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チェーホフ『かもめ・ワーニャ伯父さん』新潮文庫

この本を読んだ動機はもちろん(と言うべきか)映画『ドライブ・マイ・カー』が話題になっているから。映画はまだ見ていないが、原作は以前読んで、「ワーニャ伯父さん」が出ることは知っていた。それがどういう意味なのか知りたくなって読んだ。チェーホフは実は初めて。

戯曲を読むのは苦手で、特に慣れないロシアの名前がたくさん出るので、登場人物リストをいつも確かめつつ読んだ。どんな話かまったく知らなかったけれど、「かもめ」にしても「ワーニャ伯父さん」にしても、世紀転換期の、いわゆるモダニティのために社会が変わっていく様子がよく出ていると思った。かつてのロシアの金持ちのように、土地と屋敷を持っていれば贅沢な暮らしができる時代は終わって、ワーニャ伯父さんたちは土地を活用して運営しなくてはならない。退職した大学教授はけっきょく大した業績を残せず、老いた身体の不満ばかりを口にする甘えた男である。その美人の妻も、かつて尊敬して結婚した夫に失望している。恋愛のもつれもあり、登場する人たちのすべてが以前の希望を失い、これからどう生きていけばいいのかわからない。

「かもめ」も同様だ。こちらは演劇がテーマでもあり、当時はいわゆる額縁舞台の従来の演劇から新しいものが生まれようとしていた時代だったこともあって興味があった。しかしこの作品では、新しい演劇を目指していたような若い劇作家は時が過ぎて今度は自分が古い作家になっていると感じている。こちらも夢がやぶれている。

「ワーニャ伯父さん」はそれ以前の作品で主人公が失恋して自殺する筋だったのを改作したもので、こちらでは失望したまま生き続けることにしたのだという。そのあたりが「ドライブ・マイ・カー」につながるのか。それにしてもチェーホフってもっと情緒的なものを想像していたけれど、とても苦い劇作家だった。

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