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紅茶屋「マンディ・フェンス」

ふわん、とした湯気が鼻先をつつんだ。



ひと口ふくむと、花のような香りが広がって
ピリリとした渋みが、舌の上にじんわりと染み込んでいく。

金の細工のティーカップを、ミリーはゆっくりとソーサーの上に置いた。


ミリーは少し前に、自分が本当は魔女だったことを思い出した。

普通に学校を卒業して、普通に就職して、平凡でなんの変哲もない人生をこれまで送ってきたミリーだけど、これからは、自分の魔法で、自由に自分の人生を切り開いていくのだ。

だけどそれには1つ問題があった。

ミリーは自分の魔法を見失ってしまったということだ。
インターネットで検索をしたって、魔法は見つからない。
1ヶ月くらい、考えたり、歩き回ったりして、もがいてみた。
だけど、相変わらず、魔法の手掛かりは何ひとつ見つからない。

だけど今は「マンディ・フェンス」の紅茶を、そこにいる時間を、大事に、ちびちびと楽しむことにした。

ここには本当に、魔女の住む部屋みたいだ。
赤く塗られた壁は煤け、あちこちに置かれた小さなランプが、薄暗い空間に明かりを滲ませている。
スウィングするピアノの音に、しわがれたおしゃべり声が高く低く混ざっている。
ミリーは、目を閉じて、魔法の気配を感じようとした。とても楽しい気分だった。

今着ているワンピースは、おろしたての赤い花柄。
会社を辞めた後に、少し冒険して買ったものだ。
ミリーはこれから、自分の魔法を見つけに行くのだ。
着る洋服も、行く場所だって、選ぶもの何だって、地味で無難なものではいけない。


突然、肩に何かがぶつかった。
それは軽い衝撃だったけど、きちんと狙いを定めてミリーにぶつけられたのが分かった。

振りむいてみると、小さな男の子が、ミリーの肩に虫取り網を引っかけている。

「わお」

わんぱく坊主の顔を見た。
その顔は、真剣そのもの。まん丸の2つの目は、キラリとまっすぐに光っていた。

「何かしら?」
ミリーは手を膝の上に置いて、訊ねた。

少年は網をミリーの肩に引っかけたまま、コホンと咳ばらいをして、言った。

「失礼しました。これはちょっと特殊な網でして、かわいらしい女性を捕まえる網なんです。私は窓の外から貴女を見つけて、思わず、この網での中におさめてしまいました。でも、貴女が『イヤ』と言うならば、無理にとは言いません。私はすぐにこの場から立ち去ります」

一気に言い終えると、またひとつコホンと咳をした。

ミリーは吹き出してしまわないように口元に力を入れながら、それを聞いていた。
そして、ゆっくりと背筋を伸ばして、首を振る。

「残念だけど、あなたとは行けないわ。」
自分が、なんだか素敵な存在になった気分だった。

「そうですか…」
網を持った少年は、うつむいた。

「こら!トシちゃん」
チリン、と音がして店の扉が開き、品の良い白髪の女性が入ってきた。

「ごめんなさいねぇ、うちの孫が」
「いえいえ。口が達者な坊ちゃんですね」

ミリーは、ゆったりと言った。

なんだか、愉快な気持ちだった。
「あなたがあまりにも素敵だったから、きっとこの子もいてもたってもいられなくなったのね。さあ、行くわよ」
「バイバイ」

チリン。
坊やは、おばあちゃまに手を引かれて店の外に出て行った。

ミリーは、カップに残った紅茶を飲みほした。
心の内側がぎゅうぎゅうと震えるような気持がした。
口元が、にんまりと上がっているのが分かった。

やっぱり、ミリーは本当に魔女だったのだ。
魔女だったから、ちょっと外に出ればこんな変てこな出来事が起こったに違ない。


チリン。
鈴の音とともに、今度は若さに溢れた、2人の女の子が店に入ってきた。
2人とも、ミニスカートを履いている。

「うわぁ、超かわいい…」
「ねー、なんかレトロって感じ」

興奮がおさえきれない!といった様子で、2人はミリーの隣のテーブルについた。

「大学どお?」
「うーん、ぼちぼちかな。授業が90分っていうのが辛いね」
「わかるー。高校の倍だもんね。毎回耐えるのが大変。てかさ、このスコーンめっちゃおいしそうじゃない?」
「思った!私はこのチーズケーキも気になるなぁ」
「おすすめ聞いてみようか。すみませーん!」

きゃぴきゃぴとおしゃべりする2人は、何か、つやつやと輝く大きなものを放っているようだ。

さっき少年の網に捕まった時とは一転して、ミリーは、自分の心が重く、ジリジリしていくのを感じた。

少しして、若い男の店員が注文を取りに来た。

「このスコーンとチーズケーキ、どっちがおいしいですか?」
黒のぴったりとしたTシャツを着た、活発そうな方の女の子が尋ねた。

「ちょっと、そんな聞き方失礼だよぉ」
色白の、ツヤツヤの髪をした方の女の子が慌てて言った。

店員は、そんな2人のやり取りに思わず笑い出した。

「あはは、そうですねぇ。腹ペコだったらスコーン、しっとりとティータイムを楽しみたいのなら、チーズケーキがいいと思います」
かわいい妹にでも言うかのように、優しげに言う。

「なにそれー、すごく迷っちゃうね。よし、両方食べちゃおう。あと紅茶、お願いします」
活発そうにはじけるピンクの頬をした女の子が言った。

「私はミルクティーで」
黒の長い髪にカチューシャをさした女の子の目は、艶めいていた。

「分かりました。少々お待ちください」
店員は、すっかりと打ち解けた様子で言い、カウンターの方へと向かって行った。

ミリーは、心のジリジリの正体が分かった。

(私もあんな若い時に、魔女への道を歩み始めることができていたら…)

ミリーはもう、28歳だ。
世間的には、自分の人生の方向性をもう決めている年代だ。
彼女たちみたいに、可能性に溢れてる年代ではない。

それなのにミリーには、何もない。
何もないくせに「魔女になる」なんて言って会社を辞めた。
まともな人だったら、そんなバカげた人間なんて相手にしないだろう。
やっぱり、ミリーはヤバイ奴なんだろうか。

思わず、ため息をついた。
グラスに入った水を、ググっと飲む。
もう、この店を出よう。
席を立つ準備を始めようかと思ったその時ー

「下げちゃいますね」
声が、上から降ってきた。

見上げると、さっきの若い男の店員が、ミリーの空になったカップをひょいっと下げていってしまった。

「あっ…」
ミリーが返事をする間もなく、彼はスタスタとカウンターの奥へと消えていく。

咄嗟のことに、ミリーはただその背中を見送ることしかできなかった。
テーブルの上に取り残されたのは、水の入ったグラスと、走り書きの伝票だけ。

ミリーは急に、この場に居ることが、とてつもなく恥ずかしくなった。
おろしたてのワンピースなんて着ている自分がバカみたいだ。

ミリーの知っているお店ではたいてい、食べ物のお皿は下げても、空になったカップやグラスを下げたりはしない。
ミリーも学生時代、喫茶店でアルバイトをしていたことがあった。
その時も、お皿は空になったら片付けてしまっても良いけれど、カップやグラスは置いたままと教わった。


お前みたいな、冴えない年増は、さっさと帰れ。


ミリーのカップを下げて行った背中が、そんな風に言っているような気がした。
いてもたってもいられなくなって、ミリーは荷物もまとめきらずに席を立った。

隣では、ミニスカートの2人が楽し気におしゃべりしている。
この2人のどちらかがミリーと同じ場所に座っていたら、カップは下げられなかったんじゃないだろうか。
ミリーは目元にキュッと力を入れた。

気配に気づいた別のスタッフが、レジにやってきた。
「650円です」
すかさず、用意しておいたぴったりの金額を無言でトレーに置く。
1秒でも早く、この場を立ち去りたい。
「ありがとうございましたー」
閉まりかけた扉の向こうで、かすかに耳に届いた声。

春の午後の、あたたかい日のさす道路に出た。
ミリーは、何もかもをなぎ払う弾丸みたいに高速で歩いた。
こうなるのは、全てミリーが悪いのだ。
やっぱり、ミリーがイケてない。
かわいくない。
自分のことしか考えられない、心が醜い人間でもある。
「魔女になりたい」なんて身勝手な理由で会社を辞め、人に迷惑をかけた。
それにダサくて、オーラがなくて、オドオドしていて、人をイラつかせてしまうザコで…

いつからそうなったのかは、分からない。
だけどミリーはいつも、どこに行っても、「そっち側の人間」だった。

ミリーと他の人たちとの間には境界線があって、ミリー以外の人は「こっちにおいでよ」と言ってもらえる。

だけど、ミリーはだめ。
新幹線に乗っているかのように、周りの景色は高速で通り過ぎていく。
だけど、ミリーの心は、台風の目の中にいるみたいに静かだった。

(早く、魔女になりたい)
魔女になれば、他人からこんな扱いを受けることも、きっとなくなる。

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