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【躁鬱人】=区切れない人


時間を区切れない。
自分と他人を区切れない。
過去と今を区切れない。
出来ることとできないことを区切れない。
友達を区切れない。
見ていい世界と悪い世界を区切れない。
やらなきゃいけないことと、やるべきことを区切れない。

躁鬱人として自分を研究するようになってわかったんです。

私の苦しみ、生きづらさの殆どは【区切れない】という現象から来ているって。

そもそも、躁も鬱も曲線波形の両極端ですよね。
普通の人は、その両極端まで行く前に何となく引き返すんですよね。
あ、この先はやめたほうがよさそうだなって【区切る】んです。

でも、我々躁鬱人は【区切れない】ので、
わーいわーい♪と楽しそうに極限まで行ってしまう。(笑)

そしてボロクソになるんです。

自分と他人に境界線もほぼないので
相手の悩みを自分事として体験してしまうし

相手の喜びは、そのまま自分の喜びにもなります。

過去と今の区切りもないから
みんなが大人になって新しい社会を受け入れていくけど

躁鬱人はずっと生まれた家族のことを引きづるし
徐々に今の現実と子供のころのままの感覚とが同居する混乱も味わいます。

出来る出来ないの区切りもないから、
とりあえず何でも、やってみちゃう。

気が多いわけでも、多彩なわけでもなくて
普通の人が興味あってもやらないことをやっちゃうだけ。

だから、特に予定がなくて一日を与えられてしまうと
なんとも無計画に過ごしてしまう。。。

でも、自分で時間割をきめて過ごすことはできないけど
他人が決めたスケジュールには律儀に従ってしまうのも

輪を乱すことがストレスになる躁鬱人の特徴で。。。


なるほどー。これは大きな発見だ。
ノーベル賞とは言わないけど、躁鬱大学著者の坂口恭平賞を
頂きたいくらいの発見だ。

なんだか無性に苦しくて、それが何なのかわからなくて
メモに書き出してみたら、共通点を発見できた。

そう。躁鬱人にとってほとんどの苦しみは【区切れない】ことが原因だったんです。

毎日漠然と区切らない世界にいるもんだから
あれをやらなきゃリストは区切りなく蓄積され

常に、どこかへ行かなきゃいけないような
何かをしなきゃいけないような

そんな感覚にとらわれて身の置き所がない。


今までならきっと体質だし、性質だから
仕方ないで終わったんだけど

気が付いたんだからこっちのもんだ。

躁鬱人の人体実験として、これからの人生
【区切ってみる】ってことをやってみようじゃないの。

時間を区切る。
自分と他人を区切る。
家事を区切る。
過去と今を区切る。
出来ることとできないことを区切る。
見ていいものと悪いものを区切る。

ちょっとおーーー
なんだかワクワクしてきたわよ♡(おねえっぽく)←早速躁現る

何か変化があったら、
またnoteでご報告させてくださいー♪←躁で終わるパターン

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