のような詩がある。お守りのようにいつも持っていたい詩だ。


世界がほろびる日に

世界がほろびる日に
かぜをひくな
ビールスに気をつけろ
ベランダに
ふとんを干しておけ
ガスの元栓を忘れるな
電気釜は
八時に仕掛けておけ

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