教育学概論 ②教育の目的
教育の目的はどういう年齢の誰を対象とし、どういう場で、おこなうのかによって、全く異なる。
しかし、現状維持でよいのであれば、あえて教育の場を設ける必要はないように思われる。
したがって、やはり教育の対象となる人に何らかの変化をもたらすことが目的になる。
何らかの変化をもたらすには、教育する側はさまざまな方法を駆使して、その目的を達成するように、教育される側に働きかけをする。
その働きかけに対して、どのように応じるのかは、教育される側の意識によっても異なるし、目的意識がどれほどあるかによっても異なる。
したがって、何を目的としているのかは、常に教育する側が、教育される側に確認し、お互いに同じ方向を見ているかどうかをチェックする必要がある。
しかし、何かの理由によって、教育される側が全く違う方向を向いている場合も往々にしてある。
例えば、大学進学でできる限り偏差値の高い国公立大学や難関私立大学に合格することを目的としている高校に入学したのに、途中で気が変わり、理容専門学校に行きたいとなれば、それは目的が違うところに向いているのだから、この教育は挫折せざるを得ない。
その場合は、とりあえず卒業することに専念してその学校に居続けるか、もう少し卒業認定の基準が易しい別の高校に転学するのも一つの案であろう。
このように目的が教育を受ける側の都合で変わる場合も十分にあり得る。
あるいは元々は進学校であった学校が、それだけで募集人員を集められなくなって、ある特定の部活動に力を入れ、日本全国から選手を募り、奨学金を出すなどして、強化する方向に転換する場合もある。
そのような場合には、教育の目的が大学進学なのか、部活動の強化なのかが、わからなくなるわけだが、学校のトップの地位にある人は、それを明確にしなければならない。
しかし、実際にはこのように付け焼き刃的な生徒募集をした結果、何を目的とするのか、よくわからなくなってしまい、教育の目的が中途半端になってしまっている学校が少なくない。
これは紛れもなく、トップの責任である。
学校で言えば、創立者や理事長、校長といった存在であろう。
このように教育の目的は教育をする側の自己都合で、変化することもある。
どのような目的を持った学校であっても、学校の存続を願うのであれば、共通して力を入れるべき点はある。
それは一つにはまず生徒指導である。いくら部活動や学業で実績を出したとしても、その生徒が礼儀も知らず、授業もまともに受けられないでは、その実態は必ず周辺に伝わってゆく。
しかし、その点をわかっていない人が多い。
教員や先輩に対する挨拶がきちんと出来ない学校が地域から愛されるわけがない。
授業を真面目に受けたいと思っている生徒はどのクラスにも、どの集団にも必ずいる。
それが成り立たなければ、そうした生徒の不満は必ず顕在化する。
授業はやはりきちんと受けられるほうが生徒にとっても、教員にとっても、誰にとってもよいのである。
それを中途半端にして、子どもに妥協したり、親に妥協したりする学校は、必ず評判が落ちてゆく。
そして、もう一つ力を入れるべき点がある。それは掃除である。
掃除がきちんと出来ない学校もダメな集団である。
初めて、ある学校を訪れたとして、その学校の掃除への取り組み方を見れば、一発でその学校がよい学校かそうでないかがわかってしまう。
したがって、教育の目的がどうであろうと、その集団は生徒指導と掃除には力を入れるべきであることは間違いない。
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