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今日も自分のご機嫌をとって過ごせました。

昨日のつづきを書きたいとこですが、今日は時間があまりないので、とても簡単な記事にしたいと思います。

自分以外の誰もが上手に生きていて、ワタシの周りだけがトドコオリなく整っているのようみえ、取り残されちゃった自己嫌悪の塊(*ノωノ) みたいになって、息するだけで精一杯だった時期があります。

そのころもワタシは、書く ことをしていたのですが、書いたことを覚えているんです。
なにが苦しいか自分の中にある苦しみを知りたくて書いていたんです。

「どうしてやらなければならないことと、やりたいことにこんなにズレがあるんだろう。人間失格だ。
どうして会いたい人に会えなくて、会いたくない人ばかりが周りにいるんだろう。なにが間違えてるんだろう。
どうして…………どうして……」

なぜなぜなーにみたいな堂々巡りを繰り返してて、つまり
「ワタシたら可哀想。なんて不幸なの!」って、自分にわざわざ言い聞かせってた時期だったのでしょう。
いやぁ、よくとことん、落ち込んでえらかった。
自分にとっての幸福がなにか、本気で考えていたからこそかけた、なぜなぜなあにだったのでしょう。
しかも、同じことを毎日毎日書いていたから、いまでも覚えているくらい回数書いていたのでしょう。
その時のノートはとっくに捨てたので、手元にはありませんが、書いたことで自分を知り、少しづつ苦しみやジレンマを昇華させていたのでしょうねぇ。

で。ふと、あの頃のワタシへの分析がとても鮮明になりました。溢れるように言葉になりました。

「そっか。あのころやりたくないって言ってたやらなければならないことって、自分の面倒をみるってことととか、自分をご機嫌にするってこととか、自分を気持ちよくするってことだった。それを
誰かにしてもらいたい! なのに誰もしてくれない! って悲しんでいたんだなぁ。

その苦しみを抱いていた25年ほどまえ。
30代の前半から半ば。
アラカンになってから振り返れば、身体も心も健康な時で、肌もオッパイもまだまだハリがあって、めっちゃいい時だったはずなのに、
人生で一番、ドンヨリしてたんだなぁ。
で、いまが人生で一番、身体は重いし動かないけど、
自分の機嫌の取る方法もエネルギーもあって、なんて楽しんでいることだろう。自分の面倒は自分でみたいし、それがひたすらに楽しい💛に繋がっている。

今日、BS・NHKの街角ピアノっていう番組で、同世代の女性が
「シアワセってなるものじゃなくて感じるものなんだって、やっとわかってきました」ってインタビューに答えていて、ああほんどそれって思ったんだけど、なんかそんなふうに今日を暮らせていることが、とてもいいなぁって思えました。

そうそう、娘に「私のいいところどこ?」って聞いたら、
「なんだかんだ甘やかしてくれるところ」って言われました。
もうさ、狙ってるお母さん像じゃないわけですよ。あれ?そんな感じなの? やだ、なんか優しいとか、面白いとか、変な人って言われるつもりだったみたい。。。
ワタシの理想と現実って違いしかないんだなー。もうなにもかもがここまで違うなら、いっそのこと理想を掲げまくっておこう。
で、現実を笑って過ごそう。
自虐や嘲笑ではなく、

ワタシの人生ってなんて面白いんだろう!! 

っていう笑いで。
だから、文章下手でも、物書きです。
なんの肩書きも筋書きもありませんが、自分の機嫌とれてます。
機嫌悪くても良くてもワタシです。
ライティング・ライフ・プロジェクトのファシリテーターやってます。

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おたのしみにーー。

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