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将来像

「あなたは将来どんな人間になりたいですか?」


この質問は、就活の面接ではよく聞かれる項目の1つだと思います。

今回は、自己分析も兼ねて、「私がどんな人間を目指しているのか」について考えてみました。

所謂「将来像」と一口に言ってもありますよね。

「みんなから尊敬される人」「常に真っすぐ努力ができる人」「穏やかで心が広い人」などなど。

そのように、たくさん目指したい将来像がある中で色々考えを巡らせた結果、1つの答えにたどり着きました。

それは、


「他者の思いを尊重でき、ポジティブな気持ちを素直に言葉に出せる人」


です。一見、割とありふれてそうな将来像ではありますが、この答えを探すために多くの過去を振り返ったとき、私には大きなエピソードがあることに気が付きました。

そのきっかけとは、私が中学三年生だったころの担任の先生による、今でも覚えているくらい私の心に響いた一言でした。

 –––それは、今から約8年前、私が中学三年生のときの話です。

季節はちょうど今くらいの時期だったでしょうか、学校での一大イベント、「合唱コンクール」が間近に迫っているときでした。

私は当時、女子校にいたということもあり、体育祭や文化祭、合唱コンクールなどの行事にはみんなが熱くなり、本番に向けての練習もかなり力を入れるという校風がありました。

特に合唱コンクールでは、優勝を目指すという強い志からか、クラス内で生徒同士が喧嘩する、時にはクラスメイトを泣かせてしまった…なんてことも全然珍しくはありませんでした。

(正直この時期は、合唱コンクールがけ軽いいじめのようなものも起こりがちでした)

そのくらいクラス全体がピリピリとしやすい時期、私はあるちょっとした事件を起こしてしまうのです。

それは、合唱コンクールが近くなると、クラスに1台、練習のために配られる電子ピアノで放課後、友達と遊んでいるとき、私が間違えてその電子ピアノのコードに足を引っ掛けて切ってしまった、というものでした。

もう本当にその瞬間真っ青になりました。

「血の気が引く」なんて言葉があるけれど、まさにあの時の感情にぴったりな表現だったと思います。

その時の私は、学校の物を壊してしまったということもそうですが、それよりも

「ピアノを壊してしまったことでみんなが歌の練習ができなくなるし、なによりこれがみんなに知られたら…」

ということに対する恐怖心が私を襲いました。

たった一瞬に起こった出来事でしたが、例年から合唱コンクール付近になるとクラス内での揉め事は必ずといっていいほど起こるこの時期に、とんでもないことをしてしまった、もしかして私いじめられたりするのかな…と色々な最悪な未来が脳裏をよぎりました。

でも、だからといってこのまま放置するわけにもいかないし…と思い、一緒にいた友達と話し合った結果、正直に壊してしまったことを担任の先生に話すことにしたのです。

    ―――そう、この先生こそ、このテーマのきっかけとして取り上げた「目指したい将来像」であり、「とても尊敬をしている人」なのです。

その先生とは、当時50代半ばくらいの国語科の男性で、普段は温厚で面白いですが怒るととても怖いことで有名な人でした。

私は意を決して職員室に向かう途中、「絶対先生に凄く怒られる…」などと考えてた覚えがあります。

しかし、先生の反応が意外なもので

「わかった。これは僕が預かっておきます。また、このことは僕のほうから明日みんなに言っておきます。」

と、それは拍子抜けするくらいあっさりしたものでした。

そしてその翌日、例の件にビクビクしながら登校し、朝のHRを迎えました。

「先生がみんなに言ってくれるって言ってたけど、絶対みんな怒るだろうなぁ…」

なんて考えながら席に座っていましたが、これはまた予想に反する先生の言葉に驚いたのをよく覚えています。 


「昨日、クラスのある子が間違えて電子ピアノのコードを切ってしまいました。

でも、僕はこれを全然怒っていなくて、

むしろ、正直に話してくれたことが嬉しくて、凄く誇りに思います。」


それはもう衝撃的でした。

当時の私は、HRで私の名前を出され、みんなから怒られるとばかり思っていたので、名前を出されないどころかむしろ褒められたのが本当にびっくりしました。

その先生の言葉もあってか、電子ピアノが使えないという致命的な状況にも関わらず、朝のHRのあとのみんなは特に犯人捜しや悪口を言う様子もなく、発表に向けての練習も「じゃあしばらくはピアノなしで歌おう」とすんなりと受け入れてくれていました。

当時の私は、絶対にみんなの前で名前を出されて吊るしあげられる…なんて考えてましたが、今大人となって考えてみれば確かに名前を出さないのは当然のことかもしれません(いじめに繋がりかねないので)。

でも、わざとではないとはいえ、悪いことをしてしまった生徒に対して

「正直に言ってくれて嬉しい。誇りに思っている」

とまでみんなの前で話せる教師がどこにいるのでしょうか。

教師によっては、きっと

「面倒な仕事を増やされた…」

と考える人もいれば、

「まあわざとじゃないんだし仕方ないか…」

と考える人もいるといると思います。

もしかしたら、担任の先生のように「正直に話してくれて偉いな」と考える人もいるかもしれません。

でも、実際に思ったことを大勢の前で話してくれる人って、特にこういう本来マイナスである場面では少ないと思うんです。

だからこそ、約8年前の出来事ですが、私はあの瞬間から、あの先生のことを教師としてはもちろん、ひとりの人間として、ひとりの大人としてとても尊敬をしています。

ここでは、「みんなからのバッシングを防いでくれた」ことに対してというよりも、

「後ろめたいことであっても正直に話したことを後悔させないようにしてくれた」

ということに対しての尊敬が大きいです。

というのも、世の中では

「人生は、正直者や真っ直ぐに生きてる人間ほど損をして、少しズルい人ほど得をする」

なんて言われていますよね。

実際、私はその通りだと思います。

なんとも理不尽な話です。

でも、その先生はたった一言で、そのような理不尽な式を壊してみせたのです。

もちろん、世の中がそんな人ばかりではないことは分かっていますが、当時たった15歳だった私はその先生の一言にとても救われたのでした。

先生は、当時の私の気持ちを「後ろめたいことだけれど、正直に話さなければいけない」という気持ちを尊重してくれ、尚且つ、「たとえそれがマイナスの状況であっても、そこで少なからず感じたポジティブな気持ちを話してくれた」のです。

とても長くなってしまいましたが、このような出来事があったからこそ、序盤でお話しした、

他者の思いを尊重でき、ポジティブな気持ちを素直に言葉に出せる人

を目指したいと思ったのでした。

そのためには、きっと「広い視野で他人のことを見ることができ、その人を良いところを見つけだす」ことが重要だと思っています。

私はまだまだその先生の人間性に追いつきませんが、日々、相手が誰であっても、「他人の気持ちを尊重し、ポジティブな気持ちは言葉にする」ようにできるだけ心掛けるようにしています。

また、これを社会人になっても継続していって、いつか私に後輩ができたときも、あの先生が当時の私にしてくれたようなことをしてあげたいな、なんて思っています。


以上です!

「目指す将来像」という質問はきっと今後も就活の面接では聞かれると思うので、これを読んでくださった皆様が、過去の思い出を振り返る何かのきっかけとなれたら幸いです。

このような長文駄文を最後まで読んでいただき、ありがとうございました!






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