川上弘美『水声』文春文庫
淡い、美しい文章でつづられるある一家の話。魅力的でとらえがたい女性であった母と、感情をあまり出さない父、主人公、その弟の4人を中心とした話で、母親はかなり前に癌で死んでいるのだが、生前の思い出や主人公の夢に出る話が多くて、いつまでも存在感が消えない。きょうだい二人はわたしと近い年代。地下鉄サリン事件、昭和天皇崩御、大震災など、忘れられない大きな事件の記述が時折入る。全体が夢のようなストーリーで、時間軸もふらふらと前後するのだが、これらの大事件がしっかりした杭のように物語のあちこち打たれている。ちょっとした家族の歴史である。街の小さな描写(吉祥寺にあったレストラン「バンビ」とか!)もときおりあって、同年代の人間としては懐かしい気持ちにもなった。
でもわたしはこの小説があまり好きになれなかった。読んでいても楽しめず、とにかく急いで最後まで読み通したのだった。同じ時期に書かれた『真鶴』は好きなのに。理由は、この母親のような女性がわりと苦手なことと、主人公とその弟の近親相姦も美しく誠実に描かれてはいるが読むのにたいへん抵抗があるため。(たとえば倉橋由美子のその手の小説も苦手だった。)主人公が魅力的な女である母に惹かれ、また優しい弟に惹かれるのは、けっきょく自己愛でしかないと思えてしまうのだ。自分がそう感じてしまうことはどうしようもないし、一方わたしと違ってこの美しい作品を好む人はきっと多いのだろうと思う。
(突然ですがヘッダーで〈わたしの古い物シリーズ〉を始めます。「アンティーク」「骨董」と呼ぶほどでもないような「古い物」。今日のは印判の猪口。若い頃に初めて買った古い物です。)
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