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カナタ・チカ

ピンポーン
玄関のチャイムが鳴った。
「誰だろう?」
今日はもう、誰にも会いたくない。

紅茶屋で一人でお茶を楽しんでいたら、さっさとカップを下げられてしまった。
「早く帰れ」と言われたような気がした。
たったそれだけのことだ。

分かっている。
それだけのことでこんなにショックを受けるなんて、バカげているし、自意識過剰もいいところだ。
だけど、それでも、前向きになれそうな気はしない。

ピンポーン
このまま出ないで済むかようにと、動かずにじっとしていたら、もう一度チャイムが鳴った。
居留守は通用しないようだ。
ミリーはしかたなく椅子から立ち上がり、ドアを開けた。


「やあ、こんにちは」

知らない男が、玄関口に立っていた。
真っ黒い髪に、ツヤを放った切れ長の目。

(とても、きれい…)

はじめ、ミリーはその男をそんな風に思った。

だけど、目を奪われている場合ではない。
沈みかける夕日を背後に、うっすらと笑みを浮かべるその男は、とても危険な感じがしたのだ。

「誰?」
できるだけきっぱりとした口調に聞こえるように、ミリーは尋ねた。

「僕は、カナタ・チカ」

うっすら笑みをたたえたまま、男は静かに答えた。
どうやらそれが、彼の名前らしい。

「何か用ですか?」

「僕は、君のことをよく知っている」

それで「正当な理由を述べた」と言わんばかりに、カナタ・チカは、ゆっくり、ゆっくりとミリーの方へと近づきながら、家の中に入ってきた。

立ち尽くすミリーを尻目に、男は狭いキッチンをすり抜けて、部屋の中へと進んでいく。

我に返った時には、もう遅かった。
華麗に侵入していく見知らぬ男を見ながら、ワンルームの床の一角に座って、とてもくつろいだ様子だ。

窓の下の、もたれるのに丁度良い場所は、ミリーもよく、座って考え事をしている場所だった。

出て行ってよ。


そう言おうとしたとたん
「あーあ」
カナタ・チカがあくび交じりに声をあげた。

「さっきの紅茶屋でのことだけど、あれはやっぱり仕方ないよ」

ミリーはドキッとした。紅茶屋でのことを何故知っているのかは、もはや訊ねる気にもなれなかった。

「いい年して、魔女になろうなんて本気で思っている奴が、まともな扱いをしてもらえる訳がないんだから」

重たい石で心臓を押しつぶされたような感覚がした。

ミリーはどこかで分かっていた。
「私は本当は魔女だ」と思う傍らで、ずっと見ないように隠していた思いだ。

「そして君は、あのカップを下げた店員から『拒絶された』と思い、怒りと惨めさと悲しみでいっぱいなんだ」

カナタ・チカの話し方は、とてもゆったりとして、はっきりとしている。まるで子どもに絵本を読み聞かせているかのようだ。

「でもさあ、本当は分かっているんじゃないの?」

表情はさっきからずっと変わらない。涼しげな笑みを浮かべて、くつろいでいるようだった。

「相手はただ単に、できる仕事は片づけておきたいだけだったかもしれないのに。もしくは、『空のティーカップが置きっぱなしでは不便だろう』と思って、親切で下げたのかもしれないじゃないか。それを悪意と捉えるのは、君の被害者意識だ。君の中では、つねに『他人は悪』、そして『私は攻撃される可哀想な人』なんだ。そうやって自己憐憫に浸って、自分を安心させ、気持ちよくさせているんだ」

やめて。

ミリーはこれ以上、聞いていられなかった。
聞いていられないはずなのに、耳を塞ぐことも、「うるさい!」と声をあげてカナタ・チカをさえぎることもできないのだ。
ミリーにできることは、ただひとつ。何も言い返さず、じっと下を向いて耐えることだけだった。

突然、カナタ・チカは立ち上がった。そろり、そろり、とゆっくり足を運び、近づいてきた。それからおもむろに、正面から包み込むように、ミリーをそっと抱きしめた。

不思議なことに、カナタ・チカに抱きしめられることは、それほど不愉快ではなかった。
突然現れた侵入者だけど、カナタ・チカのにおいはミリーの日常に溶け込んでいる。
ミリーの顔が引き寄せられて、2人の顔は鼻と鼻がくっつきそうなほどまで近づいた。

カナタ・チカは言った。

「君を、愛してるんだ」


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これは「コンビニの魔女」という物語の一節です。
1話完結でもお楽しみいただける(といいな!)ものになっていますが、よかったら他のエピソードも読んでみてください!

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紅茶屋「マンディ・フェンス」


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