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どうせ他人は私を傷つけることなんてできない。

最近、めっきり泣かなくなった。
過去のことが嘘みたいに、気分が安定するようになった。
残業をしても疲れにくく、誰かに怒りを覚えることもない。
新しい恋にも、前向きになった。
人といることが好きになった。


自分でも不思議だった。
変わった自分も不思議だったし、
過去の自分がなぜあんなに傷つきやすく、
もろく、いつも泣いて世界を恨んでいたのかも不思議だった。



あの頃、私はぬくもりが欲しくて
人に認めてもらいたくて
誰かに認められない自分に価値なんてないと思っていた。

でも本当に臆病で、無知で
愛を欲しがるくせに、愛を与える方法は知らなかったし
先に愛を与えることを恐れていた。
なんだか、それじゃあ負けのような気がして。
損をしてしまう気がして。
愛の出し惜しみをずっとしていた。

あなたが愛してくれたら、
あなたが私を認めてくれたら、
私もあなたを愛せるのに。
私もあなたを認められるのに。

心の底ではずっと、
相手を愛していたし、認めていたのに
そんな臆病でケチな思考で
うまく表現できずに自分で自分を苦しめていた。

別に恋愛だけの話じゃなくて。
仕事でも友人関係でも家族にさえも、そうだった。


だから、
誰かに少しでも自分の行動を指摘されたり
冷たい態度をとられると
今思えば過剰なほど気にして傷ついていたし
一気に自己嫌悪に陥っていた。
別に相手は、私を否定しているわけじゃないのに。
むしろ、私が良くなるためのアドバイスをくれていたし、
ただその時はお腹がすいて機嫌が悪かっただけかもしれないのに。笑


誰かの言動を、すべて自分の価値と結び付けていた。
すごい自意識過剰。笑


でも今は全くそんなことはない。
何か上手くいかないことがあっても
どうせ他人に私を傷つけることなんてできない。
良い意味でそんな気持ちでいるから、傷つかずにいられる。
誰かの指摘をまっすぐに受け止められるし
価値観が異なる人とも、一緒にいられるようになった。

大好きな人たちに、
ありがとう。大好き。素敵だね。いいね。尊敬してる。ごめんなさい。
そんな言葉を、素直に伝えられるようになった。

そうすると大抵の場合、
不思議なほど相手からも優しい言動が返ってくるようになった。
そしてたとえ返ってこなくても、私の心は満たされた。

ああ私、先に愛されたい認められたいって思っていたけど
本当は自分が誰かを愛したり、認めたりしたかったんだなって思う。


誰かを愛すことは、認めることは、求めることも、甘えることも
全然負けることなんかじゃない。
そもそも人間関係に勝ち負けなんかない。笑

そんな当たり前のことに、27歳になるまで気づけなかった。


冷静に考えて、
私が先に愛したとして、相手が返してくれなくても
私は認めているのに、相手は認めてくれないとしても、
だから何?って話だよね。
世界が終わるわけじゃないし、死ぬわけじゃないし、
「今」相手はそういう状態っていうだけで
「未来」は変わる可能性も十分あるわけで。


もっと言えば、
私のことは私が認めているし、愛しているし、
そして誰かを愛して認められる自分自身が好きだし、
それは他人が何を言おうと何をしようと揺らがない。

そんな自信が、私の世界を変えた。





自己肯定感ってなんやねん
って、2年前の私は思っていた。

つらい恋の真っただ中にいたころだった。

ボロボロになった心と体で、
最後の勇気を振り絞って大好きな人と別れたクリスマス。
こらえた涙でにじんだイルミネーションを覚えている。
あれからやっと2年。
今思えば、振り絞った最後の勇気は
なけなしの自己肯定感だったのかもしれない。

自分を立て直したい。幸せになりたい。
わずかに残っていたそんな気持ち。

今、同じイルミネーションを横目に、
さよならをした人にありがとうと伝えたい私がいる。





あの頃は他人や世界が私を傷つけると思っていたけど
自分を傷つけることができるのは、自分だけだと思う。

他人の言葉を受け取るかどうか、
どうやって受け取るのか、
それは自分で選んでいい。

自分がどういう人間なのか、どう在るのか。
自分で決めていい。
言動ひとつ、選択ひとつ、考え方ひとつで、
世界はこんなにも変わるんだから。
あとは決めるだけだよ。

どうせ他人は、私を傷つけることなんてできないんだから。

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