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【自己紹介】女性だけが頑張らずに育児やキャリアアップができる社会の実現を目指して

三足の草鞋なキャリア

初めまして。妊娠前~復職後女性のキャリアを支援する株式会社Mimosa(ミモザ)代表 西田知未と申します。

私は現在、3歳の子供をほぼワンオペで育てながら、大手人材企業でフルタイム営業職(営業=超ハードと連想される会社)として勤務し、女性のキャリアを支援するスタートアップを起業しています。

これだけ聞くと、大半の方に「私とは違う人間」「私はそんな仕事に生きたくない」なんて思われるかもしれません・・・

多くの女性が「両立」に対してに悩み、葛藤していると思います。かくいう私も現在進行形で悩み、葛藤しています。子育てって、子供の成長にあわせてどんどんちがう悩みが増えていくんですね・・・!

このnoteでは、少しでも悩みを抱える女性たちのお役に立てればという想い。そして私自身がみなさんからもっとたくさんの考え・価値観を知ることで自分のキャリア(人生)に活かしていきたいとう想い。この2つから、noteを投稿することに決めました。

お役に立つ、なんておこがましいのですが、読者の方がちょっとでも肩の力が抜けたり、両立のイメージがつくことで心が軽くなったり、このサイトを訪れればなんだか前向きになる。
そんなページにできたら本望です。
もし気になる事や、不安、お悩みがあればぜひコメントくださいませ。

ジェンダーに強い関心を持った原体験

株式会社Mimosaは、女性のキャリアに特化した会社です。特に、結婚・出産・育児と女性はライフイベントで受ける影響が非常に大きいことから、妊娠前~復職後のキャリアを築き続けたい女性をターゲットにしています。

なぜそのような会社を起業しようと思ったのか?
具体的な起業経緯は別途お話ししようと思いますが、幼少期の原体験から私のライフテーマが「ジェンダー」であり、女性の背中を押すことが私の強くやりたきことだったのが理由です。

私は父、母、兄の4人家族で育ちました。
私の母は、「こうあるべき」という価値観が非常に強い人。私に対しても「女性の人生はこうでいい」とか「兄は男だから良い。女は我慢」と決めつけられることが多かったです。

幸か不幸かわかりませんが、私はそれを素直に聞き入れることができず「本当にそうなの?」という違和感と悔しさを、幼少期ながらも抱えて生活していたように思います。

その後、兄が中学受験するタイミングで私も受験したいと母にお願いしました。
合格した学校は女子校で、130年の歴史がある中高一貫校。生徒会長や部活の部長なども務めたこともあって、「女性だけですべてが運営されている」ことがとても楽しく当たり前になってきます。
その時くらいから、「女性だから・男性だから」のような性別の差での思考はやっぱり違うと感じ、「ジェンダー」は私の強いアイデンティティとなりました。

20代のキャリアを振り返る

このような原体験から、私は「女性は本当に男性よりも劣るのか?」「女性は本当に結婚して子供を産み、家庭の為に尽くすだけなの?」に強く関心を持つようになります。また、「そうでないことを自分が体現して証明したい」という使命感も抱くようになります。
だけど、やっぱり育ってきた環境の影響からか、本質的には自分に自信がなく、小さな失敗すらも恐れ、安全で保険のある道が大好きだった私。
今思うと、「自己肯定感がすごく低い」に尽きます(実は、2年前まで低かった)。

銀行員時代

そんな私が新卒で選んだ先は地方銀行。「上場している」「安定」「親が喜ぶ」ことが魅力でした(笑)。あとは「女性の法人営業職がいないので第一人者になれる」ということ。

銀行への入行後、支店に配属されます。あれだけ「性差による決めつけ」に強い嫌悪感を示していたのに、すっごく性差が激しかった。
男女ともに総合職なので同じお給料。なのに、女性は制服着用義務があり、仕事はお茶汲みとコピー、資料整理などの事務業務メイン。営業職は男性しか存在しない。大学生までは男女差別なんてなかったのに、、社会ってまだこんなのなの????と、数十年前にタイムスリップしたかのような社風に、現実を調べずに入社を決めた私を激しく後悔しました。

入社2年目の時、人事部採用担当へ異動。
「西田さんみたいになりたい」と言われて入社を決めてくれる女性が多くてやりがいを感じたものの、現実は制服着て事務仕事。
きっと数年もすれば、最初は嫌だった環境にどんどん馴染んでいき、結果的にキャリアを諦めていく。
そんなことが近い将来確実に起こる気がして。「私、みんなの大事な人生をだましているのでは」と思うようになります。

それを改善したく、入社3年後の時に女性活躍推進室立上げを人事部長と役員へ提言。色々ありながらも無事立ち上げに至りました。採用した女性でこの子だけはなんとしてでも!と思っていた後輩が、銀行初の法人営業職に。

大手人材業界への転職

とにかく嬉しかった。我が事のように後輩と喜びました。
一方で、自分のキャリアってどうなるんだっけ?とふと不安になりました。
私はやっぱり営業をしたいという気持ちが強く、悩みぬいた結果転職を決意し、東京に引っ越します。

父の他界から4日後に入社式。企業文化も、職種も、住む場所も、環境もすべてが違う。戸惑いながらも、新しい環境になれるのに必死でした。
特に「目標を必ず達成する」企業文化に慣れず、最初は達成できそうな目標しか設定できなかった。達成しなかった時の自分が格好悪いから。

しかし自分の殻を強制的に破るべく様々なことをやりつくした結果、入社後3か月で初めての目標達成。その後もハイ達成をし続けました。新規営業だったのですが、年間9,000万・社数80~90社くらい。当時新規営業の1社あたりの単価は20~30万。かつグループ(5人)で年間70社目指しましょうとかの世界観だったので、自分で言うのもなんですが、驚異的だったわけです。上期、下期の統括部表彰を受賞し、私がポスターになって全拠点に張り出されたり、、、未だにその記録は抜かされていないようです。ただ、激やせしました。

経験と環境は、自分でつかめる

こうして20代を振り返ってみると、「小さな成功体験を積み続けてきた」んだなぁと思うのです。

私は決して頭が良いわけでもなく、キャリアステップスピードは人よりも遅いです。
だけど、想いだけは強いので、違和感を感じること、自分がやりたいことに対しては行動してきた。たくさんのことにもがき、悩みながら今に至ります。

案外自分の経験は自分で選んで行動すればつかめることが多いし、それによって環境も変わっていくと振り返って実感します。そしてその「自分で決めてきた」ことが、結果的に自己信頼への高まりに繋がって行ったように思います。(だけど、まだまだ「失敗」への恐怖は無駄に高かった)

さいごに。

長々と書いてしまってすみません。ここまで読んでいただいた方どうもありがとうございます。
小さな成功体験って、本当に小さくてよくて。
例えば、「今日は化粧を落として寝る」とか、「今日は子供と寝る前は笑顔で過ごす」とか、本当に何でもいい。小さなこと。

この小さなことって言うのが、実はとても重要。
人間って、自分とした約束を破り続けると、「どうせできない」って思ってしまうようになるんですね。
「私なんて無理無理」「どうせ今回もできないんだろうな」とか。
そうすると、「ほら、やっぱりできなかった。だから、もうやらないでおこう」となってしまう。
すごく勿体ない。

なので、「自分との小さな約束」を守ってあげる。その積み重ねが自己信頼に繋がり、「やってみようかな」「私でもできるかもしれない」という前向きな気持ちにかわる。そうすると、結果的に人(家族含めて)にも優しく寛大にになれるのだと思います。

すごくなくていい。やらなきゃいけない、できなきゃいけない、なんて本来はない。
ありのままの自分を愛でてあげることで、自分のキャリア(人生)はどんどん好転していくと私は信じています。

最後までお読みいただきありがとうございました!

次回のお知らせ

次回は営業職で成果を出すために意識していることについて、書いてみようと思います!


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