自分にとってのホンモノが、ニセモノかもねっていう、大事件が勃発してるとこ
愛してるけど振り向いてもらえない。
愛し方が足りないからなのだろうか。
努力が足りないからなのだろうか。
愛されないなら、生きている価値がない。
これって恋愛に限ったことじゃなくて、日常の中のあちこちにあるってことに、気づいた瞬間があります。
自分の日常でね。
シナリオ教室の通い始めたばかりのころ、「今よりちょっとくらい上手になりたい」「自分が書いた文章をプロに読んでもらいたい」
そんな気持ちで始めたわりに、
「コンクールに出した方がいい」
「次のクラスに進みましょう」
「もっと上手くなれます」
「夢を叶えた人たちは、その想いが強かったからなれたんです」
「本気で取り組むと書くことも変わります」
なーんていうフレーズに囲まれるようになり、ワタシも自分に夢を持ち始めました。違うな。夢が変化していったんだな。
「プロになりたい」「自分の名前がクレジットされるのを見たい」「書いたものでお金をもらいたい」「すごくいい作品だったねって言われてみたい」
そのためには、ながもちっていう着物を入れるような大きな箱に、3つ分くらいの量の原稿用紙を書くんだ、
限界突破しないとそんな世界にたどり着けるわけないんだ、
っていう教えも読んだりして、そうか、できることから始めよう。それには量を書くのね、とばかりに課題をこなしまくった時期もありました。
でも芽も出ないし、上手くなった気もしないし、結果も奮わない。
昔のシナリオライターは、弟子入りしてプロのもとで下積みしたものだ、教室なんて通ってなるものじゃなかった。
なんて言われてると落ち込んだり、ならもう遠すぎてムリじゃんって、過去の自分の選択ミスを呪ったりもしました。
コンクールに出し始めて、2年目くらいのころでしょうか。
スクーリングに通うために、まだ小さい未就学児の下の子供を連れていき、大人しかいない教室のすみに座らせて参加したこともあったし、
教室の下にあるカフェの店長さんにお金を預けて、これで子供たちに飲食させてくださいってお願いして2時間とか置いたままにしたこともあった。いまなら通報されちゃうかもね。
そんなふうにやっていたある時、高校時代の部活仲間と会う機会がありました。
「がんばりたいことがあるのはいいことだけど、ナニモノでなくても、私たちにとって、ゆみこはゆみこだからね」
そう言われたとき、何言ってんだろうこの人たちは? わかってないな。君たちには夢や希望はないのか?
って思ったワタシがいました。
それからもホントによく書いて出すって暮らしをしてました。
自信をもって出した作品が、落選する。
少しはいいかと思って提出する作品が、先生からもゼミ生たちからもダメだしされる。
ちっとも巧くならない。
期待よりもずっと、自分には才能もセンスもないんだ。
なーんだ、もう残念すぎて生きてる意味が薄まっちゃったよ。
なにかの討論会で、プロの方が、書くことに憧れてる人たちに対して、
「日常がシアワセならいいじゃないですか?」
とおっしゃっていたことがあります。
ああもう!! 才能ある人って、なんかみーんなそんなようなことをいう!!
リアルがどうこうじゃなくて、書き手として優れた人になりたいんです!! そのためだったらなんでもします!! なにをしたらいいんですか??
って思いながらメモを取っていました。
ただその言葉たちは、忘れっぽいワタシの心のすみっこにずっと刺さっていて、薄れませんでした。
その言葉がワタシにとって味方なのか敵なのわからないままなりに、未消化のままでした。
ワタシね、シナリオとか作品を通して
「人生とか世の中とか、人とはとか、愛とかが、わかってる人になりたい」って思ってるんだなぁって思うんです。
だからなのか、時々、「さもいいことを人物に言わせて、まとめようとするクセ」があるんです。
さもいいことって、はちゃめちゃなキャラが言って、お前がいうか! ってつっこみながら感動するのとか大好きなのに、そういうシーンが作れない。
それはきっと、「人生とか世の中とか、人とはとか、愛とかが、わかってる人になりたい」わけじゃなくて「人生とか世の中とか、人とはとか、愛とかが、わかってる人だって扱われたい。思われたい。認められたい」。
ダレカに伝えたいとか、世の中に言いたいよりも、
みんなみんな、ワタシってすごいでしょ。
っていう思いが多すぎるから、作品に深みとか面白みがぼんやりし、薄っぺらい感じになるんだな。
ということに、最近気が付きました。
最近気が付いたのは、書きもののプロにならったのではなく、
ワタシっていう人の根源とか本質とか、ワタシ自身の本当の魂で生きていこうよっていうことを始めたことによります。
人に認められたいんだw そっか。
少し驚いて、少しがっかりして、少し笑った。
もうちょっと志あって書いてる気がしてたから。
でも、がっかりしても、苦笑いしても、ぜんぶひっくるめてワタシの素顔なので、がっかりも苦笑いも、めーいっぱいやって受け止めようっていう気概だけはあります。
「ナニモノでなくても、私たちにとって、ゆみこはゆみこだからね」
ワタシがナニモノでなくても、素晴らしくなくても、世の中がわかったとかなくても、うまいこと言えなくても、いい作品書けなくても、
ま、あなたはあなたですよ。それがなにか?
っていう国に住民はいて、そこで笑って手を振ってくれている人がいるんだなぁ。なんて安心で、なんて安らかな国なんだ。
この安心感も愛なのかもしれないなぁ。
愛に溢れた日常であること。溢れている愛は、ゴージャズでもエネルギッシュでもカッコよくもないけど、脆くなさそうだ。
獅子座はどうしても、そういうことを気にするけどw
そもそも、その国を、ワタシは自分の家族のために築き上げているとこだったりして、それがとても好きなんじゃないか……。愛の国ガンダーラ。
愛してるけど振り向いてもらえない。
愛し方が足りないからなのだろうか。
努力が足りないからなのだろうか。
愛されないなら、生きている価値がない。
ワタシは、心のどこかにこの想いをいまでも持っています。書くってことに対して。
この想いを失わないことが、自分の作家性だと信じていたりもします。まだします。
ただ、リアルでこれを誰かに思う? ってなると
ありえへん(*ノωノ) まぢでありえへん。
一ミリも思わないし、こんなことを考えさせる相手なら、終わりにして次次! ってなるのにね。
自分の中にある、ホンモノがニセモノかもねっていうことに、疑いを持ち始めている昨今。
こりゃ心と頭の中の模様替えは、大規模ですよね。
そんなワタシが伴走する、書いて自分を抱きしめちゃおう。
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ライティング・ライフ・プロジェクトってなんだっけ?
という方は、こちらをどうぞ過去記事です。
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