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憧れの出版社に入って憧れの編集者になった私が会社を辞めるまで。

16年間働いていた出版社を2022年の春に辞めた。

いつも何でもギリギリまで引っ張る悪癖は会社員生活の最終日まで変わらず、最後の仕事とデスクの片付けを終えて帰宅したのはもう明け方だった。


その日の昼間、社内のお世話になった人の元を回って挨拶した。みんな仕事中だし、さっと挨拶して失礼するつもりだったのだが、全く予想もしていなかったことにお花やギフトを用意して待ってくれている人たちが沢山いた。涙を流して惜しんでくれる人までいて、「何で私なんかにそんな……?」と呆然とした。有難く喜べばいいだろう場面でも素直に受け取れないのが昔からの性分で、自分には不相応に思えてしまう。この時もそうだった。



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両手に抱えて持って帰った花々は、家にあった花瓶では足りずにコップまで総動員して生けた。


朝日がさしてうっすら明るくなってきた部屋にこれでもかと咲き誇る花たちが賑やかに並んでいる。テーブルに乗り切らないほど戴いたギフトや手紙は、ひとつひとつから贈り主の声が聞こえてくるようだった。みんな忙しいのに何を贈ろうか考え、時間を割いてお店に出向き、それらを用意して待っていてくれた。ぐったりと疲れた身体で、贈られた気持ちを目に映していたら、はっきりと湧き上がってくる感覚があった。



これはまるで生前葬じゃないか。みんなが次々と感謝と別れの言葉、そして沢山の花を贈って、温かく送り出してくれるなんて。会社員としてのお葬式をしてもらったみたいだ。



ああ、私は死んだんだな。と思った。



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16年間、会社員として働いた。組織で働くのには全く不向きな人間がよくもそんなに長い年月、社員として働かせてもらえたものだと思う。


文芸編集者を目指していた私にとって、新潮社は憧れの会社だった。就職氷河期だった上に要領も悪く、就活に3年もかかってしまって、そこまで時間をかけて入った社員は私くらいだったはずだ。内定をもらえた時の込み上げるような嬉しさは忘れられない。


入社できたのも幸運だったし、編集者としてはあり得ないレベルで恵まれていたと思う。学生時代の自分が期待していた以上に、歴史ある文芸版元だからこそ出会えた人、見えた景色があった。就活中に思い描いた、小説誌の編集部で経験を積んだ後に単行本の編集をしたい、という希望もそのままの形で叶った(8年小説新潮編集部に在籍して、5年出版部で働いた)。



ある程度以上の規模の会社で働いたことのある人には分かってもらえると思うが、希望通りのキャリアプランが叶うことはそう多くない。特にほとんどの学生が編集者になりたくて入ってくるような出版社では、その人の適性だけでなく運も作用して、全ての希望が叶うことなんてあまりないのが現実だ。


そんな中、私は入社して3年目以降はずっと希望通りの部署にいられた上、愛読してきた憧れの作家さん達を実際に担当させてもらえたのだった。新人の方から賞の選考に携わるような大御所まで、自分が好きで担当になった作家さんばかりだ(ちなみに文芸編集者は大体40〜50人位の作家さん達を担当する)。自分の能力は客観的に見積りづらいが、運のことで言えば、私はかなりの強運の持ち主だと思う。3年かかったものの憧れてやまなかった出版社に入り、希望通りの部署に次々と配属されて、大好きな作家さん達を担当できた。


でも、目標を叶えたその先は? 

その先、自分がどうなりたいのか。仕事のことだけでなく、どう生きていきたいのか。



私の未来予想図は、途中から真っ白だった。




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長くなってしまったので、その後、独立を志したことについてはまた追って書こうと思う。今日は2月なのに春のようにあたたかくて、退職した春の日のことを思い出すのにぴったりだった。あれから二度目の春が巡ってくるなんて、本当に早い。

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