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死と友達になる

26年の歳をとると、周り友人・知人が結婚したり、子供ができたりして、喜ばしいこともありながら、それに対して歳を取ることに対してあまりポジティブでない言葉を聞くことが多くなりました。

というより、20歳を過ぎてから「あーもうこんな年になってしまった」というように年下に対して、「あなたは若くていいねぇ」というような発言が自分はあまり好きではなく、自分はいつまでも少年のような心を持っていたいという思い(甘さ)があるので、それに敏感なのかも知れません。

「始まりがあるものには、全て終わりがある」

これは映画マトリックスで預言者が主人公のネオに言う言葉ですが、この世の真理です。生まれた瞬間に、人は死ぬことが決まっている。だけれども、この死をなかなか意識できず、死はネガティブなことだと捉えてしまうのが人間の弱いところだな思います。


しかし、死は身近に溢れています。朝起きて、寝るまでの1日の区切り。一年という節目。入学から卒業するまで。映画のプロローグからエピローグ。試合の終了を告げるホイッスルのなる音。

終わりを意識するからこそ、今あるものに目が向けられ、物語は進み、一瞬一瞬を大切にすることができることに気づきます。「今しかできないことは、なんだろう?」そう問いかけることで、新しい世界を見出そうとすることができます。

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最近ある友人が地方に移住することを考え始めてから、実は全然自分の住んでいるところについて知らないと気づき、いろいろ体験し初めたというのを聞きました。まさに終わりを意識したからこそ、主体性が生まれるのだなと再確認できた話でした。

思えば去年にバックパックを始めた時も、「残りの学生生活を有意義にするために何ができるだろうか?」と考えた時に、昔読んだアルケミストという本にで旅することに憧れ他のを思い出し、周りの人の後押しもあり、バックパックを背負って旅にでたのでした。

そう思った時は、もちろん資金なんてためてないので無理かもなんて思いましたが、どうやったらできるだろうと考え、思い切ってえいやと飛び出してしまえば結果的に4ヶ月の旅をこなし、今では宝物と思えるほどの良い経験ができました。

もし、時間が有り余っていれば「今はお金もないし、いつかでいいや」と思っていたでしょう。しかし、終わりという存在は友達になれば、人生をよりよく生きようと思えるツールになるのです。

Twitterでフォローさせていただいている櫻本さんのツイートがまさに最近考えていた事とどんぴしゃや!と共感したので引用させていただきます。


もちろん終わりを意識するとつい焦ってしまうこともある。しかし、なくなるものではなく、今自分に与えられているものに目を向け感謝する姿勢を忘れたくないものです。

そんなことを思いつつ、2020年もあと1ヶ月になろうとしている。今日という区切りを、1年という終わりまでの区切りをいかに生きられるだろう?と考える今日この頃なのでした。

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